建物探索

荒田商会

住所 色内1-2-17

 運河沿いの臨港線に面している。海産物を商い、後に海運業までに成長した、荒田太吉商店の本店事務所として、昭和10年に建てられた、木造モルタル2階建ての左右均等に、窓が配置されている事務所らしい建物

磯野商店倉庫

住所 色内2-2-14

 明治20年、新潟県佐渡出身の磯野進が興した磯野商店は、佐渡の味噌や新潟の米、縄、筵の販売で成功し、海産物商として地歩を築き小樽の有力な商店になった。
 磯野は後に、小樽商工会議所の会頭を務めた。
 この倉庫は明治39年建てられたものであり、赤レンガ造り2階建てで、内部にもこの赤レンガが露出し、独特の雰囲気を醸し出している。
 この辺り一帯に磯野商店の店舗や倉庫が立ち並んでいたが、この倉庫が唯一の遺構となっている。
 現在は海猫屋(珈琲軽食)として、活用されている。

右近倉庫

住所 色内3-10-18

 この倉庫は北前船の船主であった北陸商人、右近権左衛門が建てた大規模な大型倉庫である。
 アーチ状の大きな入口を持ち、どっしりとした構えがいかにも倉庫だということを物語っている。
 その正面の壁に船旗に染めた「一膳箸」の//の印が付けられている。その下に2つの窓が従っている。

梅屋商店

住所 色内1-6-25

 色内大通りにはいくつかの店舗建築が残っているが、この明治39年に建てられた木骨石造り3階建ての梅屋の店舗もその一つ。
 梅屋は洋物の卸問屋で、呉服を扱う隣の塚本商事とは対抗関係にあった。
 倉庫と見間違う石造り店舗は当時小樽の大火に備えられたもの。

越中屋ホテル

住所 色内1-8-25

 色内大通りの三井住友銀行小樽支店の向いに建つこのクラシカルな建物は昭和6年(1931年)建てられたが、この建物ほど昭和の歴史とその変遷にさらされたものはない。
 建てた当時から外国人専用のホテルとして、10年間ほど使われた。その後、戦争中の昭和17年には日本陸軍の将校クラブとして接収された。終戦と供に今度は、米軍に接収され、昭和25年に越中屋旅館に還された。
 昭和27年になると、相続税の物納として、大蔵省に所属し昭和30年に北海製菓に払い下げられた。同社の独身寮として使われた。
 一時取り壊しも検討されたが、歴史的建造物の保存運動の高まりと供に外資系のアドバンテスト社がゲストハウスとして購入。改修工事を行った。
 平成5年になり現在も小樽グランドホテルクラシックをして、営業を開始した。表面から見るデザインのユニークさがアールデコのステンドグラスや丸窓に見られる。内部の装飾もクラシカルな趣をみせており、落ち着いたホテルとして愛されている。

大家倉庫

住所 色内2-3-11

 臨港線に面し、ひときわ目立つ偉容を見せる大型の石造り倉庫だ。まるで親亀に小亀を乗せた格好の越屋根の造りがおもしろい。
 北前船の海産物問屋大家商店の大家七平が、明治24年に建てた自家用の倉庫。正面に入口の二重アーチがあり、屋根の壁には屋号がつけられている。
 数年前までブリキ玩具の博物館として利用されていたが、現在はそのままの姿をさらしている。

小樽市博物館

住所 色内2-1-20

 市の歴史的建造物に指定されている同館は、1894年に建設された旧小樽倉庫を再利用している。
 左右対称の建物の屋根には銀瓦製のシャチホコが鎮座し、館内では小樽の歴史が紹介されている。

入場料100円、9:30~17:00 無休。

小樽商工会議所

住所 色内1-6-32

 小樽の商業都市としての発展に伴い、多方面の産業で小樽商人の活躍が目立つようになった。その有力な商人たちの中から小樽商業会議所設立の動きが高まった。
 明治28年に設立された商業会議所初代会頭に山田吉兵衛が選ばれた。
 明治38年日露戦争後、小樽の経済界は益々発展した。昭和3年に小樽商工会議所と改め、その拠点として昭和8年に現在の建物が建てられた。
 鉄筋コンクリート造り3階建て地下1階の建物で色内大通りのウォール街の一角を占めた。内部には小樽全盛期の雰囲気が偲ばれる会議室や、ステンドグラスの看板、窓の周囲には飾りの彫刻が施されている。

小樽倉庫

住所 色内2-1-20

 この倉庫は、加賀の北前船主の西出孫左衛門が、明治23年から27年にかけて建てたもの。当時の近江商人に対抗して、その威を示す力強い造りになっている。
 木骨煉瓦2階建て造りの事務所を真ん中において、左右対称に置かれた平屋建て木骨石造り倉庫。屋根の上にシャチホコが陣取り天に向って泳いでいる。
 この倉庫は北海道に於ける営業倉庫の第一号で、小樽の倉庫業の発展を築く基になった。小樽運河を目の前にして臨港線に面しているこの建物は現在は運河プラザ、小樽市博物館、小樽倶楽部などとして利用されている。かつての小樽の商業の隆盛を今に伝えている。

旧日本郵船株式会社 小樽支店

住所 色内3-7-8

 明治39年 (1906)10月に、日本郵船小樽支店として新築され、11月には、ポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が開かれたことで名高い。
 石造り2階建ての豪壮堅固な建物で、昭和59年から3年間に修復工事が行われた。建物の至る所に美しい彫刻や装飾模様がみられ、天井の飾り模様、シャンデリア、壁の金唐革紙、柱頭飾り、絨毯,蒸気暖房など明治期建築技術の粋が集められている。外観の重厚さと内部の華麗さのコントラストがおもしろい。
 この支店の移転に伴い、昭和31年に小樽市が購入、重要な文化遺産として一般に公開されている。小樽が国際外交の華やかな舞台となった記念碑で、国の重要文化財に指定されている。

入場料100円、9:30~17:00 月曜休館。

旧北海道拓殖銀行小樽支店

住所 色内1-3-1

 色内大通りと浅草通り(日銀通り)の交差点(すなわちウォール街の中心地)の角に立つ。1923年(大正12年)に建てられたもので、角が丸を帯びたアーチ状にカーヴしており、大正建築の北海道を代表するビルでもあった。
 平成2年に小樽ホテルとなり、後ペテルスブルグ美術館となったが、所有者の丸井今井のリストラで売りに出され、平成12年に市内の運輸会社が購入、ホテルチェーンのホテル1・2・3グループに貸出し、ホテル1・2・3小樽をオ-プン。
 1924年(大正13年)には、作家の小林多喜二が小樽商高卒業後に就職したことでも有名。

渋沢倉庫

住所 色内3-3-20

 小樽運河の北端の北運河に面して建つ3つの屋根が特徴的な倉庫で、中心の大きな倉庫の左右に細長い2つの倉庫が平行に配置されている。
 大正4年小樽に進出した財閥企業の出先倉庫で大屋根の壁には渋沢倉庫の社章が付いている。2つの倉庫はそれぞれ別の時期に建築され、小樽北運河と壁に名前のつけられている倉庫は、明治28年の建築で、もう1つの倉庫は大正4年以降とみられている。
 正面の色ガラスの装飾は小樽オルゴール堂2号館として使われた頃の名残りである。

島谷倉庫

住所 色内1-2-18

 小樽臨港線の一本裏手の出抜小路の細い路地の奥まった所にある、小さな木骨石造り倉庫。
 この小路には石造り倉庫が数多く残っており、大小様々の色々な形の倉庫を楽しめるところだ。
 時代がタイムスリップする味わいのある小さな平屋建ての倉庫だ。

第一銀行小樽支店

住所 色内1-10-21

 1924年(大正13年)にウォール街の一角に建てられた。旧第一銀行小樽支店で角が丸味を帯びたシンプルな石造り4階、地下1階のルネッサンス様式を取り入れた建物。

第四十七銀行小樽支店

住所 色内1-6-25

 小樽には富山県に本拠を置く十二銀行、中越銀行、第四十七銀行と三つの銀行の支店があった。
 このうち現在残っているのが、昭和初期に建てられた第四十七銀行小樽支店の、木造2階建てにタイルを施した建物だ。
 道路に面した正面玄関にはギリシャ様式の円柱が4本並んで、銀行らしい面影と富山県と小樽とのつながりを今に伝えている。

高橋倉庫

住所 色内1-2-17

 荒田商会の一歩裏手にある木骨石造り2階建ての倉庫。大正12年にロンドン相場を動かしたと言われる小豆将軍の高橋直治により、大正12年に事務所として建てられた後に倉庫として使われた。
 高橋は越後出身で、故郷の新潟からの海産物や米を扱い、特に小豆の取扱いでは一世を風靡した。後に高橋合弁会社を設立。小樽選出の初の衆議院議員となった。
 倉庫を観光用に再利用し始めた先駆けとして、グラスショップとして利用されていた。現在は、オリジナルオルゴールショップの海鳴楼が使用。

田中酒造店

住所 色内3-2-5

 田中酒造店は明治32年創業の古い造り酒屋。昭和2年に建てられたこの店舗建築は、かつての酒造店の趣を多く伝えている。  昭和初期にかけての小樽の商店の典型的な外観で現在は代表的な「賓川」を店で試飲もでき、内部を見学しながら一杯を楽しめる。
 同じ店舗建築の堺町本通りのさかい家と比べると当時の商店の特徴がよくわかる。

通信電設浜ビル

住所 色内1-2-18

 小樽運河に沿う臨港線に面して建つ鉄筋コンクリート4階建ての左右対称のデザインの落ち着いた建物。
 昭和8年に建てられ4階部分の窓枠がアーチを描いているのが特徴的で、玄関には左右対称の円柱で照明がこの柱に組み込まれている。
 小樽での最初の貸しビルといわれ、石原裕次郎の父親が勤めていた山下汽船の小樽支店もここにあった。

塚本商事

住所 色内1-6-27

 色内大通りに面し、木造2階建ての黒光りするこの商店の建物は独特の雰囲気を醸し出している。大正9年(1920年)に建てられた建物は小樽の繊維問屋だった塚本商店の繁栄を映している。
 現在では、輸入インテリアの店舗となっており、うっかりすると見逃しそうな佇まいである。

名取高三郎商店

住所 色内1-1-8

 寿司屋通りを於古発川(通称は妙見川)に沿って下ると、色内大通りと堺町本通りとに分ける高島橋にでる。
 この川は、かって高島郡と小樽郡とに分けていた境界で、このあたりを「さかい町」と呼んでいる。
 この橋のたもとに黒いかわら屋根の石造りのがっちりとした2階建ての家屋がある。
 この建物は、甲州出身の金物問屋名取高三郎の店舗兼住宅で、色内の大火の後の明治39年(1906年)に建てられた。
 防火のために、隣地との境界に、2階までを覆う石造りの高い防火壁を回している。火事に対する備えの万全さは、当時の小樽の町の火事の多さを示している。

日本銀行小樽支店

住所 色内1-11-16

 この見事な建造物を眺めるには、夕暮れ時から夜にかけ、ライトアップされた時が良い。
 赤レンガの東京駅や日銀本店の設計者として知られる辰野金吾の設計により、1912年7月(明治45年)に建てられた歴史的建造物。
 石造り建築に見えるが、レンガ造りのモルタル仕上げで、重厚な迫力のあるルネッサンス風の建物。壁面には数々の彫刻があり、屋根の上には塔屋があり、銅葺きのドームの曲線が美しい。側面に廻ると、また違った趣がある。雪をかぶった冬の時は又、一段と美しい。
 2002年(平成14年)9月13日15:00に営業終了し、16日に41代目支店長で、支店は正式に廃止となった。日銀ではこの由緒ある建物を利用し、2003年(平成15年)5月14日より日銀初の「金融資料館」としてオープンし、日銀の広報活動の拠点となった。

日本石油倉庫

住所 色内3-6-18

 日本郵船小樽支店の道路を挟んだ運河側には、輸出入用の倉庫がいくつも建てられていた。
この倉庫の跡地に、平成10年に、運河公園の造成工事が始まり、大正9年に建てられた木骨石造り平屋建てのこの小さな倉庫は、解体して新しく同じ場所に建て替えられた。
 現在は、整備された運河公園の休憩所となっている。

日本郵船小樽支店残荷倉庫

住所 色内3-7-6

 隣接する社屋と同時に明治39年に建てられた石造り平屋建ての倉庫。壁や窓の仕様も社屋と同じで、中庭でつながっている。
 平屋の倉庫だが屋根が高く勾配の傾斜が目立つ。チョコント乗せられた塔屋が特徴的である。

早川支店

住所 色内2-4-7

 明治38年(1905年)に建てられた木骨石造り2階建て店舗住宅。
 早川商店は、茶、紙、文房具を商う問屋だった。大正初めに暖簾分けで、川又商店となった。
 商店の裏側に木造の住宅部分が昭和になって建てられた。料亭と見間違う風情がある木造の建物だ。

広海倉庫

住所 色内3-10-19

 北陸の海産物や塩・砂糖などを商った北陸商人広海二三郎が、店の商品保管用に建てた倉庫。
 明治22年に建てた腰屋根方式の倉庫で、中二階を持ち、それが中央の2階へと繋がっている大きな倉庫である。
 平成10年には修復工事が行われ、見違える姿を見せた。

北海道銀行本店

住所 色内1-8-6

 日銀小樽支店の向いに建つ。日銀支店と同じ頃の1912年(明治45年)に建てられた。
 この建物もライトアップされており、その石造り2階、地下1階のが夜になると映える。
 現在の北海道銀行とは何の関係もなく、旧北海道拓殖銀行に吸収され、拓殖も破綻して当時の建物だけが残っている。
 現在は北海道中央バス本社ビルとなっており、道路に面した所で、アーチ状に作られた石組みの窓周りの斬新なデザインや装飾の彫刻が美しい。ワインカフェとして、小樽バインがある。

増田倉庫

住所 色内3-10-19

 北運河も終わる辺りに運河に面して、3つの大きな倉庫が並んでいるが、その倉庫の1つで、一番南に位置している。明治36年北陸商人の増田又右衛門の所有から増田倉庫の名が残っている。
 木骨石造り2階建てで、木組みの洋風の対束小屋組みのクィーンポストトラスという構造をもっている。

旧三井銀行小樽支店

住所 色内1-3-10

  色内大通りに面し、小樽グランドホテルクラシックの向いにある銀行らしい建物。
 鉄骨鉄筋コンクリート造り、2階、地下1階なので、正面にある5つの石組みのアーチの外壁がライトアップに浮かび上がる。
 内部もレトロな作りで2階に廻り廊下があり、天井が吹き抜けで高くゆったりとした気分にしてくれる。
 大正15年7月着工し、1927年(昭和2年)完成した。
 2002年11月18日に閉鎖し、札幌支店に統合され、建造物は「白い恋人」の石屋製菓が購入した。

三井物産小樽支店

住所 色内1-9-1

 最近のオフィスビルと見間違う鉄筋コンクリート造りのこのビルは、明治42年に小樽に進出していた三井物産の小樽支店として、昭和12年(1937年)に地下1階地上5階の事務所ビルとして建てられた。
 装飾を排除した真四角の単純明快な合理的なアメリカ式デザインは、装飾の多い明治建築との違いを際立たせている。
 玄関の大理石や重厚なエレベーターにレトロ感覚が残っている。当時の商社の機能性が伺える。

三菱銀行小樽支店(北海道中央バス第2ビル)

住所 色内1-1-12

 旧ウォール街の交差点に立つ鉄筋コンクリート4階、地下1階の建物。
 三菱銀行の小樽進出に伴い1922年(大正11年)に新築した。1階正面の6本の半円柱がギリシャ・ローマ建築様式をうかがわせる。
 建築当時は全体にレンガ色のタイル張りだった。

安田銀行小樽支店

住所 色内2-11-1

 駅前の中央通りを下り、色内大通りとの交差点にある。
 ギリシャ建築様式の太い4本の円柱が正面と側面をそれぞれ飾っている。交差点の角は直角に取られており、丸味を強調した第一銀行小樽支店や北海道拓殖銀行小樽支店との違いが明白に判る。
 1930年(昭和5年)に安田銀行の小樽支店として建てられたが、現在は北海道経済新聞社の社屋となっている。
 中央通りの拡幅工事で、建物全体を移動させ保存する、昭和初期の典型的な銀行建築だ。

上勢友吉(うねせともきち)商店

住所 入船1-1-5

 石造り3階建ての商店として独特の風格を持つ建物で、大正10年(1921年)に建てられた。
 瓦屋根の中央に屋根窓(ドーマ窓)が高く突き出しているのが特徴でアーチを描く庇、縦長の各階の窓にはキーストンがあり、この建物にアクセントを与えている。
 純石造りの洋風店舗としては小樽に残る唯一のもの。

久米商店

住所 入船1-5-9

 小樽は大火がたびたび起ったが、商店は新築する際には防火に工夫を凝らした。
 酒や食料品、雑貨を商った久米商店が明治30年に建てた店舗。
 建物の両袖は煉瓦積みの防火壁が守り、2階の窓には、蔵の扉のような暑い防火扉が設けられている。

塩田別邸(現夢二亭)

住所 入船2-8-1

 明治22年に創業した塩田回漕店の塩田安蔵が大正元年頃に建てた別邸。
 木造平屋建てで、屋根の形が特徴的で右手に石蔵がある。
 平成3年の改修工事で木造を生かした竹久夢二の大正ロマンにちなんだ名の料亭として復活した。

中越銀行小樽支店

住所 入船1-1-2

 現在の堺町本通りと入船通りなどが交差する、入船七差路のメルヘン交差点の角にある。
 富山市にある中越銀行北海道の第1号支店で、大正13年建築の鉄筋コンクリート造り2階建て。
 外観の2階部分のタイルと雷文模様が目を引く。その後、北陸銀行となった。
 現在は菓子店の銀の鐘が入っている。

天上寺本堂

住所 入船4-32-1

 長野の善光寺を模して建てられた。木造平屋建ての屋根は二段構えになっており、いかにもミニ善光寺だ。
 明治13年に開運町(奥沢十字街)に浄土宗函館中教院小樽出張所を開いたのが、この寺の始まりで、明治15年に天上寺と改称し、明治23年(1890年)に入船に移転し本堂を建立、大正4年に現在に移築したもの。
 本堂の屋根の妻入りは入母屋平入りが多い小樽の寺院の中で唯一のもの。

戸出物産小樽支店

住所 入船1-1-1

 メルヘン交差点の一角にある。この辺りは入船川の河口で、港と繋がり、当時は海陸交通の要衝だった所だ。
 交易独占権を持った恵比寿屋が、交易所(運上屋)を置いた場所で、この運上屋の跡地近くに建てたのが、富山の戸出物産小樽支店で、大正15年の建築で、衣料呉服の店舗だった。
 鉄筋コンクリート3階一部4階建ての洋風建築で、窓も大きく取られ当時のモダニズムが漂ってくる。この店舗の裏にはレンガ造り3階建ての倉庫が隣接している。
 現在は土産物店として活用されている。

岩永時計店

住所 堺町1-21

 堺町本通りに面して建つ、倉庫群の屋根に乗るシャチホコ飾りを持ったしゃれた店舗が目に付く。この辺りはウォール街や港にも近く、商店も軒を並べ、賑やかなところであった。
 この店舗は明治29年に建てられた、木骨石造りの建物で、商店の建物としては小樽でも最も古い建物のひとつ。2階にバルコニーが設けられ、中央にアーチ状の入口を設け左右に窓が設置されており、そのそれぞれの窓の戸が防火用を兼ねたガッチリした造りであることがわかる。
 平成3年に建築当時の姿を再現するために改修され、見事に蘇っている。既に、100年を超える歴史を持つ老舗の時計店で、店内にある大時計は100年を越す時を刻み続けている。現在も営業中で、喫茶店「砂時計」が併設されている。

金子元三郎商店

住所 堺町1-22

 妙見川を下って、堺町本通りに入ったところにある、木骨石造り2 階建ての赤瓦屋根のガッシリとした建物は、明治の商家として、明治20年に建てられた。
 初代小樽区長、後の衆議院議員の金子元三郎の店舗。ここは、明治の論客中江兆民を主筆に迎えて小樽最初の日刊新聞『北門新報』が、明治24年に印刷発刊された記念すべき場所となった。

木村倉庫

住所 堺町7-26

 小樽はガラスの街として知られているが、小樽観光の名所となっている北一硝子が、倉庫を再生利用し、小樽観光の目玉として全国的に有名になった建物である。
 建てられたのは明治24年、海産物業・倉庫業・船問屋・不動産業などで成功した木村円吉だった。鰊の海産物倉庫から始まり、小樽の発展と共に営業倉庫として次々にこの近辺に倉庫を建て、1号から9号倉庫までが建てられた。
 臨港線と堺町大通りに挟まれた3号倉庫は、昭和58年北一硝子3号館として蘇った。歴史的建造物を再利用した先駆けであり、店内の広々とした空間を利用し、ガラス製品の販売店として観光客が群れを成している。
 木骨石造り建築の倉庫内が中央の通路で分かれており、その通路に荷物搬入用のトロッコのレールが今も残っている。この周辺には北一関係のガラス工房やベネチア美術館などが立ち並んでいる。

久保商店

住所 堺町4-5

 堺町本通りのちょうど真ん中にあり山を背にして建つ、商家とそれに続く石造り倉庫とが一体になった建物。
 明治23年に小樽に来た久保与三五郎がここで小間物販売と卸業を営んだ。
 明治40年に建てられた木造2階建て店舗。引戸で通りに大きく店先が開くように工夫されており、当時の店先を彷彿とさせる。
 現在は、甘味処のさかい家として利用されており、倉庫から入り、このレトロな店舗でゆっくりとお茶が飲める。

第百十三国立銀行小樽支店

住所 堺町1-19

 堺町本通りに面し、銀行とは思えぬ構えの小さな石造り、平屋建ての建物。
 屋根の勾配の上にとんがった飾りが2つ、軒下には銀行マークの分銅模様のレリーフが刻まれ、鉄格子の窓などが特徴的となっている。明治26年の小樽進出時に建てられたものという。

百十三銀行小樽支店

住所 堺町1ー25

 寿司屋通りを於古発川に沿って下ると、堺町本通への入り口に位置する一風変わった味のあるデザインのレンガスタイルの建物。
 角地を利用し正面玄関を角に取り、2階正面にはギリシャ建築用の飾り円柱が左右にあり、建物は五角形の変則な形を取っている。
 明治41年の建築で、デザインの特異さではなかなかの見映えがある建物だ。

岡崎家能舞台

住所 花園5-2 -1

 大正15年に新潟の佐渡出身の実業家岡崎謙が入船町の自宅の庭に建てた能舞台である。
 事業で成功を収めた岡崎の能楽愛好の趣味が嵩じて北海道・東北随一の施設をつくらせた。
 中央から家元を招いての能楽の会を再三にわたり開催した。
 昭和29年市に寄付され、36年の公会堂移転に際し、その裏手に移築された。

小樽市公会堂

住所 花園5-2 -1

 明治44年8月の大正天皇(当時皇太子)の北海道行啓の宿泊のための施設「御旅館」として、同年1月から7月にかけて建てられた伝統的な和風建築。
 当時海運業で財を成した籐山要吉の寄付によるもので、施工は「大虎」の加藤忠五郎で一世一代の大仕事であった。
 木造平屋建て2棟で構成され、手前の本館が謁見の間で、その背後に御殿の一の間二の間三の間が続く。行啓後に公会堂として利用されていたが、市民会館の新築のため昭和35年に現在の場所に移築された。

小樽組合教会

住所 花園4-20-18

 花園公園通りの角地に間口10m、奥行12mの堂々とした存在感のある教会が建っている。
 組合教会の名で親しまれていたが、昭和16年に日本基督教団に加入し、小樽公園通教会と改称した。
 木造2階建て、角に四角の塔を持ち、尖塔の上に十字架が天高くそびえている。

小樽市庁舎

住所 花園2-12-1

 小樽の黄金時代は大正から昭和初期にかけてだが、その昭和8年に建てられた鉄筋コンクリート3階建て地下1階の正面玄関から左右対称に延びている重厚な建物である。
 実業家土肥太吉の寄付金を基に建てられた。
 正面の玄関上部には6本の角柱が並び柱頭には装飾彫刻が施されている。外壁は花崗岩とタイル張りの2色になっており、内部に入ると正面ホールの階段上にステンドグラスが穏やかな光を取り込んでいる。

北洋銀行小樽支店

住所 花園4-1-1

 国道5号線を花園公園通りの交差点に面している。大正7年の小樽無尽株式会社を前身とする小樽生まれの1935年(昭和10年)に建てられた銀行。
 現在は、おたる無尽ビル“遊人002”と名称を付けて、活用をしている。
 正面入口と側面入口に特徴ある入口と窓が設けられている。鉄筋コンクリート造り3階建て。

花園町会館

住所 花園4-3-8

 昭和2年に建てられたこの木造2階建ては外観に特色がある。正面から見ると左右対称で三角屋根の下のデザインが面白い。
 昭和37年12月に周辺の6町会が出資運営する有限会社花園会館と登記された。会館では各種会合が開かれ、地域住民の交流の場として多くの人に親しまれている。

猪俣邸

住所 住吉町4-9

 海陽亭の並びに小樽には珍しい中国風の石造り門を持つ木造2階建ての純和風住宅がある。
 倉庫業の2代目の猪股孫八が明治37年の大火で色内1丁目にあった家を焼失し、入船交差点から少し登った海の見えるこの高台に新築移転したもの。
 敷地は防火のために天狗山から切り出した軟石を使った石塀・石蔵・石門に囲まれ、防火壁の役目を果たしている。

魁陽亭

住所 住吉町4-7

 小樽オルゴール堂の裏手の高台にある。入口の坂を登ると深い木々の緑に囲まれて、広壮な料亭がある。
 かつては北海道随一の料亭として名声を博し、伊藤博文、岩崎小弥太、藤原銀次郎、団琢磨や、石原慎太郎・裕次郎の兄弟まで政財要人や文化人がこぞって宿泊した小樽の誇る由緒ある料亭だ。
 小樽の海を一望できる絶好の地に建つ。明治29年の大火で焼けた後建てられた本格的な木造建築。建物の内部の調度類も素晴らしい。宿泊者たちが一筆残したノートも貴重なものだ。
 明治39年11月13日には、日露の樺太国境画定会議後の大宴会が開催されたことでも名高い。小樽の歴史と共に歩んできたこの料亭も今まではあまり利用されていなかったが、平成13年から、一般客の見学(有料)と食事(予約制)が出来るようになった。

共成

住所 住吉町4-1

 堺町本通りとメルヘン交差点の七差路とぶつかる一角にデンと構えているのが、北海道一の精米会社であった「共成」の社屋だ。
 明治45年に建設され、銅板葺きの屋根、赤レンガを使った外壁。内部は総檜作りで独特の雰囲気を漂わせている。
 当時は2階建てだったが、現在は小樽オルゴール堂となり、空間を広くするため2階の一部が取り外され、吹き抜けとなっている。
 天井の装飾は当時のままである。かつての石造り倉庫から静かに流れるオルゴールの音が一層の旅情を誘っている。

小堀商店

住所 住吉町14-4

 臨港背印から南小樽駅方面へ登る坂道の途中に、寄せ棟の2階建ての黒塗りのいかにも商家と見える建物がある。
 繊維商人が結集した小樽問屋同盟会の有力者であった呉服問屋小堀商店の小堀雄吉が、昭和7年に建てた店舗。
 坂道に面して、入口は狭いが内部は広く、入口や窓には防火のための差し戸が設けられている。

作左部(さくさべ)商店蔵

住所 住吉町15-3

 小樽には石造り倉庫が多く残っているが、土造りの蔵は珍しい。
 明治初期に造られた2階建ての土蔵で防火に工夫が凝らされている。
 屋根や外壁は土で塗り、その外側に板を張り巡らし、屋根は二重になっている。

小樽駅舎

住所 稲穂2-22-15

 現在の小樽駅の建物は3代目で昭和9年に建てられた。
 道内では木造駅舎の札幌、函館に先んじた鉄筋コンクリート造りの近代的駅舎で、東京の上野駅に似ており、同時期に建てられた小樽市庁舎ともそっくりだ。
 正面ホールの窓には多くのランプがつるされ、小樽らしさを醸し出している。小樽への最も重要な拠点となっている。

白鳥家別邸

住所 稲穂2-19-16

 小樽駅からすぐの長崎屋の裏手の静屋通りに面して、鰊漁場の祝津で三大網元の一つであった白鳥家の住居が建っている。
 祝津には白鳥番屋兼用の住宅を持っていたため、白鳥別邸と呼ばれる。
 白鳥家は事業を次第に拡大、白鳥商店後に白鳥合資会社と発展、ニシン大尽としてこの稲穂辺りにも広大な土地建物を持っていた。
 明治42年に建てられた木造平屋建てのこの建物は昭和23年からキャバレー現代として使用され、ホステスの平均年齢は50代後半が中心で、小樽の名物として全国に知られていたが、創業50年の平成11年8月に閉店し、現在ではひっそりと佇んでいる。

薮半内蔵

住所 稲穂2-19-14

 白鳥家別邸の庭内にあった石蔵で、大正末期に建てられた木骨石造り2階建て。
 現在は蕎麦処薮半の奥座敷として再利用されており、石蔵の中ですする蕎麦の味はまた格別のものがある。
 石蔵の内部へ2階へ上がる階段があり、白鳥家の内蔵がいかに大きなものであったかが知られる。

渡邊酒造店

住所 稲穂4-6-1

 梁川通りの角地に褐色のタイル張りの外壁の3階建て、その上には塔屋が乗っている、特色ある建物がある。
 昭和5年に建てられた木造3階建てで、その門の壁に大吟醸雪中花、うまい酒北賓、醸造元山二渡邊酒造店と書かれ、2階と3階の窓の間の壁には、酒樽の看板が付けられている。

旧板谷邸

住所 東雲町1

 水天宮を堺小学校を左手に見て下ると、板谷邸の大きな御影石造りの塀に辿り着く。
 この屋敷は海運業で名を成した板谷宮吉の屋敷で、大正15年から昭和2年に建てられた。木造2階建ての母屋や洋館がある。
 板谷商船は海外航路まで力を伸ばし、大正3年には日本でも個人船主の中で指折り数えられる有数の船主となっていた。
 水天宮に続く丘に建つこの板谷邸は小樽の港を一望できる絶好のロケーションに建てられた北海道でも大邸宅にランクされる豪壮な建物だ。

小樽聖公会

住所 東雲町10-5

 水天宮の階段を下った右手にあるのが小樽聖公会で、イギリス国教会の伝統に連なる教会の日本名だ。
 明治40年この地に建てられた木造平屋建てのこじんまりとした教会で、十字架が屋根の上で天に向って聳えている。
 今でも信者が礼拝堂に参拝する姿が見られる。

寿原邸

住所 東雲町8-1

 水天宮に隣接した坂の並びにある眺望の良い木造2階建ての邸宅で小樽港を見下ろしている。
 小樽の坂の高低差を生かした住居と庭が設置されている。
 大正元年に小豆将軍として知られた高橋直治が建築したといわれる。
 後に高橋直治から寿原外吉に所有者が代わり、市に寄贈され一般公開されている。

光亭

住所 東雲町3-8

 板谷邸を山田町へ下った角地にある数寄屋造りの料亭建築で、東京信濃町にある料亭「光亭」の小樽店として賑わった。
 昭和12年に建てられた檜造りで三棟の『居間』『松茶屋』『蘭ノ間』が並んでいる。
 2階には大広間があり、芸者の舞う檜板の間も設けられており、今にも三味線の音が流れ出る雰囲気を持っている。  現在は北海製罐の罐友クラブとなっている。

青山別邸

住所 祝津3-63

 鰊の漁場として知られた祝津には、三大網元いわれる白鳥家・青山家・茨木家があった。
 鰊の最盛期にはこれらの網元はそれぞれ豪壮な家を競って建てた。青山別邸はその青山家が本邸とは別に祝津の高台に建築した絢爛豪華な邸宅だ。
 木造2階建て、入母屋の瓦屋根と銅板の屋根の組合わせで重厚さを醸し出している。大正12年に完成した「最期のに鰊御殿」と呼ばれるにふさわしい建物だ。
 本邸は別邸建築中に火災で焼失し、その後再建され、現在は北海道開拓の村へ移築されている。なお、庭園の入口左手には、なかにし礼の「石狩挽歌」の歌碑が平成9年に建てられた。

恵美須神社本殿

住所 祝津3-16-5


 江戸期の文久3年(1863年)建築の木造平屋建ての本殿は、小樽の江戸時代の遺構として貴重な建造物だ。
 祝津の海を見下ろす丘に位置し、海の安全と鰊の大漁を祈願する神社だったという。
 一間社流れ造りの屋根の上とその軒下などに飾り彫刻が施されている。

白鳥家番屋

住所 祝津3-145

 祝津の三大網元の一つであった白鳥家が、明治10年頃に建てた鰊漁の番屋である。
 番屋は網元の住居と、ヤン衆と呼ばれた出稼ぎ漁夫たちの宿泊所が一体となった建物で、玄関も網元用の主玄関と、ヤン衆用の脇玄関と2つある。
 鰊漁場の祝津を代表する番屋建築で、初期の番屋を知る貴重な存在である。

田中家住宅「鰊御殿」

住所 祝津3-228

 祝津の先端の小高い丘に「鰊御殿」として知られる豪壮な建物がある。
 鰊の最盛期に泊村の照岸漁場の網元であった田中福松により、明治24年から30年までの7年間をかけて建てられた。
 当時のにしん漁場建築を現在に伝えている。網元の自宅と出稼ぎヤン衆たちの宿泊場を兼ねた木造2階建ての建築。右手の網元の正面玄関とヤン衆たちの左手の脇玄関とに別れている。間口29m奥行き13m建坪412平方mの総面積661.9平方mの広さがある。
 元々は積丹半島泊村の照岸海岸に建てられたものが、北海道炭礦汽船株式会社が買い受け、昭和33年小樽市へ移築し、寄贈したものである。北海道指定有形文化財。

潮見台浄水場管理棟

住所 潮見台4-143

 この浄水槽は朝里川を水源とし、入船や松ケ枝地区への飲料水の送水のために作られ、昭和2年(1927年)に完成した。
 この管理棟は鉄筋コンクリート造り平屋建てで正八角形の赤いトンガリ屋根をもち、入口のアーチの上に市章が付けられている。
 内部には水量を調節するバルブが設置されている。

宗円寺本堂・五百羅漢像

住所 潮見台1-19-10

 明治維新後による廃藩置県により、松前藩も没落し、松前にあった藩主の菩提寺であった宗円寺も荒廃していた。
 これを見かねた小樽在住の松前出身者により、明治42年から44年かけて、本堂と五百羅漢の仏像をここに解体移転した。昭和33年には本格的改修が施された。
 本堂中央には東北以北最古のものといわれる釈迦牟尼仏の坐像が据えられ、三方の壁には数多くの五百羅漢像が感情を表わし表情豊に立ち並ぶ様は壮観だ。小樽潮陵高校を右手に見て、真直ぐに急な坂道を昇りつめた潮見台にある。

野口邸

住所 潮見台2-4-1

 和光荘として知られ、周囲の緑に映える白塗りのモダンなこの豪邸は、北の誉酒造の経営者野口家がその自邸として、大正11年(1922年)に建てた木造3階建て一部鉄筋コンクリート造りの洋館である。
 天井にクラシックなシャンデリア、床に豪華な絨毯がひかれ、大正ロマンのモダニズムを色濃く匂わせている。
 裏に廻ると日本庭園が拡がり、大正天皇が宿泊した和室がある。
 昭和29年8月には昭和天皇夫妻の宿泊所としても利用された。残り少なくなった小樽を代表する豪邸の一つで、現在は会社のクラブとして利用されている。

遠藤又兵衛邸

住所 富岡1-9-4

 明治39年に、海産物商として財を築いた遠藤又兵衛が、自宅として建てた。
 木造平屋一部2階建ての邸宅で、和洋折衷の建物で、玄関脇に白塗りの八角形の洋室が張り出している。
 本州材の一枚板をふんだんに使って、釘一本使わず、3年かけて造られた。今ではかつての2階部分はなく、建物の一部しか残っていない。

カトリック富岡教会

住所 富岡1-21-25

 小樽を代表する、絵になる風景の一つになっているこの教会は、小樽商大への坂道の右手、奥まった坂の正面にある。
 明治15年宣教師フォーリーにより、小樽への巡回宣教が開始され、教区の聖堂建設ののち、昭和4年(1929年)に鉄筋コンクリート造り、木造2階建て一部3階建ての大聖堂が、ここ富岡に建設された。
 礼拝堂は2階にあり、アーチの窓のステンドグラスから明るい光が堂内を柔らかく照らして、教会らしい落ちつきと荘厳がある。
 正面から見ると一幅の絵画を思わせる美しさで、切妻屋根の中央の尖塔の赤い屋根の上に掲げた十字架が青空に浮かぶ様は見事なものだ。

島谷汽船社長宅

住所 富岡2-25-32

 小樽の街と海を眼下に眺められる富岡の丘陵地区は、格好の住宅地として、明治から昭和初期にかけ邸宅が建ち並び、高級住宅街を形成した。
 明治30年代から遠藤又兵衛、金子元三郎、金沢友次郎らが大邸宅を建て、大正になり中規模邸宅や会社、銀行の社宅が進出した。
 昭和15年に建築の、この木造2階建ては、玄関と主屋の屋根が入母屋瓦葺きで、外壁は板張りの、当時の邸宅を今に伝える。

佐々木邸

住所 住ノ江2-2-4

 精米業として道内一となった、共成株式会社の社長の佐々木静二が、明治30年頃に建てた邸宅である。
 社屋が、メルヘン交差点に建つ小樽オルゴール堂であった。
 この邸宅は、木造平屋造りで和洋折衷のしゃれた建物で、住吉町の高台にあり、小樽港の眺めが良い。
 昭和24年に、カトリック富岡教会の分教会として、邸宅を譲り受けた。民家利用の教会として再利用され、今では静かに賛美歌が流れている。

住吉神社社務所

住所 住ノ江2-5-1

 南小樽駅をまたぐ通りと、国道5号線とのT字路に、住吉神社の大鳥居がある。
 鬱蒼とした木立に囲まれた長い参道の奥に、住吉神社の社殿と拝殿と、地下道でつながる木造の社務所がある。
 住吉神社の祭神は、住吉神の上筒男神(ウワツツオノカミ)、中筒男神(ナカツツオノカミ)底筒男神(ソコツツオンカミ)の三神と、巌島神の息長帯姫(オキナガタラシヒメ)の一神の四神である。これらの神々は海上の守護神として、海岸や海運関係者に信仰が厚い。
 元禄元年(1688年)の創建で、300年の伝統を誇る格式ある神社。現在の社殿は鉄筋コンクリート造りで、昭和47年に建て直したもの。
 木道平屋建て一部石造りの、和風建築の社務所は、昭和9年に「大虎」により建てられたもの。神社には、道内三大神輿の一つの百貫神輿をはじめ、5基の神輿があり、例大祭には御興渡御が繰り広げられる。

高島町役場庁舎

住所 高島4-1-1

 鰊漁で賑わった高島町の町役場として、昭和10年(1935年)7月に建てられた。
 木造2階建て地下1階で、外壁には石綿セメント板が使われている。
 中央に小さな三角屋根を乗せ、縦長の窓が左右対称にとられ、洋風建築を今に伝え、高島町の拠点としての役割を担った。
 昭和15年には小樽市との合併により、小樽市役所高島支所となり、現在は高島診療所として使用されている。

吉田医院

住所 高島3-16-5

 大正12年(1923年)に建てられた、木造のハイカラな洋館は、この高島・祝津地区での医療活動に従事した、吉田郁の医院兼用の住宅であった。
 壁面いっぱいに作られた木縁の窓が、大きく明るい雰囲気を漂わせている。
 玄関のたたずまいと、色使いのコントラストが、この建物を一層際立たせている。
 木造2階建ての診療所と、平屋建ての和風の住宅部分とに分かれている。

手宮駅機関庫

住所 手宮1-3-2

 明治13年、北海道初の日本でも3番目という鉄道が、クロフォード技師の手で手宮・札幌間の35キロが開通した。
 小樽は、この鉄道開通で、近代港湾都市に大発展した。
 赤レンガ造りのこの機関庫は、現存する日本最古のもので、近代小樽発祥の記念碑とも言えるもの。明治17年に着工し、明治18年12月に完成した。
 内部は八角形の柱があり、扇形で前面の転車台から機関車の出入ができ、3両を収容できる。
 昭和37年に北海道鉄道記念館となり、平成8年に小樽交通記念館となった。構内にはクロフォードの銅像、0マイルポイントの北海道鉄道開通起点標などがある。

手宮洞窟

住所 手宮1-3-4

 手宮から祝津方面への道が、カーブを切っているところ。
 手宮公園の東端の崖下に、道路を挟んで左手崖側に、古代文字で知られる手宮洞窟、右手は手宮交通記念館だ。
 この手宮洞窟は、慶応2年(1866年)に発見された。
 洞窟内の岩壁に刻まれた彫刻について、人の形だ、いや文字だ、絵だとケンケンガクガクの議論がなされた。その後の調査で、この彫刻は、続縄文後半の紀元4世紀頃のものとされている。
 最近では、古代文字説より古代絵画説の方が有力になっているという。
 大正10年3月3日に国指定史跡となった。

水天宮本殿・拝殿

住所 相生町3-1

 小樽花園公園通りを、海に向かって下ると、大きな石造りの鳥居があり、それをくぐると、急な登りの階段があり、昇りつめたところに、水天宮と小樽の市民から親しまれた、高台の境内に出る。
 小樽の港を一望できる絶好の展望台として、桜の花見の名所として名高い。
 その祭神は、飲料水のの神である弥津波能売神(ミズハノメノカミ)と、食料生産の神である保食神(ウケモチノカミ)である。
 木造平屋建ての本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りの屋根が、この社の特徴をよく表わしている。
 この境内には、経度測定標の石柱があり、この境内が日露国境確定のための経度再測定の場となったことを示している。
 境内の入口の右手には、石川啄木の歌碑も建てられている。

浄応寺

住所 石山5-1

 平成13年に大改修を行っていた本堂が落成し、見事な姿を見せている。
 入母屋造りの瓦葺きの大屋根を有する大伽藍で、風格を漂わせている、木造高棟の寺院建築。
 御本尊は阿弥陀如来像。
 この寺は、道南松前にある専念寺の流れを汲む、名刹の一つに数えられている。
 境内から、小樽の街と海とが眺められる高台に建つ。浄土真宗東本願寺派の寺である。

猪俣安之丞邸

住所 桜1-1-13  小樽の港を一望する平磯岬の高台に、どっしりとした構えで建っている銀鱗荘の建物は、余市で事業家として成功した猪俣安之丞により、現在は観光旅館として利用されているが、冬期は休業となる。
 明治33年(1900年)に、3年の歳月をかけ余市に建てられ、昭和13年にここに移築された。
 余市随一の大邸宅だったこの建物は、木造平屋一部2階建ての大規模な中に、華麗さを見せる建物だ。
 屋根中央には、シンボルとなっている望楼があり、両端に鯱が据えられているが、これは移築後のもの。他の市から、移築されて建っている建物としては、祝津の鰊御殿と双璧をなす。

徳源寺本堂

住所 塩谷2-25-1

 塩谷の丘の伊藤整文学碑の近くにある、木造平屋建てのこの本堂は、明治30年の建立。
 棟梁は、明治から大正にかけ、龍徳寺や浄念寺、水天宮などの寺社建築を多く手がけた伊久治三郎。
 屋根は入母屋平入りで、正面玄関は唐破風である。
 本堂の脇には、龍神堂が配されている。

龍徳寺本堂

住所 真栄1-3-8

 国道5号線が、札幌へ向い大きくカーブするY字交差点の手前に、国道に面して建つ、小樽で最古の寺院本堂である。
 明治9年11月に上棟され、入母屋造り、銅板葺き平入りの屋根で、堂々とした構えである。
 境内には、加藤忠五郎による明治22年の金毘羅殿と、鐘楼が置かれている。

日本郵船支店長社宅

住所 末広町3-7

 日本郵船小樽支店から、歩いてもわずかな、手宮バスターミナルの西の奥まったところに、日本郵船の社宅群がある。
 門と塀に囲まれたこの社有地には、支店長社宅、社員住宅、独身寮などが建てられていた。
 小樽支店長社宅の建設と、同時期の明治39年頃のもので、木造平屋建て瓦葺き板張りの和風住宅だが、洋間を持っていた。
 鬼瓦には社章が刻まれている。

北海道庁土木部小樽築港事務所見張所

住所 築港2-2

 小樽港は、高島岬で守られた天然の良港として知られていたが、北西風が運ぶ日本海の激しい波から、出入船舶の安全を図る必要があり、防波堤建設工事が求められていた。
 明治30年5月に、北防波堤工事が開始され、小樽築港事務所長の広井勇が、コンクリートの新技術を取り入れるなどの努力で、見事に完成した。
 この小さな小屋は、その築港事務所の見張所として、昭和10年10月に建造された、40平米の木造平屋建てで、屋根にサイレン塔が乗っている。
 広井の工事記録や、データ等を展示する目的で、昭和59年に資料室となっていたが、現在は別棟で展示している。

岡崎倉庫

住所 信香町2-2-1

 信香町の臨港線に近く、木造石造り平屋建て一部2階建ての倉庫が3棟並んでいる。
 自邸に能舞台を建てたことで知られる、倉庫業岡崎謙の業務用倉庫。
 明治38年から9年にかけて建てられた、この3棟の倉庫は、田中酒造の日本酒の全行程が見学できる、亀甲蔵に改装されている。(市指定歴史的建造物)

篠田倉庫

住所 港町5-4

 運河の裏手に廻ると、倉庫群がレストランや土産物屋に変身し、観光客で賑わっているが、この建物は美濃の篠田治七が、美濃傘売りから始まって、商人として成功し、大正14年に建てられた、木骨レンガ造り2階建て倉庫だ。
 今のレストランに入ると、天井の高さが倉庫だったことを感じさせ、運河を隣に眺める絶好のロケーションとなっている。
 後に、この倉庫の辺りには、次々と倉庫業が営まれ、倉庫群が形成された。

坂別邸

住所 見晴町16-16

 銭函の高台の石狩湾を一望する、絶好のロケーションに、赤屋根を誇って建つ、昭和2年建築の坂炭礦株式会社の坂敏男の別荘。
 赤屋根と壁のピンク色から「赤別荘」と呼ばれた。
 フランク・ロイド・ライトに師事した田上義也による設計で、ライト風が至る所に発揮されている洋館で、なかなかの見ごたえがある。

岡川薬局

住所 若松1-7-7

 明治28年に、初代岡川善太夫が岡川薬舗を開業し、その隣接地に2代目岡川松太郎が、新築した木造2階建て一部3階建て店舗兼用住宅。
 当時は斬新なデザインで、17世紀フランスの建築家マンサールに由来する、下部が急勾配で、上部が緩い勾配のアンサード屋根と、屋根に開かれたドーマ窓が、洋風を忍ばせ、正面の壁には、岡川薬局と大きく記された、壁看板がある。

色内地区31
入船地区6
堺町地区6
花園地区6
住吉地区5
稲穂地区4
東雲地区4
祝津地区4
潮見台地区3
富岡地区3
住ノ江地区2
高島地区2
手宮地区2
相生地区1
石山地区1
桜地区1
塩谷地区1
真栄地区1
末広地区1
築港地区1
信香地区1
港町地区1
見晴地区1
若松地区1