小樽市総合博物館(手宮1)のギャラリートーク「郵便荷物合造車」が、8月21日(土)11:00~12:00、本館と屋外中央ホームで行われた。
NPO法人北海道鉄道文化保存会と同館の主催。同館では蒸気機関車をはじめ約50の鉄道車両を保存している。エントランスホールで展示されている蒸気機関車「しづか号」や、構内を走る「アイアンホース号」が目玉となっているが、主催の2者は、「普段は目立たない車両を紹介しよう」と、同ギャラリートークを 7月から始めた。
2回目のギャラリートークでは、日本の郵便制度の発展を象徴する鉄道郵便車をテーマにした。同館が所有する、荷物室と郵便室が同居した「郵便荷物合造車」スユニ50形客車と、普通客室もついた「3等郵便荷物車」キハユニ25形気動車の2両を紹介し、車両の概観や内装を観察しながら、国鉄の「郵便・荷物輸送」を振り返った。
郵便荷物合造車は、1872(明治5)年6月1日から、品川~横浜間で、座席車の一部に「行路郵便役所」と呼ばれる一室を併設して走ったことが始まり。同年9月に開業した新橋~横浜間の鉄道よりも前。
「郵便荷物合造車」スユニ50形客車は、1978(昭和53)年に、旅客車の台車を再利用して製造された。郵袋4t、荷物4tを積載、客席37.5~42.5t。鉄道郵便最後の年の1986(昭和61)年まで活躍。
「3等郵便荷物車」キハユニ25形気動車は、1958(昭和33)年製造。北海道用として造られ、旅客は40人乗りで、郵便2t、荷物4tの積載量となっている。わずか7両のみ存在し、このうち1号と2号は鉄道郵便最後の年まで役割を果たした。
講師の持田誠ミュージアムコミュニケーターは、車両の窓や扉などの詳細を紹介し、「鉄道は、郵便、小包を中心に引き受けてきて、昭和61年9月に、郵便輸送と荷物輸送を撤退した。スユニ50形のスは客車の重さ、ユは郵便の積載量、ニは荷物の量を表している。車両には、郵便物を仕分けするための灯り窓や、荷物が窓にぶつかっても壊れないようにする保護棒がついている。郵便は鉄道の発展とともに拡大。郵便の販路が拡大すると鉄道も発展し、両者がともに発展してきた」と国鉄の郵便・荷物輸送の歴史を語った。