徳川家紋「逆さ葵の謎」 3


 「いや、実はですね・・・」
 そう言いながら加納は一部始終を富田に話した。
 「そういう事だったのですか」
 「ところで、富田さんは高校で歴史を教えていましたよね?」
 「はい、もう昔の話ですが」
 「えっ! そうでしたか」
 大沢は細い目を大きく輝かせながら富田の顔をまじまじと見た。
 「まあ、そうなんですが」
 「じゃあ、逆さ葵の紋について何か分かりませんか?」
 大沢は追い討ちをかけるようにして訊(き)いた。
 「はい」
 「えっ! 知っているのですか」              
 今度はのり子がせっかちに富田を促(うなが)した。
 「逆さ葵といえば日光東照宮にありますよ」
 「本当ですか!」
 大沢が大声でさけぶと同時に、みんなの目が富田に向けられた。
 「陽明門の前にオランダの商館長から送られた三基の燈篭(とうろう)のうち一基が廻(まわ)り燈篭(とうろう)ですが、それについている九つの葵の紋が全て逆さになっています」
 「・・・・」
 よほど驚いたのか誰もが声を出せずにいた。
 「ただ、写真も無かったときゆえ間違ったのだと言われていますが・・・」
 「それは、いつ頃の年代ですか?」
 加納がめずらしく真剣な面持ちで尋ねた。
 「確か寛永二十年だったと思います」
 「と、いうことは・・・一六四三年で徳川家光が将軍の時代ですね」
 加納は書棚から年表を取り出して応えた。
 「そうですね・・・」
 富田はすかさず相槌をいれた。
 「う~ん・・・」
 加納は目を閉じると暫(しばら)くおし黙ったままでいた。のり子が心配そうな顔でたずねた―
 「先生、どうしました?」
 「うん、家光の時代といえば天海(てんかい)がいたのです」
 「天海(てんかい)大僧正(だいそうじょう)のことですか?」
 こずえがオウム返しで言った。
 「そうです。彼は、家康・秀忠・家光と三代に渡って仕えていましたから」
 「それが何か?」
 のり子が不思議そうに訊いた。
 「そうか!」
 富田が分かったと言わんばかりに両手を打った。
 「富田さんどういう事ですか?」
 大沢はじれったそうに質問した。
 「これには、天海(てんかい)大僧正(だいそうじょう)が何か関与しているということですね」
 富田は大沢の質問には答えず加納に向けて言った。
 「はい。ところで、その頃の時代背景というのはどうなのですか?」
 ―加納の質問に富田は説明をした―
 オランダが燈篭(とうろう)を贈った時代というのはオランダが存亡の危機にあったのです。何故なら島原の役(キリシタンの弾圧)に幕府軍としてオランダも参戦したのをバチカンが知る事となって、オランダはバチカンから破門を宣告されそうになったためオランダはバチカンに莫大な金を賄賂(わいろ)として送った。一方では日本に対しても貿易による権益を失わないようにするため家康の時代からの親交を表わそうと日光東照宮に燈篭を贈り以後二百年間という長い期間において権益を独占したのです。
 「ふ~ん、そうなんだ・・・」
 大沢は一応うなずいてみたものの何か腑(ふ)に落ちない様子だった。それは、のり子やこずえにしても
 同じであった。それを察知したのか加納が説明した―
 「大沢くん。つまりだね、日光東照宮といえば家康公を大権現(だいごんげん)として祀(まつ)るために造られたものですよ」
 「はい」
 大沢はコクリと首をたてに振った。
 「そして、その総指揮を執(と)ったのが天海(てんかい)大僧正(だいそうじょう)なのです」
 「う~ん、何となくですけど分かったような気がします」
 のり子は口をひし曲げながら言った。
 「のり子さん、どういう風に分かったんですか?」
 大沢はまだ理解できないもどかしさでたずねた。
 「私だって、まだすっかり分かったわけじゃないわ」
 「な~んだ、分からないのか」
 「まあ! あんたより分かってるわよ」
 のり子は言葉を荒げると口をとがらせた。
 「ハハハ・・・大沢くん、こういう事ですよ。天海(てんかい)大僧正(だいそうじょう)は徳川家康をはじめ三代の将軍に仕えたほどの知略家であり快僧と言われた人物なのです」
 「はい」
 「その天海(てんかい)大僧正(だいそうじょう)がですよ徳川家の大事な家紋である葵の紋を逆さにつけて贈られたものを大権現(だいごんげん)と呼ばれた家康公を祀(まつ)った日光東照宮にそのまま設置すると思いますか?」
 「言われてみれば、そうですよね」
 大沢は納得したように言った。
 「ただ、開陽丸(かいようまる)の場合は少々違いますが・・・」
 「開陽丸といえば戊辰(ぼしん)戦争(せんそう)でしたね!」
 のり子は声高らかに言った。
 「そう、明治三年から翌年にかけて北海道で繰り広げられた新政府軍と榎本(えのもと)武揚(たけあき)率いる旧幕府軍による戦いです」
 「榎本(えのもと)武揚(たけあき)は小樽にも関係が深い人でしたね」
 「そうです」
 「小樽も結構おもしろいところだな」
 大沢は一人で悦(えつ)にはいっていた。
 「この船は江差沖で暴風のため座礁して沈没してしまいましたが、これは幕府がオランダに発注して慶応三年(一八六七)に日本へ来たのです」
 「・・・・」
 「そして、葵の紋をつけるように指示しましたが、できあがってきたのは三つ葉のクローバーだったという事です」
 「へえ~、それなら間違ったわけだ」
 「そういうことです」
 「それでは、燈篭の逆さ葵も・・・」
 こずえは不安げな顔で訊いた。
 「いや、それは違うと思います」
 「どうしてですか! 先生?」
 のり子は興奮したように質(ただ)した。
 「つまり、オランダが燈篭を寄贈したのと今回では時代背景がまったく違うのです」
 「そうか! 燈篭の時はまだ徳川幕府が絶大な権力を持っていたし、それに天海大僧正もいたからでしょう」
 「その通りです。大沢くん」
 「では、開陽丸の時代というのは・・・」
 のり子がぼそっと呟(つぶや)いた。

つづく