ベストママ

2006年3月のベストママ
ママキッチン 台所のお友達

石戸 直子ママ

 小樽都通りで、野菜や洗剤などのキッチン用品を販売する「ママキッチン 台所のお友達」の店長として、市内のママの手伝いをするママ。

 ママは39歳、小樽市塩谷生まれの樽っ子。「人と掛け合う仕事が好き」と、働いてきたところはほとんどが接客業。親戚が八百屋だったことや、八百屋で働くことも多かったため、「八百屋で働くのが好きだね」という。

 「出不精なんですよ」と笑って話すママは、小樽を出たことがない。ママが20代の頃は、「小樽にも勢いはあったのよ。今では都通りを歩く人も少なくなっているから、一人じゃ出来ないけど、みんなで活気を取り戻していきたいの」と、元気良く買物客に「今日は何がほしいの」と声をかける。

 以前は、同じ場所にあった「100円ショップ小樽店」で、従業員として働いていたが閉店。100円ショップの花園店に移ったが、すぐに離れた。

 「100円ショップ小樽店」があった建物から火災が発生し、昨年10月頃に新たな建物として復活。ママは、仲間を集め、「急にやったってどうなるか分からなかった。オープンした時は、野菜が高値だったけれど、心意気が大事だと高値に負けず、出来るだけ安く販売したの。商売は儲けるだけではない気がするのよ」と、2005年12月26日に「ママキッチン」をオープンさせた。

 心意気で高値な野菜に負けず、出来るだけ安く提供。「自分たちが食べていけて、お客さんにおいしいものを買ってもらえれば幸せ。本当はもう少し広いスペースで品物を出したいんだけどね」と、店内に並ぶ野菜を見る。

 「うちの野菜が一番ってわけじゃないだろうけど、天下一品って言って売りたい」と話すママは、小樽のママに、元気と新鮮な野菜を配る「ママキッチン」の店長だ。

ママキッチン 台所のお友達

営業時間10:00~18:00(月2回日曜定休)
小樽市稲穂2-11-5
0134-33-5856

2006年2月のベストママ
Cafe あんな

湊 かおりママ

 小樽都通りで、ホッとひと息つける「Cafe あんな」のママ。2005年4月にオープンした。そっと、オレンジ色のやさしい光がアーケード内に灯る店。「ひょんなことから始まった」という。暖かくやさしいコーヒーを提供する。

 7人掛けのカウンター席とテーブル席ひとつの細長いお店。以前の店のままのスタイルで、電球の笠を手作りするなど、ママの工夫が凝らされている。おすすめするコーヒーは、札幌にある横井珈琲の豆。カフェプレスという器具を使って、一杯一杯丁寧に落とす。やさしさが一緒に注がれ、味わい深いコーヒーとなっている。「あんなブレンド」(350円)。

 ご主人の「会社を辞めて、ラーメン屋をやりたい」の一言から始まった、「あんな」ストーリー。出抜小路の説明会などに参加してはみたが、「素人では無理だ・・・。お前カフェ出来るべや」と、何気ないご主人の言葉から、とんとん拍子に話が進んでいったという。

 「おかげさまで、お客さんはもちろん、家族などたくさんの人に支えられて今がある。本当に感謝している。『あんな』は、安らぐに平和の和。来てくれるお客さんにホッとしてもらいたい」と微笑む。

 ママは、“大変”“がんばろう”という言葉が一番嫌い。「『大変だね』って、よく言われるけれど、楽しいからやっているので、大変だと思ったことはない。“良かったね”って言葉が一番好き」という。

 「小樽は好き。ホッとする街。海が近くにあって落ち着くし、ちょうど良い時間の流れ」と、ホッとする小樽でホッと出来るカフェを営む、「Cafe
あんな」のママ。

 現在、大好きな小樽市内にある喫茶店を知ってもらおうと、「喫茶店のスタンプラリー」を企画中。

Cafe あんな

営業時間10:00~21:00
小樽市稲穂2-14-12
0134-23-7211

2006年1月のベストママ
Snnack COURREGES クレージュ

古田 和代ママ

 「夜の道で生きていくと決めたのは20代の頃。私がこのスナックを開業した頃は色々厳しくてね、『若いからすぐ潰れるんじゃないか』などと、よく言われましたよ。でも、すぐ辞めたら『ほら』って言われるのが嫌で、負けるもんかと必死でやりましたよ」と話すママは、店内を大好きなガラスで飾る「COURREGES(クレージュ)」のママ。

 生まれも育ちも小樽。小さい頃から髪の毛をいじることが好きで、美容師を目指して修行をしていたこともある。もともと、身体が弱かったママは、美容室で研修をしていた頃に、忙しさのあまり体調を崩した。

 その後、体調が良くなったママは、知人から夜のアルバイトを紹介されたという。夜の仕事をしてから、給料の違いにびっくり。美容室で働いていた時と比べると「3倍は違った」と話す。それから、もう昼の仕事には戻れなくなった。

 スナックやパブ、クラブなど色々な所で経験を積み、自分でスナックを開業。当時は、若くして店を持つ人は少なく、「本当に大変だった」。お酒も強くなく、「トイレに駆け込んだことも、たくさんありましたよ。建物が古く、トイレは他店との共同で、暖房設備もなく寒かった。お客さんも、寒い中、待たなければいけなかったのよ」と話す。

 クリスマス、お正月などとイベントに合わせて店内を飾る。お客さんが歌っていると「私も歌っちゃうの」とにっこり笑う。「開業してから、私の亡き母が作ってくれていた、いももちは人気商品なの。売り切れることがないように、今は私がたくさん作っているのよ」と、油で焼くいももちは自慢の品だと話す。いももち2個一皿500円。

 「小さい時は、運河が臭くて嫌だった。でもね、今は、小樽の街しかないものがあって好きよ。小樽も本当に不景気。でもね、生まれながらの土地を出て、他で一儲けしようなんて思わない。ぽちぽちでもいいから、私が元気なうちは、この小樽の街で続けたいの」と、小樽で夜の看板を背負うママ。飲み放題プランも2,500円から用意しているので、ぜひ、若い人にも来てもらいたいと話す。

Snnack COURREGES クレージュ

営業時間19:00~0:00(ラストオーダー)日曜定休
小樽市花園1-8-8(さわだビル)
0134-22-6555

2005年12月のベストママ
婦人洋服店 ハカタ

山岡 セイ子ママ

 「私の主人はダンディーだった。ロマンの塊だったのよ。本当に良い男だったわ」と、亡くなったご主人の店を、長年一人で守り続ける、花園の婦人洋服店「ハカタ」のママ。

 40年前にご主人の山岡祥二さんが創業した「ハカタ」。繊維や呉服などを販売していた。「当時、(祥二さんが)こげ茶色の風呂敷を担いで出かけたのを、今でも思い出すわ。小樽の港が栄えていてね、なんでも売れたのよ、本当に」と、当時の活気があった小樽を思い出す。

 大型店などの進出で商売は難しくなってきているが、11年前に花園にあった店から、現在の花園公園通りに店を新たに出した。11月1日には2号店として、都通りアーケード内に稲穂店をオープンさせた。「小樽の人は本当に優しい。今、こうやってお店があるのも、ずっと通い続けてくれるお客さんがいるからなのよね」と、小樽人の暖かさを感じているという。

 お店を手伝い始めたきっかけは、20年前に亡くなった具合の悪い夫の体を支えるためだったという。「毎日主人の写真を見て、『1日がんばります』と見守ってもらってます」と、店のレジのそばに飾ってある祥二さんの写真を見上げる。新しい店を持てて、小樽のお客さんが通い続けてくれるのは、ご主人が導いてくれたんだという。

 「今は長男にお店を譲りたい、残したいと、そんな思いで毎日がんばっています」と話す、元気で明るいママ。買物客に親身になって、「この服がいい」、「じゃあ、わたしが着ちゃおうかな」などと、冗談も交え接客する、花園の婦人洋服店「ハカタ」のママ。

婦人洋服店 ハカタ

営業時間10:30~19:00(不定休)
小樽市花園1-11-12
0134-22-0555

2005年11月のベストママ
喫茶コロンビア

尾花 涼子ママ

 「小樽の近所の方々に助けられ、今でも助けてもらい本当に心強い。小樽の人は本当にやさしい」と語る、小樽歴10年で商大生のママとも呼ばれる、喫茶コロンビア(花園1)のママ。

 大自然に囲まれた十勝で生れ育ち、高校を卒業してから、仕事の関係で帯広や札幌、苫小牧、赤平など北海道を色々回ったという。仕事場で知り合ったコロンビアの啓史マスターとの結婚は、「無理やり婚だった」と笑って話す。

 仕事の都合で十勝から札幌に行くことになったママを、マスターが車で連れて行くことになった。その途中、マスターが「コーヒーでも飲まない」と聞き、「はい」と喫茶店に寄ることに。「その喫茶店は、マスターの実家(浦臼)で、親戚中が集まり待ち構えていたのよ。私は絶句して、本当に何も話せませんでした」

 その後、上司から言われた「男性に惚れられて結婚するのが、女性は一番幸せ」の一言で、「そうかなぁ」と結婚したという。

 そのマスターの第2の人生の夢は喫茶店を始めること。10年前に売りに出されていた現・コロンビアを見に来て決めたという。初めての小樽、商売とあって「何も知らず、商売も人も初めてで大変だった。でも、ご近所さんに本当に助けられた。今でも『たばこやさん』、『蔵寿司さん』や近所の方々に助けられ、仲良くして頂いている」

 「当時は本当に忙しかった。この花園の通りはすごく賑やかだったの。店の前でケンカがよくあって、何度も救急車を呼んだことがあります」と当時を思い出す。

 「今では花園を歩く人が少なくなり、3、4年前は昼の11:00から夜中の3:00まで営業していたが、今では12:00には閉めるの」と寂しそうに窓の外に目をやる。しかし、「毎週決まった曜日に来てくれる常連客のため年中無休で営業し、12月31日は初詣のため、夜11:00から元旦の朝5:00まで営業しているの」と語る。

 「休みはなくて大変だけど、唯一の楽しみは、月に一回のポーセレン・レースドール教室に東京まで通う4日間の休暇」

 この教室に通い始めて4年が経ち卒業間近。資格を取り、北海道小樽で来年の2月に教室を開き、たくさんの人に知ってもらいたいという。

 10年前にオープンしてから、商大生の集いの場として、活躍する喫茶コロンビアはすべて手づくりで、ラジオやテレビにも出演するほど。ここのチョコレートパフェはボリュームもあり大人気。小樽人であれば「コロンビア」と聞くと、ここ花園の喫茶店が頭に浮かぶくらいだ。この喫茶コロンビアの看板
「商大の卒業生が遊びに来てくれたりして、本当にありがたい」と、客一人一人を大事にする、学生のママであり花園の美人ママ。

喫茶コロンビア

営業時間11:00~0:00(年中無休)
小樽市花園1-10-2
0134-22-4995

2005年10月のベストママ
靴の地球屋

高橋 希未子ママ

 「靴を見飽きる時は死ぬ時。元気なうちはずっと靴屋をやっていく」と、現役バリバリで“靴の地球屋”(花園1)を営業している看板娘。77歳の元気ママ。

 小学校5年生の時に手の骨を折って、その夏の修学旅行1泊2日の海水浴に行けなかったことがあり、頭の中でずっと「小樽」に行きたかったというママは、樺戸郡浦臼町鶴沼出身。「21歳の時に、姉の紹介で知り合った小樽出身の旦那と結婚したの。小樽出身に惹かれてしまって」と、念願の小樽移住を果たした。

 「靴の地球屋」は、希未子ママの夫・高橋栄治氏が創業してから55年が経つ。当時の小樽では、スキーが栄えていたので、栄治氏は、職人を集め、レース、ジャンプなど、競技用のスキー靴を注文だけで作っていた。

 1953(昭和28)年冬に、花銀で商売する客が「寒い、寒い、暖かい靴はないの?」と入って来て、その時に、動物の皮を中に入れて防寒靴を作ったことがきっかけになり、広く知れ渡ることになった。職人が7、8人働き、東京からも地球屋の靴を買い求める客がいたという。

 創業から13年後に、アメリカから、プラスチックのスキー靴が輸入されるようになった。地球屋では、手縫いのスキー靴の製造を打ち切り、紳士・婦人靴の製造だけに絞った。その後、栄治氏は「俺を死んだと思え、この靴屋を潰すも、活かすも、お前の自由だ」と、ママに言い残して、紳士靴のメーカーを立ち上げに東京へ上京した。「どんなに苦しいことがあっても、辛抱したとは思っていない。前向きな性格なの。絶対人を恨まないって信念も持っている」と、ママは当時を思い出しながら語る。

 アメリカからのプラスチックのスキー靴の輸入増加により、地球屋の職人も減っていき、婦人靴の小売店へと移り変わり、靴を仕入れに東京に足を運ぶようになったという。ママは「今では、札幌で仕入が出来るようになり、身体が楽になった。仕入れに3時間もかけて、自分でも履きやすいものを見つける。問屋さんに説教することもあるの」と、笑いながら話す。

 「朝の挨拶が一番大事、それが自分に対する元気づけ。心に張りを持たせる」と、現役バリバリの靴の地球屋の看板娘。77歳の花銀ママ。 

靴の地球屋

営業時間10:00~19:00(年中無休)
小樽市花園1-10-2
0134-22-5537

2005年9月のベストママ
Cafe&Bar ポプリ(香葉)

平野 ケイ子ママ

 花園グリーンロードの向いにあるCafe&Bar ポプリ(香葉)のママ。小樽と同じ山と海がある木古内町の出身。高卒後に叔父を頼って、小樽生活を始めた。

 最初は時計店に勤め、その後フジカラーに10年。旧青山別邸(貴賓館)に11年半と、キャリアウーマンとして活躍。この間、結婚も離婚も経験した。

 友人がビルを建て、店をやらないかとの誘いに応じ、昨年12月1日にオープン。

 「何も基礎が無く、突然のオープンなのに、お客さんが来てくれるようになってうれしい。これまでお世話になっていた青山別邸(貴賓館)の人たちも来て頂いているし」と、お客への感謝を忘れない。

 小樽の街は、良くも悪くも、よそ者を受付けないところがあり、かつて営業に回った頃は苦労したと振り返る。しかし、小樽の街は、一度受入れてもらえると、親身になって声を掛けてくれて、本当に人情味のある所だと思うと話す。

 「海があって、山があって、夏は泳げて、冬はスキーもすぐ出来る。四季を身体で感じて住めるのが良い。春に一斉に花が咲く頃が好き。これからの秋は、冬がすぐ来るのでちょっと淋しい」と、柔らかい口調で話す。

 18歳高卒後からの小樽生活も既に35年。今ではすっかり小樽人としての日常がある。ソシアルダンスが趣味というママは、店をオープンして、「結構大変なのよ。身体が痩せてしまって」と、脱サラからの転身に戸惑うことも。

 10:00から営業し、モーニング・ランチ・ナイトメニューがあり、日替り弁当(780円)は4品付きで、冷凍物を使わず、手間を掛けたものを提供し、お客さんから上品だねと言われるという。

 微笑うと一層細くなる目が柔らかい、笑顔が溢れる、花園ママのひとり。

Cafe&Bar ポプリ(香葉)

営業時間10:00~21:00(日曜定休)
小樽市花園3-4-9
0134-33-7965

2005年8月のベストママ
enn エン

新(あたらし) 明美ママ

 「小樽の女は尽くすのよ。尽くし過ぎて小樽の男は駄目になってしまうのよ!」、「人と居るのが好き、酒を飲むのが好き」と言うママは、花園町では1カ月余り、なりたてホヤホヤの新人ママ。

 天狗山スキー場で子供の頃から滑っている、市内長橋生まれ。双葉高を出て、市内都通りの洋品店に勤めた後、自動車ディーラー店に勤務。ハワイに行けるのが楽しみで、夜のバイトを始め、勤めたスナック店のママに可愛がられ、何でも相談に乗ってくれたと感謝する。

 6月下旬に店をオープンして、1カ月ちょっとが経った。ママと呼ばれるのも最近になってからで、まだ実感が湧かないが、明るい店の女の子たちに助けられているという。

 何でも円満に丸く収まるのが好きで、○を描いてエン(enn)の店名にしたという丸好き。お店に来ることは、いろんな人に会えてうれしい。

 小樽の人は、地元意識が強いが、やさしく付合えてすぐに仲良くなれるのが良い。

 「スナックのママがこう言うのは良くないですけど、生き甲斐は子供たちですね」と、24歳で結婚し、1男1女の母でもある。もう一度結婚して傷つきたくないと言うが、スナックのママの仕事を理解してくれる人が入れば良いなとは思うと明るく笑顔で話す。

 最初はお客からも無理だろうと言われた店も、2カ月目に入り順調に滑り出している。

enn エン

小樽市花園1-8-11
とみたビル2F
0134-24-2028

2005年7月のベストママ
スナック祥(さいわい)

関根 順子ママ

 「旅に出ても、小樽駅に降りた時と、国道5号の朝里のカーブを曲がり、小樽の街の灯りが見えると、本当に心からホッとするのよ」と、小樽人なら誰でも抱く感慨が好きという。生まれも育ちも小樽っ子の還暦+2年生の小樽人生を送る。

 小学校は1年から3年までを量徳小で、4年から6年が堺小、中学も西陵中から東山中に。学校の適正配置の影響をもろに受けた世代だ。

 来年で廃校予定の量徳小と堺小、すでに廃校となった東山中と、「私が行った小学校も中学校も全部無くなってしまうのよ。淋しいことだね」と嘆く。「7月9日に堺小のクラス会を市内のホテルで開き、最後だから学校を見学して当時を偲ぶの」と言う。

 「おまけに出身の双葉高校も男女共学になってしまって、女子高だったのに残念だ」と嘆きが止まらない。

 高卒後、大黒屋デパートに9年勤める。当時はとても活気があり、デパートガールは「花、花、花だったのよ」 結婚して1男1女を育てる。

 45歳の時に花園にスナックをズブの素人で遅咲きのオープン。今年の4月にリニューアルしてオープン。水商売が好きで、札幌すすきので修業した娘さんが手伝うことに合わせてのリニューアル。今では親子と長年勤める女性とで、常連客の相手を和気あいあいと務める。

 「昔ゴルフをやっていたけど、リュウマチで指が曲がって出来なくなったのでやめたの。店は同じ場所で17年もやっているのよ、判るでしょ、私の性格が。ドライブは好きだが、だれも乗せてくれる人もいないし、今はただ歩いているだけなの」

 「62歳にしてこの艶なのだから、うちの看板女優ですよ」と、店の女性の声。

 マイクを握ったら放さない、カラオケ好きの明るく気さくな62歳のママ。

スナック祥(さいわい)

小樽市花園1-9-20
潮銀座ビル1F
0134-29-2355

2005年6月のベストママ
凪 nagi

中村 さやかママ

 35年間の小樽生活。廃校になった石山中学の円形校舎のホールや螺旋階段を懐かしむ樽っ子。

 高卒後、日本ビジネス総合専門学校で学び、札幌で東洋水産などでOL生活。当時は、札幌と小樽では10万円も給料が違ってたという。小樽の生協の花屋さんを任せられ8年間。花のアレンジなら結婚式でもなんでも出来る。「花を見ていたら幸せ」で、花屋さんになるのが夢。今すぐにでも花屋さんになりたい。カントリー系のアンティーク雑貨を集めるのが大好きで、高いけどお金をかけて集めている。いつかは花屋+雑貨+珈琲の店が持てたら最高と、夢を追いかける。

 花園暮らしは、まだ4年間。アルバイトで2年間。2年前にスナック『凪
nagi』をオープン、花園ママの仲間入り。海が好きで店名も内装も海のブルーと穏やかさから取っている。

 泣くときもいつも海を見ながら、大同倉庫前の港に車を止めて泣いている。もちろん、悔し泣きよ。集中力を高めて考え事をする時も、いつも夜の港に行く。

 はしご酒を主催する北観協の幹事を務める。海あり山あり人情のある小樽が好き。ハキハキした口調の明るいママだ。「昨日は姪っ子の運動会で、こんなに日焼けしたのよ。」

 独身で花婿募集中。好きなのはゴルフ。今年は110を目指す。

凪 nagi

小樽市花園1-9-7
スターライトビル3F
0134-24-6333

2005年5月のベストママ
すし処 握「なか一」

中峰 久美ママ

 岩見沢生まれ。10歳の時小樽に引越し、花園小、菁園中から、「お嬢様しか入れない双葉高に行ったのよ!アッハッハ。」

 高校の時から、市内の洋菓子店でアルバイト。「高卒後も就職先がなかったので、そのまま雇ってもらった」と、ケーキ工場に2年間勤める。「私がいた頃のおばちゃんが、そのまま売店にいて、懐かしがってくれる」という。

 20歳から、花園で3軒のスナック経営をしていた父の店を、姉と手伝う。その頃は、土曜日など行列ができ、カウンターもびっしりで、大盛況だったという。美人姉妹として有名で、「姉は私よりきれいよ。」

 25歳の時店のお客さんだった寿司職人と結婚。「お店のお客さんだったのでだまされた!」

 中峰信二店主は、TVチャンピオン全国寿司職人選手権の第1回・第2回連続優勝の腕前。「ちょうど、握なか一の店を建てていた最中の3回目は、優勝を逃し、2位になっちゃたのよ。がっかりしたわよ。」と嘆く。以後、二人三脚での寿司店経営。2000年7月に色内大通りと寿司屋通りの角に新店をオープン。2005年4月には「小樽出抜小路」にも出店。「出抜小路」の小さな店では、客との会話も弾む。飲みっぷりの良いママはぐいっと盃を飲み乾す。

 現在は、仕事と3人の子育てとでいっぱいいっぱいで、「ゴルフのセットは持っているが、スコアの数が数えられないくらいよ。」

 「家に帰ると、自分一人で飲む時も、ベッドに行けず、流しの前で寝ていることが何度もあるのよ」と笑う。「でも流しの前で寝ていると、子供が引きずってベッドまで運んでくれたり、タオルケットをかけてくれたりと、可愛いのよ。お母さんがだらしないので、子供がしっかりしているのよ!アッハッハ」と、3人の子持ちのママの顔になる。

 明るさと頭の回転の良さと美貌でお客をさばく。隣の客が「ママはお勧め上手と書いといて!」と声がかかる。「ワサビとガリは、もういくらでもどうぞ!」 38歳の美人ママ。

すし処 握「なか一」

小樽市色内1-10-1

0134-24-1777

お店のHP
2005年4月のベストママ
スナック アリュール

三上 幸江ママ

 花園1丁目に昨年オープンした『アリュール』のママ。祝津の生まれで、海が大好きのママ。シャネルの香水名から取った店名『アリュール』は、音の響きから一決した。

 「ネットで調べたら、気品のある振る舞いとか、華麗さなどの意味が有ったのですぐに決めたけど、洗剤の名前と間違われるのよ」と大笑い。若い頃は、運転免許をとって運転の仕事をやっていたという。お菓子や製麺、飲料水等の配送を2年間やったが、朝の3時半から夜までの勤務で死ぬかと思ったと、当時を振り返る。

 18歳から花園で夜のバイトを始めて、気が付いたら夜一本になっていた。27歳の時から友達と共同経営の店を3年やって、昨年12月から独立。一人立ちのママとなった。「お風呂が大好きで、入ったら長いのよ。最低3時間は入って、のんびりするの」

 20歳で結婚。二女の子育てに孤軍奮闘中だ。「次女は、お笑い芸人を目指している。天然だから」

 最近は、ネイルアートに凝っている。2週間しか保たない手と足のネールに6時間かけるという。

 ちょこちょこなんでもやって見たいタイプといい、スノーボードやゴルフもかじる。今年はゴルフをいっぱいやりたいと目を輝かす。「小樽の夏が大好き。早く夏にならないかな」と、夏好きの元気で明るいママ。

スナック アリュール

小樽市花園1-11-18
0134-24-4484