ベストマスター

2016年4月のベストマスター
支那そば 愛幸

横手 将人マスター

 小樽で支那そばを提供する「支那そば愛幸」の店主・横手将人さん(53)は、昨年(2015年)6月に34年ぶりに小樽に戻り、稲穂5のそば屋・松乃屋の店舗跡に、8月30日オープンさせた。

 横手さんは、市内の小中学校を卒業後、小樽商業高校へ進学。高校生活ではブラスバンド部でサックスを担当、定期演奏会やパレードに参加。生徒会の仕事も積極的に協力していた。その後、札幌の調理専門学校へ通い、さらに、青森で栄養士を目指し勉学に励む。卒業後は、東京で栄養士の職に就くが、仙台へ移住し、元祖支那そば家に30年ほど勤め、小樽へその技術を持ち帰った。

 仙台では、5年前の東日本大震災に遭い、店舗の被害も大きく、再建に1年半もかかった。その後、小樽に残していた高齢の両親が気にかかり、ひとりっ子でもあり、小樽へ戻る決意をした。開店する3ヶ月前に妻の幸恵さんと戻り、現在、二人三脚で店を切り盛りしている。

 横手さんの朝は早く、5:30には店で支度をする毎日。それなら、朝からラーメンを提供しようと、通常680円を、ワンコインで食べられる「朝ラー」として提供。日曜日には、孫を連れた老夫婦などが、朝からラーメンを楽しんでいるそうだ

 店主おすすめは、仙台で培った経験を活かし、香り高い正油味やしじみのエキスが沢山入った塩味。他にも白湯の味噌味や手作りの餃子、酒の肴としてもおいしい骨を取り食べやすく形を整えた豚足も提供している。

 新メニューの開発にも力を入れ、さっぱりとした味けつけの「もやしあんかけラーメン」を追加。お客さんの要望にも応えている。今後、丼ぶり物メニューを考案中だ。

 小樽が好きで、仙台にいても度々帰省し、小樽の幼なじみなどが、ラーメンを食べに来てくれるそうだ。

 また、仙台のお客さん120名のカンパで、火を守る神「釜神様」をプレゼントしてくれた。1反半のサラシに、120名の名前や励ましのメッセージが書かれたものが入っている。木彫りのお面の釜神様は、家が新築される際に、大工さんが余った材料で作り、その家にプレゼントしてくれるもの。店内の壁に飾られ、いつも見守っている。

 仕事熱心な横手さんは、5歳から書道を習い、今一番の楽しみは、馬や猿・河童などの文字をその動物のように崩して描くこと。作品は、額装して店内に飾り、温かい雰囲気を醸し出している。また、メニューや看板の文字なども横手さんのセンスを活かして描かれたもの。

 横手さんは、「さっぱりした味の支那そばは、小樽ではあまりない味なので、ぜひ食べてもらいたい」と話した。

支那そば 愛幸

小樽市稲穂5-9-2
電話・FAX:0134-64-5522
営業時間:6:00~7:30・11:00~15:00・17:00~20:00
定休日:月曜日

2016年3月のベストマスター
中華食堂くろ

鈴木 智郎マスター

 旧手宮線沿いの色内駅付近に建ち並ぶ店舗群に、黒い外壁が目印の「中華食堂くろ」が、昨(2015)年8月にオープンした。

 その店主・鈴木智郎さん(48)は深川市出身で、小樽に移住して1年目。今年は雪が少なく、豪雪の冬の小樽は未経験。

 子どもの頃から料理に興味があり、富良野プリンスホテルで修行を積み、調理人の道を脇目も振らずに歩み続けた。3年前から自分の店を持ち、中華のこだわりメニューを次々と考案してきた。

 店内は、カウンター席とテーブル席を合わせ、10席のこじんまりとした隠れ家的な店。妻と2人で切り盛りしている。

 小樽に店を出すきっかけは、「小樽が好きで、ずっと小樽に住みたいと思っていた。海や山があり、みんな頑張っているところも気に入っているので、小樽に骨を埋めたい」と、小樽にどっぷり惚れ込んでしまったようだ。

 店名由来の黒という色は、他の色に染まらない色で、店も他の色に染まらないままでいたいという思いが込められているという。

 鈴木さんのオリジナルメニューは、中華料理屋さんだけど、人気の“とんかつ”だ。とんかつの衣に干し海老を入れ、カキ油と紹興酒をベースにブレンドしたオリジナルソースで食べる。

 メニューはすべて食材から手間暇かけて調理したものばかり。中でもしめ鯖は、山椒入りのソースが絶品。エビチリソースなど中華定番のメニューも揃え、店内には、鈴木さんが手書きしたメニューが、壁一面に分かりやすく書かれ、どれを頼もうか迷ってしまいそうだ。

 小樽のソウルフード“あんかけ焼きそば”もあるが、小樽あんかけ焼そば親衛隊の味とは違った、当店ならではの味付けだという。

 長年の経験を生かし、中華に合うワインや日本酒も揃えている。滋賀県の純米吟醸造「萩の露」は、芳純な味と香りが料理に合うそうだ。

 「大皿に入った中華料理とは違って、いろいろな中華をワインや日本酒と一緒に味わってもらいたい。ひとりひとりへ心のこもった料理を提供し、皆さんに中華を楽しんでもらいたい」とPRした。

 小樽の人に支えられていることを日々実感し、「美味しい!」と言われるのが、なによりだという鈴木さん。職人気質で真面目な人柄を感じさせる。

 小樽に新しい中華料理店の誕生だ。10席のため、事前に予約した方が確実に入店できる。

中華食堂くろ

小樽市色内1-14-5
電話:090-6878-1217
ランチ11:00~14:00(L.O13:30)
ディナー17:00~22:30(L.O22:00)
定休日:毎週火曜日・第3水曜日
席数:10席

2016年2月のベストマスター
有限会社藤丸 むとう呉服店

武藤 修マスター

 花園銀座商店街の老舗「むとう呉服店」の専務取締役・武藤修さん(41)は、着物が似合う三代目。

 社長の父と事務をこなす母と共に店を切り盛りし、物腰が柔らかく、イケメンな若旦那。小樽市商店街振興組合連合会青年部部長や昨年9月の小樽アニメパーティー実行委員長も務めた。

 子どもの頃から、家業の呉服屋を見て育ち、読書が好きなおとなしい子どもだった。その反面、自転車やスキーを楽しんだりスポーツも大好き。小樽潮陵高校を卒業後、札幌の大学へ進学。数々のアルバイトも経験した。

 大学卒業後、家業を継ぐという一大決心をし、お得意様や仕事の引き継ぎで、1年間はびっしり仕事漬けの生活だった。

 武藤さんの仕事は業務全般で、呉服屋という仕事の内容は特殊。反物は、購入されるとのりを落とすため、加工業者へ届ける。付け下げや訪問着などは柄を合わせたり、どの位置に柄を持ってくるか、着物をどう仕立てるか、裏地や付属品はどうするかなど、お客さんの要望などを考慮して、仕立て屋と打ち合わせを行う。

 今年でこの道19年目となり、祖父・父の代からのお客さんも多く、皆さんに支えられここまでこれたと感謝の気持ちを忘れない。

 「着物を着ると背筋がしゃんと伸び、日本人らしさ、男性は男らしく、女性は女らしい所作になるのが、着物の魅力」と語る。

 反物の販売はもちろんだが、帯や帯締め・帯揚げなどの和装小物のコーディネートも行う。また、祖母や母の着物を処分する時の相談も受けている。

 昔からのお客さんのタンスの着物を処分する相談を受け、当店から購入の200点以上を、じっくり時間をかけて1枚ずつ調べ、その中から10点以上を仕立て直して甦らせたエピソードも。

 最近は、呉服屋や加工屋などの着物関連業種が減っていることに不安を感じているが、これからも店を継続し、若い世代に着物を提供する使命があるという。

 仕事に打ち込む日々の中、休日には、野球やマラソンを楽しむそうだ。運河マラソンや札幌マラソンのハーフに出場しているスポーツマン。

 武藤さんは、「詩吟や琴などの和の伝統文化を大切にし、着物へも興味を持ってもらいたい。手軽に着れる浴衣もあり、女性のみならず男性の方にも着物を着てもらいたい。着物の良さを伝える力になれればと思う」と着物をPRした。

有限会社藤丸 むとう呉服店

小樽市花園1-10-1 花園銀座商店街
電話:0134-22-4488
FAX:0134-022-3366
営業時間:9:00~19:00
定休日:日曜日

2016年1月のベストマスター
トーイズスウィート

神野(かんの) 修平マスター

 東雲町出身、堺小学校・菁園中学校・千秋高校(現小樽工業高校)と進み、「頭悪かったんで、潮陵高校には行けなかったんですよ。うちの兄弟はみんな潮陵なんですよ。東雲町の水天宮さんの階段の脇の小樽聖公会堂の近くが実家で、繊維の神野として知られていた。うちの親父は、みんな札幌に出て行くのに、自分が小樽から出て行くと、小樽がだめになると言って、最後の最後まで小樽に残っていた気骨の人だった」。

 「サウンドオブミュージックっていうジュリー・アンドリュースの映画があって、中学の頃かな。ものすごく強烈に残ったんですよ。その後、俺もこんな豊かな自然のあるところに行ってみたいなぁとずっと思ってて、それはスイスってイメージだったんです。実際はオーストリアだったんですが、“俺スイスに行きたい!”ということが、頭の中に残っていたんですね。その時はコックになるなんて全然思ってなかったんです。スイスは行きたいってずっと思ってたんで、絶対行くぞと頭に刻んでいて」。

 高校を出てから、東京に。「中学からバレーをずっとやっていたんで、推薦で拓殖大学へ行ったんです。バレー推薦で入って、行ったらスゲイ学校でね、バレーを続けるつもりも無いから、それで結局、半年で辞めちゃって、その頃親父が死んじゃったんで、いろいろ人生が変わっちゃって。大学辞めて翌年に、やっぱり料理やりたいなと、YMCAというホテル学校に入ったんです。

 その学校実習でホテルに行かされるんですよ。その頃に知り合ったのが、横浜の北原照久(ブリキの博物館長)。知り合うきっかけを作ったのは、その当時、四谷のスナックでアルバイトしていたら、ふらっとその店に入ってきたのが作曲家の浜圭介だった。とんでもなく大変な時代で、彼はギター1本持って、札幌から出てきて、本当にどん底だったんですよ。その時、僕と巡り会って、『お前どこだ』『小樽だよ』って、それからすごく話が合って、で、お互い頑張ろうなって。何頑張るのかよく分かんないけど、で、『すごく良い友達がいるから、今俺が居候している家がすごくいいとこで、北原っていうやつがいるから紹介するから』いうことで、紹介してもらったんですよ」。

 「YMCAで実習がある時に、北原の親父が観光業やるんだからって、勝手に実習さぼってそっちに行っちゃって、帰ってきたら学校の規則に反するってことで、首になっちゃったんです。珍しいらしいですよ。別に辞めたくなかったんですけどね。

 東京にいる義兄(姉の旦那)が、こんなことしていたらだめだってすごく怒って、自分の仕事関係でレストランの仕事を見つけてくれて、そこで2年間くらいいたんですよね。その後、北原のヒュッテにコックとして入って、がんばって、そこでまた巡り会いがあったんですよ。

 出会ったドイツの人が、ヨーロッパのシュピーゲルっていう雑誌のアジア局長をしていて、お母さんが日本で生まれて、日本語ベラベラで、すごい人なんです。その人が怪我をして、ネコに引っ掻かれて毒が回って、それを北原と2人で、夜中に彼の車で病院に連れて行って、先生を叩き起こしたのに感激して、『もし東京に帰って来たら必ず寄りなさい』と言ってくれたんです。でもその時も頭の中は“スイス、スイス”だった。スイスに行くんなら、ドイツ語を勉強しないといけないと、彼の奥さんにドイツ語を教えてもらって。なんにも分からなかったんですけど。で、行く手配を取ってもらったんです。

 彼の知り合いに、本当に幸運だったんですけど、労働ビザとか全て取ってもらって、飛行機代も出してくれて。その代わり、部屋付きで給料は安いですけど、全て面倒見てくれて、シュトゥットガルトからちょっと離れた車で20分くらいの古い街のレストランを紹介してくれて」。

 「ドイツははじめ、3~4年だと思うんですよね。それからいろんな人達に話をして、なんとかスイスにって、でも、まずフランス料理ですから、フランスに行きたいと思って、いろんな人を紹介してもらって、それからオーストリア行って、ウィーン行って、それからスイスに」。

 「はじめはグリンデルワルト。アイガーを毎日眺めながら暮らしてた。ホテルはバーンホ、電車のすぐ横の。部屋はホテルの屋根裏でちっちゃい。屋根裏に住んでて、寝ると窓が下にあるので、ベットより低い、屋根裏だから。窓から見るとアイガーがババーンと。そこに1シーズンいたかな。それからロンドンへ。契約書を交わして。現地の人達がみんな助けてくれて、希望を出すと、全部やってくれる。僕が出来ないから、周りがいろんなことをやってくれて。バックアップしてくれて、ちゃんと契約書も取ってくれて、労働許可も取ってくれて。ロンドンではヒルトンに。

 もう29くらいですかね?その間ヨーロッパを点々として。ロンドンに行って、またとんでもない出会いがあって。日本からハンディキャップスキーの子が1人で来たんですよ。人を介して。ひろし君て言うんですけど、サリドマイド児ですが、スキーがめちゃくちゃうまくて、日本で優勝してワールドカップへ行く時に、イギリスに立ち寄ってそれからスイスに入りたいんだけれども、つてがないってことで、知り合いを通じて、僕のところにそういう話があって。そして、スイスに一緒に行こうということになって。その時にスイスのスキー場に、ハンデキャップスキー協会の女性の会長さんがいらして、その方もハンディキャップのある方で、スキーが世界的に有名な方で、その人が面倒を見るということで、僕はそこに行って、その時、そこに仕事は無かったんですけどね、その方が色々やってくれて、近くのホテルのオーナーが、色々事情を聞いてくれて、まず全部労働許可を取ってくれて、珍しいですけどね、働く先々で労働許可を持っているのは、その当時あり得ないですよね。

 それからベルギーのヒルトンへ紹介され、それも紹介状から全て必要な契約書類全てを揃えてくれて。次に、ジュネーブに最高級のヒルトン作るという話をもらい、No.2で行きました」。

 「東京にいる時から、兄貴みたいな人がいてその人の奥さんの妹と、21、2歳くらいの時から知っていて、日本に帰って来て、お互いにひとり同士だったから結婚。ずっと付き合ってたわけではなく、再開した時にお互いひとりだったから。

 ヨーロッパにいる時は、結婚なんて考えられないもの。戦いだから。毎日が戦争みたいなもので、恋愛なんてしている余裕は無かった。外国人との戦いですよ。つぶされちゃうから、ただ力を発揮していけば、いろんな人が認めてくれると日本人より親身になってくれるから。怠けて狡かったりすると裏切られてだめですね」。

 「30歳を過ぎて、何となく日本に帰りたいなと思っていた時に、『札幌に京王プラザが出来るので戻ってくるか?』という話をもらって、3年か4年いて、そして独立したんです。36歳ぐらいで独立して、札幌の後楽園ホテルがある隣りのマンションに、レストランをオープン。店の名はトーイズ。これは横浜のブリキのおもちゃの北原と、昔男3人で夢見ていた時に考えて、彼は彼で物件を探していたんだけれども、高くてなかなか出来なくて、ただ知り合いの中でぼろ屋があったんで、友人で、お化け屋敷みたいなのがあるけれどということで探して、今の元町の、本当にひどかったんですけどね、仲間が集まってみんなでペンキ塗って、掃除して、やったのがスタートです。彼もそんなにお金がなかったから、実家の遺産も放棄しちゃったから。奥さんの保険で借りてのスタートです。彼は1ヶ月前にオープンして、僕は札幌で1ヶ月後にオープンして、同じ名前にしたんです。協力し合って。ロゴ関係も向こうで作ってくれて」。

 「10年くらいずっとやってて、それからレストランの隣りでケーキの店もやり出した。百貨店の依頼があったんで、丸井さんやったり、なんだかんだ広げていって、手稲にも西友さんっていうのがあってそこでやったり、ケーキの店を店舗拡大していって、札幌の西岡にも店舗を作って、8店舗くらいやってたら、だんだん本当にヤバくなっちゃったんで。

 売上も多かったけど、人も多かったから、銀行はお金貸すし、イケイケドンドンでやったんだけど、これ~ヤバいなーと思っている時に、あるお客さんが、M&Aの話を持って来てくれて、でもやだなと思っていたんですけど、これも不思議なもので、うちの会社のバランスシートを、銀行にいる親代わりの義兄が一応、監査役をしてたので、見てもらったら『これはだめだ、危ない』ということで、自分の銀行とは別に、『後輩で力のあるやつが、札幌支店長で来ているからそれに相談しろ』ということになって。その銀行が仲に入って、M&Aで飲食店をやりたいというオーナーに話が繋がっちゃったんですよ。減少増収などをして都合3年ほどやって、朝里のここだけにしたんです。スタッフもみんな譲渡し、合併した時の銀行の借入は一切合切処理してくれて、今現在は何もなし」。

 小樽の中でも雪深い朝里は、不便ではないかと尋ねると、「全然都会。スイスなんて本当山の中だもん。ここは最高ですよ。もっと奥に行きたいくらい」と笑顔で答えた。

 2015年11月1日からは、朝里のケーキ店の2階で、ランチだけを提供するレストランも始めた。メニューはヨーロッパ修行で培った、肩ロースをトマトとバジルでさっぱり仕上げたポークのトマトシチューと、アメリカンソースに生クリームを贅沢に使った海の幸のクリームシチュー各1,000円(税込)、長時間かけて煮込んだ定番の濃厚なデミグラスのビーフシチュー1,600円(税込)の3種で、共にパンまたはライスとコーヒーが付く。野菜のマリネサラダと、1階のケーキ店とは趣が違う、シェフ特製のデザートが、300円追加で楽しめる。

 1948(昭和23)年生れの67歳。妻と犬2匹・ネコ1匹と暮らす。

トーイズスウィート

小樽市朝里川温泉1-306-36
電話0134-54-0501
ランチ
営業時間:11:30~14:00
定休日:水・木曜日
菓子工房
営業時間:10:00~19:00
定休日:水曜日

2015年12月のベストマスター
らーめん西や花園店

西尾 巧一郎マスター

 紋別発祥の「らーめん西や」の社長・西尾巧一郎さん(41)は、札幌生まれ紋別育ち。15年前に小樽に移住した。

 家業が焼肉店だったこともあり、料理人の道へ。10年ほど和食料理人として勤めたが、大のラーメン好きでラーメン屋に通い続け、ラーメン職人のエネルギッシュな姿に憧れ転職。小樽でラーメンの修行を積み、この道14年目となる。

 両親が住む紋別市で、ガリンコ本店と氷紋の駅店をオープンさせた。2011(平成23)年10月、本拠地を小樽に移し、小樽駅前に3店舗目を、2015(平成27)年6月3日に4店舗目の花園店の営業を開始した。現在は、人材育成のために、花園店に勤務していることが多い。

 駅前店は2階にあるため、階段を上らなくてもいいように、もともと好きだった花園で1階の店舗を探した。また、花園はラーメン店が沢山あるところで、より活気付け、お互いが競争して頑張れるのではないかと考えた決断だった。

 西尾さんの仕事は、仕込み・ラーメン作り・接客となんでも行い、人材の育成にも力を入れている。

 鶏がらスープと香味野菜をブレンドし、手間隙かけて納得のいくスープを作る。その町に合った味を追求し、地元の高齢者にも食べやすい味など、好みに極力応じるようにしている。また、丼や具材も温め、熱々のラーメンを提供。おすすめは、秘伝の味噌だれを使った“こってり味噌ラーメン”。

 接客スタイルを大切にし、真心込めた接客を心がけるよう指導。従業員もお客さんも笑顔になれる不満のない店を目指している。毎月、紋別の店舗にも顔を出しチェックも怠らない。店舗が増えた分、課題も多いが、実直な姿勢で取り組んでいる。

 最初の店舗を構えた頃、西尾さんは27歳・妻は20歳と若い夫婦だった。当時のお客さんからは沢山のアドバイスをもらい、育ててもらったと感謝を忘れない。

 「これからも、お客さんにアドバイスを頂きながら、より良い店を目指し努力していきたい」と目を輝かせながら話した。寒い冬は、西やのラーメンで温まろう!

らーめん西や花園店

小樽市花園3-2-14
電話:0134-26-6717
営業時間:11:00~20:00
定休日:日曜日
席数:20席

2015年11月のベストマスター
イノセンス

原 慎太郎マスター

 北照高校を卒業後、大工の道を14年間歩み、特にきっかけはなかったが、7年前にこの道に転職し、今月で8周年となった。

 初めての経験で戸惑うことも多々あり、涙したこともあったと開店当時を振り返る。最近、やっと楽しめるようになり、夢を売る仕事だと頑張っている。

 マスターの仕事はなんでもこなし、女性スタッフ7名が交代勤務。お客さんの笑顔を見るのが何よりだと、マスターと女性スタッフが楽しい雰囲気を作り、幅広い客層に対応している。

 笑顔の絶えないマスターの悩みを尋ねると、「太ること!」と一言。一時は、ドラえもんみたいに太っていた時があり、今もご飯が美味しくて誘惑と戦っているそうだ。

 趣味はツーリングで、愛車の750CCバイク・通称“ナナハン”に乗って、富良野風景を眺めに出かけたり、厚田や古平などのお気に入りの海岸線へ。

 来店2度目のお客さんが結婚式に招待してくれたり、なんてエピソードもあり、男女問わず可愛がられているマスターだからこその所以。

 30年後の70歳になってもカウンターにカッコ良く立ち続け、お客さんを楽しませることを目指している。

 「男性も女性もいるので、カップルでもお一人様でも誰もが楽しめる店と自負している。ぜひご来店いただきたい」とPRした。

 あったかい人柄がひしひしと伝わるマスターに、寒い冬を温めてもらおう!

イノセンス

小樽市花園1-12-20 NK7ビル2階
電話0134-32-5834
営業時間:20:00~心が折れるまで
定休日:日曜日

2015年10月のベストマスター
フランス料理 La Cheminee(ラ・シュミネ)

花形 信行マスター

 船見坂から、花園はしご通りの「花虎」跡に、今年5月移転しオープンしたフランス料理「La
Cheminee(ラ・シュミネ)」のオーナー兼調理長・花形信行さん(52)は、小樽出身で地元を愛する本格派フレンチシェフ。

 高校生の頃はバンドを組み、様々なイベントやライブハウスで演奏していたロック少年。高校卒業後、板前を目指して上京。東京新宿の京王プラザホテルに勤務しながら修行を積んだ。あまり興味がなかったフランス料理に人事の手違い(運命のいたずら?)で移行。辞めたいと思った日々もあったが、信念を貫き、東京と札幌の有名ホテルやフランス料理店を行き来し、10年の月日が流れた。

 東京のフランス料理店を男同志で訪れ、食事をしながら、前向きな会話や未来を語り合った時の食事やワインは、心を豊かにすると感じた。普段は短い食事時間でも、会話をしながらゆっくりと味わうことが大切だと痛感。その頃から、徐々にフランス料理は素晴しいと思い始めた。

 シェフ自身も和食や寿司が好きで、小樽はフレンチがなくても、寿司や鶏などの肉料理で人気を集める飲食店があり、他の町よりもフランス料理店を営むには難しい町であると感じていた。

 それでも、地元の人にフランス料理を楽しんもらいたい、いつか小樽で店を持ちたいと考えるようになった。

 10年前に、旧板谷邸内の海宝楼(東雲町)で洋食料理長を任された。2007年に5月に独立し、同じ場所で「ラ・シュミネ」をオープンさせた。「La
Cheminee(ラ・シュミネ)」とは、フランス語で暖炉を意味する。

 2010年5月に船見坂の入口近くの稲穂町に店を移し、2015年5月から現在の花園町で営業を続けている。地元をはじめ、道内外からリピートするお客さんに支えられているという。

 常に料理に全力を尽し、最高のおもてなしを心がけている花形シェフは、地元客には、普段、食卓に上らないような食材を使い、道外客には、北海道らしい食材を使うようにしているという。また、初めての人には、花形シェフの思いが詰まった、近海自慢の食材である“甘エビ”の前菜を出している。

 リピーターから、「以前提供された料理を、一緒に来店する人に食べさせたい」とリクエストされると、シェフとしては究極の喜びだそうだ。

 「小樽でも、色々な分野の料理が楽しめるよう食文化が育って、賑やかな花園銀座通りとなるよう、小樽っ子としても頑張らねば!」と抱負を語った。

 「居酒屋跡の店内には掘りコタツがあり、そこで寛ぎながらフランス料理を楽しんでもらいたい」とPRした。

フランス料理 La Cheminee(ラ・シュミネ)

小樽市花園1-11-17 はしご通りG5ビル2F(花虎跡)
電話:0134-33-1885
営業時間:ランチ11:30~14:30(L.O14:00)・ディナー18:00~23:00(L.O22:30)
定休日:不定休 なるべく予約を

2015年9月のベストマスター
食べ呑み家 さいとうさんち

斉藤 昌彦マスター

 新倉屋脇のあかり小路突き当りにある、食べ呑み家「さいとうさんち」の店主・斉藤昌彦さん(56)は、小樽出身で、4年前に脱サラして店をオープンさせた。

 店名の「さいとうさんち」は、分かりやすいという理由もあるが、アットホームな雰囲気を心がけ、斉藤家に遊びに来るような気持ちで、楽しんでもらいたいと命名。

 愛妻・美奈子さんと、夫婦で力を合わせて店を切り盛りし、料理上手な美奈子さんの家庭料理を中心に、斉藤さんも刺身など男の料理を担当し、安く楽しくをモットーに営業を続けている。

 店のおすすめは、土鍋の煮込みハンバーグ。あらかじめ仕込んでおいたハンバーグが普通サイズで2個入り、さらにチーズがとろりと溶けたボリュウム満点の人気メニュー。

 また、斉藤さん手作りのしめ鯖は、市販のものよりマイルドな酸味で、これも人気がある。鹿肉のガーリック焼きなど、お酒がすすむ新メニューを、いつも2人で考案している。

 11月からは、冬メニューとしておでんやもつ煮込みを再開する予定だ。宴会(14名程度)は予約で。希望する料理内容や値段等、相談に応じている。

 お客さんとの出会いがあり、会話も弾むと、斉藤さんにとっても楽しいひととき。変わらず、続けていきたいと思っている。以前勤めていた会社のお客さんが、わざわざ店を訪ねて来てくれた時は、とても嬉しかったという。

 小樽っ子の斉藤さんは、もちろん小樽が大好き!人口減少や様々問題も多くあるが、できる限り良くなってもらいたいと願っている。

 斉藤さんは、「家に遊びに来る感覚で、男女問わず、ひとりでも大勢でも気軽に来てください」と笑顔でPRした。

 また、9月末(2015年)まで「小樽ジャーナル見たよ!」で、会計から10%OFFのサービスを実施中。

食べ呑み家 さいとうさんち

小樽市花園1-4-9 新倉屋脇あかり小路奥
電話:0134-27-7255
営業時間:18:00~翌2:00
定休日:日曜日時々祝日

2015年8月のベストマスター
美容室 Faith ART HAIR

大澤 尚詞マスター

 小樽梁川通り商店街の「若鶏時代なると」の真向かいに店舗を構える、美容室「Faith ART HAIR」のオーナーは、小樽出身の大澤尚詞さん(37)。

 髪のおしゃれを追求する仕事上、自らもおしゃれな大澤さん。50歳代を中心に、子どもから80歳代まで幅広いお客さんに愛されている。

 市内の美容室に10年間勤務し、30歳を節目に開業に踏み切った。平成21年4月4日、現在の店舗を開き6年目となる。

 梁川通りの今の場所を選んだのは、有名店を目印に分かりやすいと思ったから。同商店街の人達との繋がりもでき、親切にしてもらい人の温かさを感じているそうだ。

 店名の「Faith ART HAIR」のFaith(フェイス)は、信念を意味し、初心を忘れないようにとの思いが込められている。

 カッ・パーマ・カラーリングの他に、気分転換となるようリラックスをテーマにした美容室でもある。頭皮の血行を促進し、デトックス効果やフェイスラインのリストアップ効果、頭痛・肩こりの緩和等を促すためのリラクゼーションメニューであるヘッドスパを提供。

 お客さんの悩みを聞き、できるだけ気になる所を改善する技術を提供することを、普段から心かげている。そのために、常に技術を磨く向上心の持ち主だ。

 開店時には、沢山のお花やお祝いが届き、応援してくれる人が沢山いることを、とても嬉しく思い感謝した。また、学生だったお客さんが、結婚・出産を経て、息の長い付き合いとなり、人生の変化を見守るのも楽しみのひとつだという。

 将来の夢は、“生涯現役”と答え、「予約制で、ひとりで行なっているため、迷惑をかけてしまっていることが気になるところではあるが、お客さんの悩みを解決し、会話をしながら一緒にヘアースタイルを作る美容師を目指している」と話した。

 その人に合うヘアースタイルを要望に答えながら、アドバイスしてくれるおしゃれな大澤さんに、イメチェンの相談にのってもらおう!

美容室 Faith ART HAIR

小樽市稲穂3-14-8
電話:0134-32-3075 要予約
営業時間:10:00~19:00
定休日:火曜日と他1日

お店のHP
2015年7月のベストマスター
もっきり荘

郷六 純一マスター

 浮世通りに店舗を構える居酒屋「もっきり荘」の大将・郷六純一さん(39)は、生粋の小樽っ子。

 4年前に入船町に店を構え、現在の場所に移転してから1年半が過ぎた。開店当初は立ち飲みで、ぱっと飲んで帰れる“もっきりスタイル”が良いと、名付けたのが「もっきり荘」。

 色々な街で食べ歩き味を比較すると、小樽の食べ物が一番美味しいと実感。食のレベルの高さを感じ、小樽なら間違いないと出店を決めたという。

 郷六さんは、車関係の仕事も手がけ、休日は、社会人サッカーチームで汗を流し、小樽選抜で、全道大会出場を控えている。

 また、北海男塾に所属し、神輿を担いでいるというからカッコイイ!! この時期は、市内各地の祭りに参加し、公私共々多忙だ。

 常連さんや知人から大将と呼ばれ、仕入れから仕込み、調理・接客と、段取りも良く、フットワークも軽い。ニュー三幸や花園のバーでの経験を活かし、店主自慢の一品料理でおもてなし。

 26歳の頃、母親を亡くし、高校生だった弟のための弁当作りから始め、料理の面白さにはまったという。お客さんのリクエストに応えて作った料理を、「美味しい」と喜んで食べてくれるお客さんの笑顔が、一番嬉しく思うそうだ。

 時間があると食べ歩り、美味しいものを見つけては、自分流にアレンジして提供する。メニューも増え、50種類以上が誕生した。「死ぬまで、誰かにご飯をたべさせたい!!」と笑顔で話す。

 最近のおすすめメニューは、生ラムのカルパッチョ。生ラムをたたき状態にし、苦手な人でも食べられる工夫を凝らしている。道内では、当店と他1軒でしか食べられないそうで、これを目当てに、92歳の常連さんが週1度は必ず訪れるという。

 また、店内には生簀があり、ドジョウが元気に泳いでいる。お客さん自らがドジョウをすくい、大将が唐揚げにして提供という、楽しくて美味しくて人気のメニューだ。

 親子連れでご飯を食べに来たり、仲間とワイワイ楽しい時間を過ごしたり、幅広い世代に愛される「もっきり荘」。

 facebookでも賑わい、今日のもっきりと毎日更新。人が人を呼び、閲覧回数6,000~7,000。ありがたく思いながら、日課となった更新を楽しんでいる。

 「おたる潮まつりにも出店する予定で、オリジナル辛味噌で炒める“シロコロホルモン”など、おすすめのメニューを味わってもらいたい」とPRした。

 男前の大将が腕を振るう自慢の料理を食べに、「もっきり荘」へ出かけてみよう!

もっきり荘

小樽市花園3-3-12 浮世通り
電話:080-3236-7362
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日・祝日
席数:33席(カウンター・小上がり)

お店のHP
2015年6月のベストマスター
居酒屋万来

大西 薫マスター

 創業47年になる居酒屋「万来(ばんらい)」の店主・大西薫さんは、とても75歳とは思えない、若くてダンディーな店主。帯広出身で28歳の時に小樽に移住。ずっと居酒屋を営んできた。

 当時の梁川通りは、スナックや飲食店が軒を連ねていた。ここの界隈では古く、『継続は力なり』と、今日まで続けてきた時を振り返る。

 店名の「万来」は、“千客万来”から名付け、たくさんのお客さんに来てほしいという思いが込められている。

 唯一の助っ人である妻と2人で、店を切り盛りする。仕入れも2人で、品物をひとつひとつ吟味して仕入れる。営業時間は、18:00から23:30までだが、昼間から仕込みをして、手抜きは絶対にしない。

 鯖の味噌煮は、骨まで食べらるほどじっくり煮込み、味が染み込んで絶品。長い年月の中でメニューも徐々に増え、今では80~100ほどになり、お客さんに注文されてから調理している。

 おすすめは旬の食材を使った料理で、春は、ウドやフキ・タケノコなどの山菜料理を、常連客は心待ちにしていという。

 大西さんは、山菜を料理するだけではなく、山菜採りも大好きで、春は、アイヌネギやウド・タケノコ、秋には落葉キノコを採りに、山々へ出かけるのを楽しみにしている。魚は大ぶりの春シャコや、これからはマスも美味しく、手に入った時には素材を活かした調理が喜ばれる。人気メニューは、「カツとじ」で、ご飯のおかずや酒の肴に注文が多い。

 ほとんどが固定客で、夫婦で来られる常連さんも多く、大西さんの身内のようだったり、友達みたいな会話が続く。お客さんとの会話も楽しみのひとつで、冗談を交えながら、お互いに楽しい時間を過ごし、それが若さの秘訣になっている。

 昨年、山菜採りで転んで骨折し、創業以来初めて3ヶ月間も休んだそうだ。再開を多くのお客さんが待っていてくれた。その時、店を辞めることは、とても度胸がいる。寂しくて辞められないと思った。元気なかぎり営業を続け、お客さんが喜ぶ美味しい料理を作り続ける。

 店内には大西さんが描いた猫の絵が飾ってある。「グループ’96」に加盟し、毎年、美術館で開催する作品展に参加している。昨年12月の作品展では、猫の表情が豊かに描かれた6点を出展し、来場者に喜ばれていた。また、15年以上江差追分に親しみ、唄い続けている、多彩な才能の持ち主だ。

 大西さんは、「旬の食材を使った料理を、ぜひ食べてもらいたい」とPRした。

居酒屋万来

小樽市稲穂3-17-2
電話:0134-27-3810
営業時間:18:00~23:30
定休日:水曜日
小上がりテーブル3つ、カウンター10席

2015年5月のベストマスター
有限会社カネキン澤崎水産

澤崎 千春マスター

 小樽出抜小路に3店舗を構える有限会社カネサン澤崎水産は、海鮮丼が自慢の食堂と海産物販売の店。そのオーナー澤崎千春さん(67)は、海鮮の鮮度にこだわる熱血な人。

 澤崎さんは、国後生まれの根室育ち。若い頃、インテリアデザイナーだったこともあり、その経験が、海鮮丼のデザインにも活かされているという。

 根室では、何代も続く水産会社を経営し、イクラの醤油漬けは、150年も続く伝統の味。醤油加減が絶妙で、一度食べたら、また食べたくなる味。ビン詰でも販売し、カニなどの海産物の地方発送も承る。

 小樽へ来て18年目。小樽商工会議所の勧めて、ウイングベイに海鮮食堂を出店。その近くの築港7に活カニ専門の水産工場を開業した。10年前から小樽出抜小路に店舗を構え、現在、ウイングベイ店は閉店したが、札幌狸小路には姉妹店がある。

 オーナー自ら店頭に立ち、仕入れから販売、カニを茹でたり調理・盛付け、接客までなんでもこなす。豊富な経験を積んだオーナーならではの最高の丼を食べた人は、みんな笑顔になる。丼の味もさることながら、3号店からは、運河の倉庫群が見渡せるロケーションもご馳走だ。カウンター12席のこじんまりとした店内は、オーナーとの距離も近く、会話も弾む。

 オーナーおすすめは、人気NO.1の特選ちらし丼。茹でたてのカニと活きたホタテ、伝統の味付けのイクラ、寿司ネタで言えば、16カンが丼に収まったようなもの。食材は、鮮度と旨さを吟味したものだけを使用。丼に乗り切らないため、イクラの下には、サーモン・甘エビ・トビッコなどを敷き詰め、その上にカニ・エビ・ホタテ・ウニをトッピング。ネタが新鮮だと食材が隣同士になってもそれぞれの味が保たれているという。

 ぜひ、北海道の鮮度を感じてもらいたいと太鼓判を押したマスターの語りには、説得力がある。

 北海道のグルメを紹介する雑誌にも掲載され、店自慢の海鮮丼が表紙になったこともある。世界のレストランやホテルを紹介するインターネットのトリプルアドバイザーや食べログ等で紹介され、世界11ヵ国から丼を食べに来店する。

 また、店に関する投稿画像が100件以上で、常にトップランキング入り。店舗横や店内には、来店者からの感想が書かれた張り紙がびっしりと貼られ、「今ままでで一番うまかった」・「世界一の味」・「食べなきゃ人生損をする」など、熱いメッセージが残されている。

 7月~9月は、インターネットで知った観光客や世界各国からのリピーターが大勢押し寄せ、1時間40分待ちとなることもある。「北にライバルはなし!」と笑顔を見せた。

 ここまで人気が出るまでには苦労もあった。店の近くを通る人に声を掛け、営業して回ったこともあったと当時を振り返る。

 年間5~6万人が来店してくれているが、年齢のこともあり、あと10年続けるとして50万人に丼を提供できるが、出来れば、1,000万人にこの味を伝えたいという。

 常連客から”おやじ”と親しまれ、自慢の丼を笑顔で提供。鮮度にこだわりを持ち、海鮮に詳しいオーナーは和食好きと思いきや、普段は、洋食屋にも出没し、お気に入りのランチを楽しんでいるそうだ。

有限会社カネキン澤崎水産

小樽市色内1-1 小樽出抜小路内
電話:0134-23-2112
営業時間:11:00~20:30
定休日:11月~4月木曜日・5月~10月無休

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