尼港殉難者百回忌法要!小樽佛教会

 
 小樽佛教会(島隆会長)は、尼港殉難者百回忌法要を、5月24日(金)14:00から、手宮公園内の尼港殉難碑前で行い、引き続き15:30から、遺灰の安置先だった浄応寺(石山町5)本堂でも、同法要を開き、僧侶と参拝客など合わせて約100名が出席した。
 同佛教会が主催する恒例行事のひとつで、小樽佛教鑽仰会(田嶋富美男会長)が共催・小樽典禮株式会社の協賛で、今年は百回忌として盛大に執り行われた。
 
 同碑前では、僧侶ら15名・田嶋会長・市民ら25名が集まった。
 宗派を越え市内66ヶ寺が加盟する小樽佛教会ならではの、浄土系と聖道系の2つの経を唱え、100年前の悲しみに手を合わせた。
 田嶋会長は、「法要の準備のため、21日に草刈を行い今日を迎えた。これからの維持が課題となる」と話した。
 浄応寺本堂に場所を変え15:30から、雅楽の生演奏が響く中、僧侶ら約50名と参拝者約50名が出席して、日本人約650名の犠牲者の御霊を慰めた。
 冒頭、林勝信実行委員長は、「私の手元に、尼港事変と書かれた黒い箱が届いた。650名が記載された殉難者名簿・悲惨な事件の写真・1924(大正13)年に浄応寺に仮安置した時の写真等があった。
 
 百回忌を機に、掌(たなごごろ)合わせて、改めて命の大切さを考え、後世に平和を繋げていかなければならないと、粛々と行事を務めてきた。尼港のお参りが元となり、同佛教会は、宗派を超えていろいろな仏事に携わったご縁をいただいていると思う。今後も継続していきたい」と挨拶。
 3年前に見つかった尼港殉難者名簿を奉天し、宗派を超えた僧侶がひとつになって法要を務めた。
 尼港事件とは、ロシア内戦中の1920(大正9)年の3月から5月にかけて、ニコラエフスク(尼港・現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で、日本人居留民を含む住民虐殺事件が発生。日本人(熊本県天草市と茨城県水戸市)約650名が犠牲となった。
 当時の小樽市は、樺太、シベリア方面への物資積出し港であり、ニコラエフスクとも縁が深く、1924(大正13)年に、殉難者の遺骨を小樽で永久保存しようと、軍部に請願して許可がおり、市民に迎えられ浄応寺に保管した。
 
 1937(昭和12)年に、藤山要吉が、手宮公園内に慰霊碑や納骨堂を私財で建て、この場所で法要が粛々と行われている。
 島会長(浄応寺住職)は、「100年前、この本堂で、尼港から引き上げた遺骨を迎える法要を行った。その同じ場所で百回忌を行うことができたのも、ただならぬ縁だと思う。
 100年の歳月が流れた。尼港は戦争ではない。何も罪のなく落ち度のない方々が亡くなった。100年たった今も胸が痛む。大きな節目を迎え、小樽佛教会が存続する限り、ひとつの使命として続けていく心を新たにした」と述べた。
 手宮地区連合町会・荒谷しげ子会長は、「石山町会の会長を務めた時から、毎年お参りして14年目。ここに遺骨を引き取った事情があり、地元の住民として、疎かにできない。遺族の皆さんも高齢だが、行事を続けていくことが大切。慌しい世の中ではあるが、平和を祈りたい」と話した。
 参拝者には、尼港殉難者百回忌を記念して作られた冊子と、砲弾を模った和菓子(非売品)が配布された。