小樽石碑巡り

 小樽には、文学碑をはじめ、句碑、歌碑も数多いという。
 ある日曜日、「石碑探偵団」を急きょ組織し、市内の石碑めぐりを実行した。結果報告は、さんざんの目に合ったといえる。
 伊藤整や小林多喜二の文学碑は名高いが、句碑、歌碑の多くは、そこへ辿り着くのが極めて困難だけでなく、案内板や説明板もなく、打ち捨てられ、忘れられたままになっている例が多かった。
 文化財としての石碑をこの機会に再発見し、多くの市民がゆっくりと楽しめるものにしてもらいたいものだ。
 まあ、一日ゆっくり(もっとも全部探査するには3日間かかったが…)埋もれた石碑をようやく見つける困難さを味わいながら、到達し、発見の喜びを味わいながら、詩人、俳人、歌人たちの雰囲気にゆっくりとつかりたい。

石井有人句碑

【碑文】

そしてなお 扉を叩く 生きるとは
許し合う心 いのちを輝かせ
遥けくも 一筋の道ひとすじに
花園を 誇る香りの 濃く淡く

小樽花園町生まれで、小樽潮陵高校から北大理学部に学んだ、川柳作家石井有人の句碑。有人は小樽川柳社を主幹し、句集『群青』があり、北海道川柳功学賞を受賞している。小樽の繁華街の国道5号線と、公園通りの交わる花園十字街の旧北洋銀行小樽支店脇に建つ句碑。シンプルだがユニークなデザインは、一原有徳によるもので、本間紫雪の書で、句が4つ刻まれている。裏面に建立の趣旨が書かれ、「解体が決まった北洋銀行旧小樽支店が、街づくりの活動拠点や市民のイベント会場として再利用されることになったことを記念して、小樽に古くから親しまれてきた花園公園通りを、文字通りにするために建立す。平成14年7月」と記されている。

田島隆宏詩碑(1955.5~)

【碑文】

悲しみが多ければ そんなに悲しいとは思わない
苦しみが多ければ そんなに苦しいとは思わない
人は誰だってひとつやふたつ いや
それ以上の悲しみや苦しみを持ちながら
生きているのかもしれない
悲しみが多ければ それだけ人を思いやれる
苦しみが多ければ それだけ人に優しくできる
“ 人 ”っていう字は互いに助け合っている
ひとりでは誰だって生きていけない
だから人は誰かを求めてながら生きている
それが人生という旅なのかもしれない

小樽堺町通りのメルヘン交差点にある洋菓子舗ルタオの正面玄関前に建つ田島隆宏の詩碑。ルタオの河越社長が、車イスのプロカメラマンとして知られる、田島さんの写真誌集『うたごえがきこえる』を見て、大きな感動を受けて建立された詩碑。碑文は、田島隆宏写真誌集『うたごえがきこえる』の中の“人生という旅”が刻まれている。

小林多喜二石碑 小林多喜二石碑

【碑文】

あなたは北海道の雪を知っているだろうか
それは硝子屑のようにいたくて 細かくてサラサラと乾いている
雪道は足の下でギュンギュンもののわれるような音をたてる
そして雪は塩酸に似て それよりはもっと不思議な匂いをおくる

小樽の観光名所の1つである堺町通りの寿司店“多喜二”の店頭に建つ石碑。同店の名前の由来でもある作家小林多喜二の1930年の書簡集から取った文章が刻まれている。

石川啄木歌碑(水天宮)(1886・2・20~1912・4・13)

【碑文】

かなしきは
小樽の町よ
歌ふこと
なき人人の
声の荒さよ

石川啄木の歌碑は市内に2つある。その1つが水天宮の正面社殿を見る境内入口石段の右手に建つ。啄木の小樽滞在は3ヶ月と短かったが、歌は当時の小樽の雰囲気を伝えている。小樽駅から徒歩15分 水天宮境内

三ツ谷謡村 句碑(1904・12・4~1978・10・14)

【碑文】

柳絮(りゅうじょ)とび
我が街に

来たりけり

啄木歌碑とは反対側の水天宮境内入口の左手に建つ。右手の啄木歌碑の一見墓石かと見間違う作りとは対照的に自然石に碑を刻み込んで、いかにも句碑らしい作りだ。謡村は早大卒後、小樽に居を構え、俳句に親しむ。碑文は謡村自筆。小樽駅から徒歩15分 水天宮境内

河邨文一郎 詩碑(1917.4.15~2004.3.30)

【碑文「山上の旗」】

実に久しぶりに、傷だらけの心を
ふるさとの海の紺碧に曝す。
水平線を弓なりにたわませ
おれはつがえられた一本の矢、
張りつめた弦の痛さに立つ。
いま悲しみはその深さだけ深い夢に変る。
おれは満ちてゆく、潮騒に
かもめらの叫びに、舩唄に、夕凪に
海のように。しかし満ち足りてはならぬのだ。
風よ来い。
北斗七星の凍れる座からまっしぐらに
おれの拡げたもろ腕の下に来い。
きびしさに引き裂かれる旗におれをしろ。
自らを燃やしつくし透明をめざす陽炎、
山上の旗におれをしろ。

この詩碑は石碑ではなく鉄碑である。版画家一原有徳によるユニークなデザインが目を引く。ステンレスに刻まれた詩文は境内の木々を移して、趣はあるが、光に反射して読みやすいものではない。詩碑は「山上の旗」の詩。小樽駅から徒歩15分  水天宮境内

石川啄木 歌碑(小樽公園)(1886・2・20~1912・4・13)

【碑文】

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて
死なむと思ふ

小樽公園の入口からすぐのところに建つ。公園の緑に囲まれ落着いて鑑賞が出来る。碑文は「一握の砂」から。小樽駅から徒歩15分 小樽公園内

戸塚新太郎 歌碑(1899・1・2~1965・11・16)

【碑文】

森にひそむかの妖精もいでて遊べ
木もれ日うごく羊歯の葉の上

小樽公園の桜ケ丘球場の傍らの道を辿って行くと、しっとりと落着いた見事な白樺林に出会う。その林の中の小路の上にひっそりと建っている。碑文は歌集「雄冬岬」より。小樽駅から徒歩15分 小樽公園内

小林多喜二 文学碑(1903・10・13~1933・2・20)

【碑文】

冬が近くなると
ぼくはそのなつかし
い国のことを考えて
深い感動に捉えら
れている そこには
運河と倉庫と税関と
桟橋がある そこで
は人は重っ苦しい
空の下を どれも背
をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いて
いようが どの人を
も知っている 赤い
断層を処々に見せて
いる階段のように山
にせり上がっている街
を ぼくはどんなに
愛しているか分からな


旭展望台の展望所とは反対側の小高い丘に建つ堂々としたユニークな文学碑。碑のデザインは彫刻家の本郷新。本のページ見開きをかたどっている。右上部に多喜二の肖像レリーフと右中央部に詩文、左上部に北斗七星と北極星の嵌め込み。左中央部に青年労働者の頭像。碑文は多喜二が獄中から友人の妻に送った手紙の一部。多喜二は小樽高商卒。後にプロレタリア作家となる。「蟹工船」「不在地主」など。当時の特高警察の思想弾圧で拷問死。小樽をこよなく愛した作家。「不在地主」など小樽を舞台にした作品が多い。中央バス 最上町線 商大通り下車 徒歩20分 旭展望台

小田観螢 歌碑(1886・11・7~1973・1・1)

【碑文】

距離感の
ちかき銀河を
あふぎをり
身は北ぐにに
住みふさふらし

旭展望台の小林多喜二文学碑を左手に見て、森の中を辿ること約15分、ようやく見つかる。林の中の気持ち良い散策を楽しみながら、石碑を見つける喜びでがある。石碑は見事な色をしている緑泥岩。観蛍は50年に及ぶ教員生活のかたわら、短歌に親しみ、歌人として第1回北海道文化賞、第1回小樽市功労者に。碑歌は自筆で「暁白」所収。中央バス 最上線 商大通り下車 徒歩40分 旭展望台

伊藤整 文学碑(1905・1・16~1969・11・15)

【碑文「海の捨児」】

私は浪の音を守唄にして眠る
騒がしく絶間なく
繰り返して語る灰色の年老いた浪
私は涙も涸れた凄愴なその物語りを
つぎつぎに聞かされていて眠ってしまふ
私は白く崩れる浪の穂を越えて
漂っている捨児だ
私の眺める空には
赤い夕映雲が流れてゆき
そのあとへ星くづが一面に撒きちらされる
ああこの美しい空の下で
海は私を揺り上げ揺り下げて
休むときもない

塩谷の海を見渡せるゴロダの丘に建つ。5メートルもある安山岩に詩が刻まれている。碑の周りも整備され、ゆっくりと鑑賞出来る。小樽の作家というと多喜二と整の二人がまず挙がる。二人の碑もそれぞれに立派な作りで、その功績を讚えている。碑文は詩集「冬夜」所収の「海の捨児」の冒頭二編。整は小樽高商卒で、一級上に小林多喜二、高濱年尾がいた。詩集「雪明りの路」他小説「若き旅人の肖像」など、文芸評論や翻訳でも活躍した。日本芸術院会員。多喜二と同じく小樽を舞台にした作品も多い。中央バス 余市線、塩谷線 伊藤整文学碑前下車、徒歩5分 小樽市塩谷2丁目(ゴロダの丘)

和田徹三 詩碑(1909・8・4~1999.6.27)

【碑文】

それは
気まぐれな荒波が 渚の砂から
ひとつの蛤を掘りだした
夜だった。
すっぱい 肉のなかで
まっ黒なあなたの血が ふと
わたしのいのちを 拾ってしまったのは

小樽商科大学構内の一番奥の登り切った丘の上に海を背にして建つ。小樽高商卒後、詩誌を創刊。17世紀英国の詩人エリオット・リードらの計而上詩の影響を受け、個性的な詩風を確立。「和田徹三全詩集」で日本詩人クラブ賞。碑文は「亡母美津をしのぶ白いカンタータ」より。中央バス 小樽商大線 小樽商大前下車 徒歩5分 小樽商科大学構内

比良暮雪 句碑(1898・9・20~1969・2・12)

【碑文】

芝原の
いづちともなく
囀(さえず)れり

天狗山ロープウエイへの道の途中にあるもがみ公園の奥まった小高い場所に建つ。台座の上にちょこんと収まった石碑とのバランスが面白い。碑文は句集「雪祭」所収。暮雪は小樽高商在学中より俳句に親しむ。俳句会を主宰。句集「雪祭」「ななかまど」「定本比良暮雪句集」など。「北海道俳壇史」「小樽俳壇史」中央バス 天狗山ロープウェイ線終点下車 徒歩5分 もがみ公園内

久末永霤 句碑(1877.1.1~1957.2.13)

【碑文】

観音よ地蔵よ夏至の海蒼し

オタモイ海岸の岸壁の上にある御賜恵観音堂の傍らに建つ。見つけるのが地元の人でも難しい。国道5号線をオタモイ方面に取り、左手に三菱ふそう自動車の反対側、小樽自動車学校の小樽寄りの二本目の道路の道の途中新興住宅街へ入るが、かまわずに真直ぐ進む。車止めのある小さな坂道を上りつめると、オタモイ海岸の断崖の上に建つ。中央バス 塩谷線、余市線 自動車学校前下車 徒歩15分 オタモイ海岸

高濱年尾 句碑(1900・12・6~1979・10・26)

【碑文】

遠き家の
氷柱(つらら)
落ちたる
光かな

銀鱗荘の入口左手の植込の中にあり、神威古潭産の自然石に句を刻み込んだもので、一見庭石かと見間違う。銀鱗荘からの小樽港と街の眺望は極めて良く、ゆっくりと鑑賞出来る。グリル銀鱗荘でコーヒーでも飲みながら、俳人の世界に浸りたい。年尾は高浜虚子の長男。東京神田生まれ。東京開成中学卒後、小樽高商入学。碑文は小樽高商在学中のもの。俳句会に参加し、父の虚子とともに小樽の俳句熱を高めた。中央バス 桜町線、新光十字街線 東小樽下車 徒歩15分 銀鱗荘入口

八田尚之 文学碑

【碑文「がんぜ」】

夏休みになると
おれたちは道ばたの
ざっぱ木を拾い拾い赤岩ポントマルへ
毛コのはえた兄分は褌
おれたちはふりちん
それっともぐり
一尋二尋きび悪いほど
青い岩肌に
めんこいがんぜ一つ二つ
腹時計がおひるに
なる
ざっぱ木のたき火に
がんぜのへそをぬいてほうりこむ
こんがり焼けたがんぜが
おれたちのひるめしだ
夕焼けると
みんなの唇は茄子色
ほら鴉が家さかえって
くぞ
おらたちもかえるべ
冷えてちぢまりきった
皆のきゅうすを揃え
一二の三
おしっこの消火だ
あああのがんぜが
出世して高価高貴
の珍重味とは

祝津の観光名所「鰊御殿」の右手下脇に建つ。中央部には詩「がんぜ」が刻まれ、右側には肖像のレリーフが、左側に「胸底にしまい忘れた、皆の素朴な魂をゆさぶる芝居をつくりたい」との作家の想いが刻まれている。この碑からは祝津マリーナと祝津港が眼下に一眺でき、風景が極めて良い。八田尚之は小樽生まれ。多数の映画シナリオを書く。豊田四郎監督との文芸映画に優れた作品が多い。シナリオ作家。中央バス 水族館線 終点下車 徒歩10分 鰊御殿敷地内

石狩挽歌 記念碑

小樽に住んだことのある作詞家なかにしれいのヒット曲「石狩挽歌」の石碑である。旧青山別邸の入口の左手の桜の木の下に建つ。自然石を組み上げた台座に石狩挽歌の歌詞が刻まれ、その上に石狩挽歌記念碑の文字がある大きな石柱が乗っている。小樽を歌ったこの鰊漁の挽歌はしっとりとした名曲で、今でもスナックのカラオケで人気も高い。中央バス 水族館線 祝津3丁目 旧青山別邸内

長谷部虎杖子 句(1987・10・28~1972・12・26)

【碑文】

車組むや
一滴の油
地にひらく

銭函町御膳水の国道5号線沿いに建っており、説明板もあるが、駐車スペースもない上に車の騒音で、ゆっくり鑑賞もままならない。虎杖子(本名栄二郎)はサラリーマンののち、神官になる。俳句に親しみ、俳句雑誌「時雨(しぐれ)」や「葦牙(あしかび)」を創刊。碑文は句集「木槿(むく)」所収。 中央バス 急行札幌行き、JRバス 快速札幌行き 銭函下車 徒歩5分 銭函町御膳水

並木凡平 歌碑(1891・5・23~1941・9・29)

【碑文】

廃船のマストに
けふも浜がらす
鳴いて日暮れる張碓の浜

国道5号線沿いの朝里不動尊にあるが、この碑を見つけるのも簡単なようで難しい。近所の人に聞くも判明せず、やっと朝里不動尊と並木凡平歌碑の木柱を見つけるが、この付近にはなく、案内板の位置が不適切だ。碑は朝里不動尊と並んで建っており、緑に囲まれている。凡平は新聞記者の傍ら短歌、俳句に親しみ、口語の定型律で親しみやすい。碑文は「触土」所収。JRバス 快速札幌行き 朝里不動尊下車 徒歩2分 朝里不動尊境内

勝又木風雨 句碑(1914・11・8~)

【碑文】

青鳩や
礁(いくり)つづきに小樽港

国道5号線を張碓へと下り、下りきった海を真下にする恵比須島への道の入口に建つ。恵比須島は市の鳥のアオバトの営巣地として知られ、青鳩やの句にちなんだ場所にある。車も来ないどん詰まりの緑に囲まれた静かなところで、黒御影石に刻まれた句をゆっくり鑑賞出来る。木風雨(本名誠)は呉服店経営のかたわら俳句に親しみ、「北の雲」を創刊。中央バス 急行札幌行き、JRバス 快速札幌行き 張碓下車 徒歩10分  張碓

田中五呂八 句碑(1895・9・20~1937・2・10)

【碑文】

人間を
掴めば
風が
手にのこり

住吉神社境内の社務所への道の右手にある。神社の緑に囲まれて風情がある。句碑の字も大きく読みやすい。四角い台座の上に黒御影石を嵌め込んで句が刻まれている。五呂八(本名次俊)は小樽を中心に活動した川柳作家。中央バス 桜町線、新光十字街線 住吉神社前下車 徒歩5分 住吉神社境内

松尾芭蕉 句碑

【碑文】

梅の香に
のっと日の出る
山路かな

俳聖・松尾芭蕉の句碑は、住吉神社境内の社務所の向いにある、田中五呂八の句碑と並んで置かれている。芭蕉句碑は北海道に3つあり、松前町と函館、それに小樽のこの句碑だ。最初は境内にあったが、戦時中に文学などは軟弱なものとして非難され、道ひとつ隔てた境外の空地にひっそりと置かれていたが、2002年秋に、60年ぶりに境内に里帰りした。句碑はかなり風化しており、判読するのが難しい。道内でも貴重な芭蕉句碑はもっと優遇されるべきだ。中央バス 桜町線、新光十字街線 住吉神社前下車 徒歩5分 住吉神社境内

岸誠 詩碑(1929~1995)

【碑文】

遠くのぞめば風の音がきこえる
風の向こうに波立つ海がある
どこまで行っても決して平坦でない道
めぐりあうのは若き日の魂のかけら
こだまする遠い海鳴り

小樽の海と街を一望におさめる船見坂上の小樽高野山日光院の境内にある。ここからは小樽の駅を真下に左右に街が拡がり、前方に小樽の海、石狩湾が一望出来る。山を背に海に向かって建つこの詩碑は、小樽を愛した詩人岸誠の詩集「北風の港」の「小樽わが町」からとられている。昭和4年に小樽で生まれ、小樽経済専門学校(旧小樽高商)を卒業後、海運界で活躍、早くから詩の創作を行い、詩集「海峡」「四季」「北風の港」「ともずな」『岸誠全詩集・北の港』 A Port of North wind-Otaru,My Town などがある。

石塚友二 句碑(1906・9・20~1986・2・8)

【碑文】

霏々(ひひ)と降る
雪の中なり
朝里川

朝里川温泉の樹海遊歩道「鹿のかよい路」にある。入口に石塚友二、千葉仁師弟句碑入口の木柱があるが、一歩道路より奥まっており見つけづらい。朝里クラッセホテルのテニスコートの上の林の中を進む方が判りやすい。林の緑の中にひっそりと佇んでおり、自然散策と一緒に鑑賞したい。1975年10月に建てられたものだが、碑文が欠けて判読しづらい。友二は小説から出発し、文壇俳句会「十日会」に参加し、石田波響と「鶴」を創刊。中央バス 朝里川温泉線 温泉街下車 徒歩10分 朝里川温泉樹海遊歩道「鹿のかよい路」

千葉仁 句碑(1918・10・2~2003.4.13)

【碑文】

囀(さえずり)に
山影動き
初(そ)めにけり

朝里川温泉のクラッセホテル「鹿のかよい路」の遊歩道の途中に、師の石塚友二の句碑と並んで建っている。苔生した台座の上に自然石に句が刻まれている。千葉仁は石塚友二の「鶴」に参加し、俳句研鑽に努めた。この師弟句碑の佇まいは心地良いが、探しに来た人が判る案内板や説明板が必要。中央バス 朝里川温泉線 温泉街下車 徒歩10分 朝里川温泉樹海遊歩道「鹿のかよい路」

青山ゆき路 歌碑(1907・8・11~1993・2・27)

【碑文】

豊倉の
流れに沿うて
定山(じょうざん)が
袈裟(けさ)掛け
憩うた
岩顕(た)ち光る

朝里川温泉の廃止された湯鹿里荘と地続きのこれも又跡地しかない旧市営朝里川温泉センターの奥にある。見事な巨岩に歌が刻まれており、読みやすい。小樽の石碑の中では一番の巨石で迫力十分だ。ゆき路(本名定次郎)は理容業を営みながら、口語短歌に励む。並木凡平の「新短歌時代」に参画。歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 中央バス 朝里川温泉線 終点下車 徒歩3分 元市営朝里川温泉 センター敷地内

金児杜鵑花 句碑(1894・3・14~1938・2・21)

【碑文】

み仏に滝のしぶきや
百合の花

朝里ダムのオタルナイ湖を一望する第一展望台の脇にある。説明板は大きく剥がれて、判読不能になっていたが、最近、新しくされ、句碑の由来が判るようになった。杜鵑花(本名農夫雄)は小学校教員の後「俳句月間」「俳句世界」などを創刊。句集に「杜鵑花句集」中央バス 朝里川温泉線 朝里川温泉2丁目下車 徒歩3分  朝里ダムオタルナイ湖第一展望台

青木郭公 句碑(1864・8~1943・8・19)

【碑文】

車道開く
原始茂りの
雲の上

朝里川温泉から定山渓への朝里トンネルの除雪車回転用の広場の奥にある。車止めがあるため車では近づけない。旧道の朝里峠の林の中にあったが、新設道路とともに移転した。郭公(本名清治)は北海タイムスの社員で同社の俳壇の選者。「暁雲」を創刊。「青木郭公句集」句碑は道路開通に尽力した中里久造を顕彰して建てられ同氏の遺髪も収められていると記されている。

花園十字街
メルヘン交差点
堺町通り
水天宮
小樽公園
旭展望台
塩谷ゴロタの丘
小樽商科大学校内
もがみ公園
オタモイ観音堂
銀鱗荘
祝津鰊御殿
青山別邸
国道5号沿い
張碓
住吉神社
船見坂上 日光院
朝里川温泉
朝里ダム展望台
朝里峠