日本初の公道レース“小樽グランプリ”開催を目指していた、「チャンプ・カー小樽グランプリ コーポレーション」(港町5・齊藤和記取締役社長)は、10月のデモランの中止に続き、2007年の本番開催を断念した。
小樽の公道でのF1開催というビッグな夢のプロジェクト実現を目指し、2004年3月、山田勝麿小樽市長を会長とする小樽グランプリ推進協議会が設立された。小泉内閣の地域再生計画第1号に認定され、観光や経済活性化の起爆剤として、北海道にとってのビッグイベントとして期待されていた。
当初は電気自動車の公道レースの実現を目指していた協議会だったが、2004年秋頃に、公道レースの世界選手権「チャンプ・カー・ワールドシリーズ」誘致の話も持ち上がった。2005年10月には、同シリーズのオーナーのケビン・カルコーベン氏と、会長のディック・アイズウィック氏が来樽し、シンポジウムを開いた。コースデザイナーも小樽を視察しており、着々と誘致が進んでいた。
2006年4月小樽グランプリ開催の具体的な取り組みが加速し始め、開催実現に向け、デモラン開催や営業活動などで、巨額の開催費用を集めるため「チャンプ・カー小樽グランプリ コーポレーション」が発足し、スポンサー獲得に乗り出していた。
7月には、北海道庁と札幌ファクトリーでキャンペーンPRも行い、10月には、小樽市内でチャンプ・カーのデモンストレーションの初走行を実施することを明らかにしていた。
しかし、当初デモラン走行を予定していたドライバーが練習中に鹿と衝突し大怪我を負い、開催の予定を10月中旬と遅らせたが、デモラン開催のための許可や資金も集まらず、デモランは無期延期となった。これに続き、07年の本番開催も断念することになり、小樽グランプリの開催が消えかかっている。
同協議会の木下修理事長は「デモランをやれば変わったかもしれないが、費用が集まらなかった。協議会としては、デモは無期延期、本番の2007年開催は無理だと思う。関係機関の許可を取る前に、お金がないと無理でしょうね、許可があればお金が集まるとは思いません。開催もやり遂げられれば良いが、99%やり遂げられないと思う。やりますと言って出来なかったら重い。色々な人に迷惑をかけることになるので中止も止むを得ない。当初目的だった電気自動車レースの開催に向けて動いていく。電気自動車レースであればメーカー側が資金面などを支援するため、チャンプ・カー開催とは異なりリスクが低い」と淡々と話した。
デモラン開催の許可や資金も集まらず、本番の費用も20億円を超すという巨額なこともあり、同協議会では、チャンプ・カーを推進する同コーポレーションとは、一線を引くことを決めた。約2年にわたって行われてきた小樽での公道レース誘致は、これで振り出しに戻り、同協議会は、電気自動車の公道レースの開催に向けて新たに動き始めるとしている。
日本初のチャンプ・カー・ワールドシリーズ小樽グランプリの2007年開催の断念で、市内では、今後、公道レース開催自体が懸念されており、小泉内閣の終焉とともに、小樽グランプリ開催も風前の灯となった。