戦禍で沈没した日本艦船の潜水慰霊と調査撮影を行う、写真家の田中正文さん(50)が、12月15日(火)18:30~20:00、北海道新聞小樽支社1階ギャラリー(稲穂2)で、講演「小樽(ここ)に帰りたかった」を開いた。
田中さんは、2008(平成20)年7月に、小樽・高島沖で沈没した「眞岡丸」の調査を行ったことを機に、有志を集めて任意団体「1708プラス実行委員会」を結成した。
このほど、「眞岡丸」(1212トン)の調査結果がまとまり、「ゆかりの深いこの小樽の地で、多くの方々に、この事故と現在の様子を伝え、犠牲者を追悼するとともに平和への意識を改めて確固たるものにしてゆくことに寄与したい」と、12月9日(水)から15日(火)まで、写真展を開催した。
最終日の15日(火)は、1945(昭和20)年12月15日、GHQの命令により、高島沖で残存弾薬の海洋投棄を行っていた「眞岡丸」が、誤爆で沈没した命日。田中さんは、亡くなった人たちの辛さ・無念さを伝えるために講演会を開いた。
冒頭、参加者約30名とともに、いまだ冷たい高島沖に眠る犠牲者に黙祷を捧げた。
「眞岡丸」の調査の様子を収めたビデオや写真を上映しながら、「眞岡丸は水深45mほどのところにあり、今では魚たちの棲みかにもなっている。釣り人たちは何かあるぞと言ってはいたが、戦後50年経つまで、この船の存在は分からなかった。インターネットでは、『 爆弾がゴロゴロありまっせ 』 というコメントが掲載されたページがある。この事件がどういう背景で生まれたのか、亡くなった人にもかけがえのない家族がいたということを認識し、若者がゴロゴロありまっせということを書き込むことがないようにしたい。今日をこのスタートにしたい」と語った。
元々は、風景写真のカメラマンだったが、ミクロネシアのパラオを訪れた際に、美しい南海の底には、太平洋戦争時に沈んだ日本の艦船と航空機が残っていることを知り、「本当にショッキングだった」と、戦禍で沈没した日本艦船の潜水慰霊と調査撮影を行う写真家へと180度転換した。
「終戦直後の8月22日、樺太から小樽港に向かった3隻の引揚船が、留萌沖で旧ソ連軍の潜水艦による攻撃を受けて沈没し、1,708名の民間人が犠牲となった。小樽に帰ることが出来なかった人たちを慰霊しようと、1708プラス実行委員会を立ち上げた。名も無き方の犠牲あっての我々の豊かさで、いつまでも忘れてはいけない。眞岡丸にはゆかりのない人間だが、先人たちの辛さ、無念さを感じるために潜っている」とまとめた。
最後に、ヴァイオリニストによる追悼演奏で講演を終えた。
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