「どうしたの? 大沢くん」
それを察知してのり子が訊ねた。
「う~ん・・・でも家宣の紋が、なぜ逆さ紋なのか肝心なことが分からないとね」
「そうね・・・」
「ところで、富田さん」
「はい?」
「さっき、家宣は江戸の根津(ねづ)で生まれたと言いましたよね」
「はい。言いましたが」
「そうですか・・・」
「どうしたのですか、先生?」
「さっき、図書館に行ったとき参考になる本を探していて、ちらっと読んだのだが・・・」
「何かありましたか?」
富田も思わず加納の言葉に反応した。
「ええ、確かこの本の中だったと思います」
「六冊も借りてきたのですね」
こずえは本を数えながら言った。
「ほら、ここだよ」
加納はページをめくっていたが目指すところを見つけると読み始めた―
―寛永二年、五代将軍綱吉は兄である綱重の子供の綱豊(六代将軍家宣(いえのぶ))を養嗣子に定めると氏神の根津神社に屋敷地を献納して、世に天下(てんか)普請(ふしん)といわれた大造営を行った。その全てが現存し、国の重要文化財に指定されている。家宣は幕政をもって当社の祭礼を定め、同じ格式による山王祭りや神田祭りと合わせ江戸の三大祭といわれているのです。
「そこでだが・・・」
加納は一通り読み終えると意味深げに言った。
「・・・・」
「根津神社では大祓(おおはら)いはもとより、茅(ち)の輪(わ)くぐりをするのです」
「大祓いというのは、平素の犯した罪や穢(けが)れなどを祓い清める事ですが、茅(ち)の輪(わ)くぐりというのは、どのようなことなのですか?」
富田が疑問を呈すると、みんなもそうだというように頷いた。
「茅(ち)の輪(わ)というのはお正月などに、しめ縄や玉飾り・・・つまり、しめ縄を輪に結んだものに、ワラを垂(た)らし中央に裏白、ゆずり葉、橙(だいだい)、四手(しで)などの縁起物を飾ったものですが、これを簡略化したのが輪締(わじ)めと言いますが、これと同じようなもので人がくぐれるくらいの大きな物なのです」
「そうか、輪締めね。正月に部屋とか台所にぶらさげる・・・」
のり子は理解(わか)ったのか加納の言葉に続けた。
「そして、この神社では六方形の短くて小さい木の棒に(蘇民(そみん)将来(しょうらい)子孫(しそん)之(の)守(まもり))と記したお守りを参詣人に分け与えるのです。また、紙片に(蘇民(そみん)将来(しょうらい)子孫(しそん)之(の)門戸(もんこ)也(なり))と書いて戸口に貼っておくと災難よけになると言われています」
「六方形の棒というのはなぜかダビデの紋に似ていますね」
「良いところに気がつきましたね大沢くん」
「・・・・」
大沢はうれしそうに照れ笑いをした。
「では、茅(ち)の輪(わ)とか蘇民・・将来でしたか、これらはユダヤに関係するのですか?」
のり子は少々驚きの様子でたずねると加納はうなずきながら話はじめた―
―茅の輪の起源については、このような話があります。その昔、素戔鳴尊(すさのおのみこと)(スサノウ)が南へ出向いたとき、その土地の蘇民(そみん)将来(しょうらい)と巨旦(こたん)将来(しょうらい)という兄弟に一夜の宿を求めたところ巨旦(こたん)将来(しょうらい)は裕福な身でありながら、これを拒みましたが兄の蘇民(そみん)将来(しょうらい)は貧しい身ではあったが、ささやかな温かいもてなしをしました。帰るときに(もし、天下に悪い疫病(えきびょう)が流行(はや)ったときは、茅(ちがや)で輪を作り腰につけていれば免れるだろう)と教えました。この故事により蘇民(そみん)将来(しょうらい)と書いて家の戸口に貼れば災厄から逃れるという信仰が起こったのです。
「加納さん」
「なんですか富田さん?」
「この蘇民(そみん)将来(しょうらい)という人物はユダヤというより、むしろ朝鮮系のように思われるのですが」
「そのとおりです」
「えっ!」
加納の意外な言葉に大沢は声をあげたが、富田をはじめ二人も言葉につまった。
「つまりですね、世界中には似たような伝説や神話というものが語られていますが原点となるのは一つで、それが人々の移動と共に、その土地あるいは国などで語り継がれていったのです」
「・・・・」
「例えば、洪水伝説にしても世界中どこにでもあるし、ギリシャ神話でさえ日本の神話とまったく同じものが数多くあるのです」
「それは知っています」
のり子はここぞとばかりに大きな声で言った。
「のり子さん、どんな話?」
「ギリシャ神話でペルセウスが海魔からアンドロメダ姫を救ったというのも日本ではスサノウが大俣(やまたの)大蛇(おろち)からクシナダ姫を助けたのも同じ話よ」
「そうか、なるほどな」
「それとですね、スサノウですが彼は後世に牛頭(ごず)天皇(てんのう)(インド祇園精舎の守護神)とも呼ばれ、牛冠(ぎゅうかん)をかぶった貴人を意味するのです」
「もしかして・・・」
「どうしたの? こずえちゃん」
「モーゼが描かれた絵を見ると角のようなものがあったわ」
「モーゼって、エジプトからイスラエルの民を救い出した?」
「そうよ」
「もしかして、このスサノウ=牛頭天皇の原点がモーゼだったのか」
「そうだよ、大沢くん。これはイスラエルから朝鮮を経由して日本に入ってきたというわけです。そもそも蘇民将来の意味はイスラエル民の神への離反と回復の歴史、そして祝福の約束なのです」
「ふ~ん・・・」
「平家と源氏にしても新羅(しらぎ)(朝鮮)からの逃亡者であったが元来はインド武士団であったという説もあるのです」
「でも源氏というのは清和天皇の流れをくみ、平家は桓武天皇の流れであると聞いていますが、どうなのでしょうか?」
「それは、どの時代でもそうですが天皇の流れをくむということが権威の象徴でもありましたからね。八幡太郎義家の弟である義光が新羅(・・)三郎と名乗っていたことが、むしろその出自を示唆(しさ)しているのではないでしょうか」
「私も歴史を教えてきましたが、それは言えるかもしれませんね」
富田はしみじみと加納の言葉に同意した。
「先生、その他にも日本とユダヤの類似点ってあるのですか?」
「のり子くん、ありますよ」
「・・・・」
みんなは加納が次に何を話すのか息をつめた。このような話であった―
―日本の年越(・・)しは、夜は起きながら新年を迎え正月は七日間とした。ユダヤにも過越(・・)しの祭りがあり、新年に入って七日間祭りが続きます。また、日本では二段の鏡餅の上にみかんを載せて正月が終わると鏡開きをしますが、ユダヤではパンにイースト菌を入れず練った小麦をそのまま丸く平べったい形で焼いて祭壇に重ねて供えますが、これはマツォトと呼ばれ別名ハ・モチとも言うのです。
「へ~・・・まったく日本と同じですね」
「それに、日本の(モチ(・・))と(ハ・モチ(・・))、これも驚きですよ」
大沢はのり子の言葉にかぶせるようにして言った。
「そうだ! 肝心な事を忘れてた」
「どうしたのですか先生?」
「図書館でちらっと見たのだが・・・これだ」
加納は一冊の本を取り出しページをめくると言った。
「・・・・」
「さっき蘇民将来の話が出ましたが・・・」
そう言いながら加納は本を見ながら読み始めた―
―佐渡の寺院の中には正月に護符(ごふ)として(蘇民将来子孫門戸也)というお札を出すところがいくつもある。また、ここには蘇民将来神社があり江戸後期には牛頭天皇神社に、さらには明治四年に素戔(すさ)鳴神社(のうじんじゃ)と呼び替えていた。佐渡に伝わる民謡の(そうめんさん節)のソウメンは蘇民(そみん)のことである・・・・
「佐渡もユダヤとの関係があるのか・・・」
大沢はボソっとつぶやいた。
「佐渡といえば岡崎謙さんの故郷でしたね」
「岡崎・・・?」
「大沢くん、なに言ってるの・・そもそも逆さ葵の能装束をもたらした人よ」
「ああ、そうだった」
大沢はそう言いながら頭を掻いた。
「それにしても、私たち六代将軍家宣の話をしていましたよね」
こずえは笑いながら加納を見た。
「そうだった。それが、いつしか脱線してしまったな」
加納も同様に笑いながら返した。
「ハハハ・・・」
富田もおかしそうに笑った。
徳川家紋「逆さ葵の謎」 7
つづく