“マッチャン”と親しまれる、花園繁華街にある“ほたる”のママ(55歳)。エンジ色の作務衣に身を包み、料理に腕を振るう。
小樽市高島の漁師の娘として生まれ育つ。店のこだわり料理は、やっぱり魚。生ガキを中心とした創作料理や自家製のしめさば、魚介類のカルパッチョ、あさり蒸しなど、店内のあちらこちらにメニューが貼り付けられている。卓メニューがないので、首を回し、身体を動かしてメニューを探すのが面白い。
20年前の離婚を機に脱サラし、1998(平成10)年に7.5坪の店をオープン。「友達から皿をもらったり、漬物石をもらったりと、手を差し伸べてもらって店がオープン出来た。ほたるの灯りにともされるような気持ちになった」と、店名は『ほたる』に。
「ほたるは1年一生と、か細いけれど、私のほたるは根太く生きてみようと、“ほたる”という字は太く書いた」と力を込める。そんなママを支えるのは長女。「忙しい時はケンカしながらやってるの」と話すママだが、そんな掛け合いも客の楽しみである。
約4年前から現在の店に。元々寿司屋だった店内をそのまま使用し、ショーケースには魚をずらりと並べる。「ここ2、3年、売上げも伸びず、本当に不景気。でもうちの店には温かい人ばかりが来てくれる。居酒屋なので、カラオケや有線はないけれど、カウンター越しに会話出来るのが何よりも楽しみ」と笑顔で語る。
小樽花園で居酒屋“お刺身・焼き魚 味処ほたる”を切り盛りするママ。
マロンコロンの“あまとう“を支えるママ。食の安全問題が全国規模で取り沙汰される中、「常に自分の家族に食べてもらうような気持ちで、衛生・品質には特に気を付けている」と、自社製品へ細かい目配りを忘れない。
創業78年のあまとうは、主力のマロンコロンやクリームぜんざいなどで、全国各地から好評を博している。マロンコロンは、同社の代表的商品に成長し、人気度も高い。
先代から手作りにこだわり続け、いくら需要が多くても、「自分の目が届く範囲で製造を続ける」と話す。
「男性は結果を見ることが多いが、女性はその過程を大事にする。ただ売るだけではなく、同じ焼き菓子でも、ちょっと袋を変えたりするだけで、お客さんに喜ばれる」と、女性の視点で販売方法を考える。
防腐剤や添加物を入れず材料にこだわる。新商品のサンドイッチを作る際も、何ヶ月もの期間を研究に費やした。グリンピーススープは、材料そのものの味を引き立たすため塩は入れず、客の好みで入れてもらうようにしているという。
生け花や押し花、料理、踊りと多彩な趣味を活かし、店の装飾にも力を入れ、店内の花はすべてママが活けている。
「あまとうにお客様が足を運んでくだされば、商店街にも人が流れる。お客様との会話が好き。地元のお客様を大切にして、美味しいものを作り続けたい」と、小樽から全国まで菓子を届け続けるママ。
小樽市内8地域で、絵手紙とパステル画サークルの講師を務める。カウンセラーや交流分析士など、多種多様な資格も持つ勉強家だ。
オホーツク周辺の中湧別(なかゆべつ)出身の池田さん(46)は、高卒後、札幌で就職。田舎町で育ったことから、土日のほとんどは小樽に足を運び、ほっと一息ついていた。
小樽の叔母夫婦の紹介で小樽出身のご主人と結婚。出産のために仕事を辞め専業主婦に。“これが私の勉強の日々の始まり”と、カウンセリングや油絵の勉強を始めた。
油絵教室では、作品を全否定され、絵を描くことを諦め、見て楽しむようになった。しかし、テレビで絵手紙の描き方の特集が行われており、“ヘタでいい、ヘタがいい”の言葉に勇気づけられ、絵手紙の世界に。
小樽の街並みが好きで、都会に住むことに疲れたと、長男が小学校に入る前に、札幌の家を売って小樽に移り住んだ。
日本絵手紙協会の公認講師までとなり、小樽でサークルを開いた。「綺麗な絵でなくていい。絵手紙なんだから、文章が伝わるように描いたらそれで良い。下手でも素人っぽさがあった方が温かみを感じる」と、ハガキから絵がはみ出るくらい大きく描くことを特徴にしている。
「絵手紙ブームは過ぎたが、やりたいという人がいる限り続けたい。今後は子供のアート教室を開きたい。絵を上手に描くということではなく、感性を育てられるようなアート教室にしたい」と夢を語る。
「私は、講師とか先生と呼ばれるのは好きじゃない。やりたい人のお手伝いをするサポーターという気持ちでサークルを開いている」と、大好きな小樽で趣味のお手伝いに力を入れる。
2007年9月のベストママ
vivre sa vie + mi-yyu
岡本 有美子ママ
幼い頃からの夢である、雑貨屋“vivre sa vie + mi-yyu”(ビブレサビプラスミーユ)を、大好きな小樽の街で今年7月にオープンした。
札幌育ちの岡本さん(34)は、幼い頃から父親に連れられ、小樽の古い建物やアーケード街などを巡った。大人になってからも、小樽の古い街並みが大好きで、友達と一緒にランチに来り、ひとりでもよく小樽散策を楽しんだ。
今年に入り、色内通りにある小樽市指定歴史建造物の旧早川支店を借りられることになった。大好きな小樽の街の歴史ある場所で、夢の雑貨屋をオープン出来るとあって、職場で知り合った金田一美由紀さん(39)と2人で、すぐに準備に取り掛かったという。
岡本さんは、フランスから直輸入した絵本や雑貨を担当し、相方の金田一さんは、友人が立ち上げたオリジナルブランドの衣類やアクセサリーを担当。古い木材のイスやベッドを利用して商品を陳列。ここにも2人のこだわりが感じられる。
店名の“vivre sa vie”はフランス語で、人生を生きる、生活を楽しむの意味。その名の通り、店内には、可愛い雑貨や絵本が並び、2人で営むことから、「vivre sa vie」+「mi-yyu」(美由紀さんの呼び名)となった。
「小樽は、近所の方々が温かく、皆さんに応援されて頑張っている。近所付き合いがあって、いつも声をかけてくれるので、小樽のこの場所でオープン出来て良かった。」
外から見ていた小樽を、今度は中から見るようになり、またひとつ小樽の魅力に気づいたと話す、犬好きのママ。
“ただいま”“お帰り”。わが家にいるような、家庭的な雰囲気が、客の足を2度3度と運ばせる。娘と姪っ子と一緒に営み、アットホームなスナックで知られる“Ryoga”のママ。
秋田で生まれ積丹で育ち、バス通学で小樽商業高校へ。在学中、親に無理を言って小樽に下宿したため、生活費は自分で稼いだ。
その後、様々な人生行路を歩み、女手ひとつで娘と息子を育てるため、昼夜を問わず働き続けた。
飲食店のアルバイトをしていた時、このまま調理の仕事を続けるならと、調理師免許を取る頑張り屋さんだ。「究極の負けず嫌いなのよ。オホホ」
そして、ホテルのレストランで調理師としてさらに腕を磨いた。2年前に、花園で娘さんと一緒に、現在の店をオープン。店の名前を息子さんの名前から取り、“Ryoga―亮河―”に。「一生懸命考えた名前で、親子で頑張れる気がする」と話す。
ママの優しさとフレドリーさで、店内はわが家のような雰囲気になる。「友達に連れられて来たお客さんが、1人で来てくれるようになるのが嬉しい。そんな気楽な雰囲気なのよ」
“ただいま”とスナックの扉を開き、1日の出来事を話しながら酒を傾ける客も多い。調理師のママが腕をふるう創作料理も人気がある。チャーム1,800円(税込)、飲み放題(4名以上)で2,500円から(焼酎・ウィスキー)。
人にも環境にも気配りを欠かさない心優しいママ。手宮で生まれ育ち、「小樽の自然や灯りを見るとホッとする」と、環境問題への取り組みを、小樽から発信したいと張り切っている。
国道5号線沿いで美容室「TWINKLE」(ツインクル)を営む。幼い頃、近所の美容室の仕事を覗くのが好きだったというママは、高卒後、札幌の専門学校へ。大きな美容室に勤務したが、流れ作業が合わず、小樽で開業。
美容室経営の傍ら、福祉ボランティアを15年以上続けている。「どんな人でも、オシャレをして街に出たいはず」と、店内をバリアフリーにし、お年寄りや体の不自由な方にも、気軽に来店してもらえるように対応。
常に相手の気持ちを考えることが大切というママ。元お笑いタレントなどで作るグループ「元お笑いタレントなどで作るグループ「チームGOGO」が、環境問題についての号外を配布する取り組みを手伝いたいという気持ちから、今年、福祉ボランティアの活動とともに環境問題についての活動も始めた。
最初は、小樽市内でこの号外を配布するだけで良いと思っていた。しかし、実行委員会のメンバーの熱意に触発され、6月22日の夏至の夜に、電気を消してロウソクの灯りで環境問題について語り合う「キャンドルナイト
in おたる」を実施。
企画の段階で色々な意見のぶつかり合いもあったが、「互いに違うところで生きている。意見も違う。違うけれど、環境問題というひとつのものを見ているから分かり合える。思いはひとつ」と、イベントは成功し、市内家庭や飲食店・企業なども停電運動に参加してくれたという。「環境問題はかじったばかり。でも福祉も環境も同じ。ちょっとした思いで出来る。自分だけでなく、ちょっと相手のことを考えてあげるだけで出来る」
2人の息子を育て、地域のために福祉や環境について熱く語る、心優しいツインクルのママ。
ここに来ればトマトのことが全部分かると言われたい。実家の農場(仁木)で自然栽培している野生トマトを使った商品9種類を揃える「北乃とまと屋」の若き女性店長。
仁木出身の29才。家族経営の農場で育ち、「父が外に出してくれなかったの」と、仁木中・仁木商業と近場の学校に通った。英語は苦手だったが、小樽短大へ入学し、猛勉強したという。
卒業後、一度札幌の企業に就職したが、地元仁木に戻り、小樽の観光ストリート堺町通りにあるオルゴール堂に入社。短大で身につけた苦手分野の英語が、アジア観光客への接客に存分に活かされたという。海外に向けた商品開発にも携わった。
しかし、4月25日にオープンしたトマト専門店「北乃とまと屋」の店長に。回転寿司とっぴーのとまと焼酎販売店として、臨港線沿いにあるとっぴー横の小さなプレハブ小屋で販売にいそしむ。とまと焼酎を取り扱う店は、全国に3軒、全道では初だという。
完熟とまと焼酎をはじめ、トマトジュース、トマト酢、リキュール酒、ワイン、ソフトクリーム、ジェラートなど9種類のトマト商品を揃える。実家で一生懸命育てた不純物を一切使用しない、野生トマトの引き締まった果肉と濃厚な果汁をふんだんに使った、自然の甘さを持った商品が自慢。「試めしてもらえれば納得してもらえる」
酒が大好きな丸谷さん。晩酌時には、ビールから始まり、日本酒、焼酎、ワインなど。ワインは、まるまる1本飲み干してしまうことも。そんな丸谷さんは、とまと焼酎のトマトジュース割りをおすすめする。全道初のとまと焼酎取扱い店となり、「今後は、色々な新商品を開発して、全道一・全国一の品揃えを目指したい」と張り切っている。
小さい頃からトマトをたくさん食べてお肌がツルツル。ニッコリ笑って出来るえくぼが可愛い北乃とまと屋の店長さんは、現在、彼氏を募集中だという。
たっぷり愛が込められたコーヒーと癒しの空間を提供する、喫茶店“2月16日”のママ(58)。
“2月16日”は、床や天井など店内は総ヒノキ。ご主人の勝章さんが丹精込めて作った。じっくり時間と愛を込めて作られた夫婦2人の喫茶店だ。
2年前の2月16日にオープンする予定だったが、準備が遅れて3月に。内装はもちろん、自家焙煎のコーヒー豆、厳選した紅茶葉に、ご主人のこだわりが光る。もうひとつ、ママのこだわりは、手作りジャムとそのジャムサンド。
栄養士の資格を持つママが、自宅で大事に育てた無農薬の山ぶどう・ハスカップ・ブルーベリーなどを使って作った、9種類の無添加ジャムは人気商品。近くの商店街からも、250円で提供されるコーヒーとジャムサンド目当てに訪れるファンが多い。
20年前に小樽に移り住んだ。スポーツが趣味で、特に水泳が得意。プールに行けば必ず1kmは泳ぐという。今は、プールに通う時間が作れないほど、喫茶店の仕事に追われている。
「小樽には、もうちょっと元気になってもらいたい。若い人たちも街に出て来て、小さな喫茶店に寄って、コーヒーや紅茶を楽しんでもらいたい。若い人たちが市街に出てくれれば、少しは活性化するのに」
おたる都通り商店街裏の中静屋通りにある、こだわりいっぱいの店で、ほっと一息。
2007年4月のベストママ
ハンバーグガーデン アーリーダイニング
三浦 理紗ママ
ウィングベイ小樽(築港)2階ハイカラ横丁にあるハンバーグ店・アーリーダイニングの店長(28)。手ごねでやわらかくジューシーなオリジナルハンバーグを作る。28歳の若さで店の運営・メニューなど、すべてを任される店長。
小樽出身のひとりっ子。幼い頃は、卵の白身を泡立ててメレンゲを作って遊んでいた。ケーキを作って食べることが大好きで、白身を泡立てるとなぜメレンゲになるのかと疑問を持ち続けて、桜中・潮陵高卒後、札幌の調理師専門学校へ。
1年後、小樽グランドホテル洋食部に就職し、学校で習ったことだけでは通用しないと、ショックを受けたこともあった。練習練習の毎日を送り、学校では教えてくれないプロの技術を学んだ。
数年後、知人の紹介で、アーリーダイニングの店長に。 3ヶ月間、知人に相談するなどメニュー作りに試行錯誤。現在は、基本のハンバーグ8品と四季折々の数品を提供。日本人の口に合うように、和風食材で味付け・工夫を凝らす。平日(月~金)には、フォカッチャバーガーセットをランチ限定で提供。
「最初は泣きたいくらい辛い事もあった。もう2年近くやっているが、まだまだ大変。でも、小樽は良い人たちが集まる街だから、小樽を出て店を営業しようとは思わない。今は買物ついでに食事に来てくれるお客さんが多いが、今後は、アーリーダイニングで食事をしたいと来てくれるようになれば嬉しい」と話す。
髪を束ね、ユニホームである黒いシャツとエプロン姿で、従業員に指示を出して店を切り盛りする、アーリーダイニングの若きママ。
市内稲穂2丁目にある炭火自家焙煎珈琲“アルチザン”のママ(43)。店内の装飾や料理のアイディアなど、オープンからずっと焙煎職人・亘希マスター(44)をサポートする。
みどりママと亘希マスターの2人は、小樽出身で、高校時代からの長い付き合い。高卒後、亘希マスターが、ウエシマコーヒーに就職し、岩見沢支店配属。みどりママは、小樽に残り、札幌などのデパートに販売員として勤務。5年間の遠距離恋愛のあと、マスターが小樽に戻り市内のカフェに勤め始めたので、2人はゴールイン。
1998(平成10)年にアルチザンをオープン。焙煎職人のマスターの横で、コーヒーや接客の勉強を始めた。「お客さんからお金を頂いて飲んでもらうので、美味しく飲んでもらいたい」と、テイスティングコーヒーを飲み過ぎて具合が悪くなったこともあったという。
オープンからすでに9年が経ち、二人三脚で店を営み、小樽の街の変化する様子を2人で見てきた。オープン当初は、大手企業などの社員がよく足を運んできたが、築港にマイカルがオープンしてからは、企業の撤退などで客足がどんどん減ってきた
オープンしてから、小樽はめまぐるしく変わってきている。どんどん悪くなってきている。でも、この店を気に入ってくれている地元のお客さんに支えられている。
メニューには、炭火焙煎のコーヒー8種類と自家製パンが用意されている。「主人の愛がこもったコーヒーを、ちょっと一息つきたい時に飲んでもらいたい」と笑顔で話す。生まれ育った大好きな街小樽に、炭火焙煎のコーヒーの香りを漂わす。
“いらっしゃいませ” 素敵な笑顔で客を迎え入れる花園ネオン街「華婉」(かえん)のママ。
小樽長橋出身。今も実家に母と住む。高卒後、8年間OL人生を送り、スナックでのアルバイト経験も。酒は弱かったが、この仕事を始めてから強くなったと話す。
2005年12月に店をオープン。「アルバイトの経験しかなかったけれど、思い切って始めました。経験が無かったから出来たのかもしれません」と笑う。
客からは「今日もきれいだね」と声を掛けられるママは、21歳の時にミスおたるに選ばれた。上司に「行って来い」と言われ、営業の仕事かと思ったが、ミスおたるの選定会場だったという。東京や広島など全国に小樽のPRに回った。
趣味はサウナと温泉。休みの日には、近場の温泉で疲れをとる。一番ホッとする場、癒される所。アウトドアも好きという行動派。家の庭で焼肉したり、夏場は日光浴に散歩。
「小樽が好き。義理や人情が好き。一度も出たことがない」と、これからも店を続け、酒酔い人を迎え入れる。7人もの若いスタッフに囲まれ、どんなに忙しい時でも、素敵な笑顔で客を楽しませる。
小樽に“すえおか”のママありと知られている。80才を超えても、その記憶力・判断力・説得力には、いささかの緩みも見せない。
樹齢350年のニレやタモの巨木にこだわった木造りの店は、花園で20年、富岡にそっくり移築して21年、計41年間の過ぎ去った時の重みをしっかりと刻み込んでいる。
小樽地獄坂の酒亭「すえおか」のママは、酒は一滴も飲めないのに、培った人脈の広さと情報力で、81才になった今でも現役バリバリで、周囲からは一目も二目も置かれる存在だ。酒亭のカウンターの向こうから、小樽の街の盛衰を自分の眼でしっかりと見てきた。小樽に生まれ育ち、東京の津田塾で英語を修得した“才媛”の足跡は地球を何回りしてもたりない。
日本山岳会の会員で、世界の名だたる高峰に何回も出掛けた。1968(昭和43)年には、ネパールからヒマラヤのエベレストにトレッキングに行った。「エベレスト・ビューホテルから、真向いに見たエベレストが忘れられない。飛行機の窓から、雲のはるか彼方にカンチェンジュガが見えたのにはびっくりした」という。以降、7~8回もヒマラヤに行き、日本人がヒマラヤに行く先駆けとなった。「最後のツアーは4、5年前に行ったのよ」と、当たり前に語るやわらかな口調は、まるで年齢を感じさせない。
アラスカのマッキンレー、アフリカのキリマンジェロ、中近東やシリア・ヨルダン・ウズベキスタンと、人の行かない所ばかりに行った。キリマンジェロに登った時に「山頂にはひからびた豹の死骸はなかったわよ」と、ヘミングウェイも真っ青にする元気さだ。さらに一昨年には、マッターホルンをスキーで、JALの機長の息子さんと滑り降りたという。
8年前からは、PC(パソコン)を独学でマスターし、「画面に出てくるイルカちゃんとどれくらい遊んだか分からないわよ」と、インターネットを駆使する。「小樽ジャーナルもお気に入りに入っているわよ」
80の坂で店を辞めようと思ったけど、趣味の俳句や水彩画を画いているだけだとボケてしまうからと、新年からは営業時間を夕5:00から10:00まで、料理1人3,000円のシステムで店を続けていくとますます張り切っている。
小樽生活80年を超えて、情報発信を続ける小樽地獄坂の酒亭のママ。