「水天宮の丘にのぼって 小樽の夜の街をながめるのが 私はたまらなく好きだった」と記すのは、阪東妻三郎主演の映画「無法松の一生」で、相手方の未亡人役を見事に演じた女優・園井恵子。
園井恵子(本名・袴田トミ)さんは、1913(大正2)年8月6日生。岩手県松尾村の出身で、小学時代を岩手で送り、のちに叔父一家が小樽市に移転することになり、祖母と共に小樽に移り住んだ。小樽高等女学校(現・桜陽高校)に通い、その後、宝塚音楽歌劇学校に入り、タカラジェンヌとして活躍。
1943(昭和18)年に封切られた、稲垣浩監督、阪東妻三郎主演の映画「無法松の一生」で、吉岡大尉の未亡人役を見事に演じた。その気品あふれた清楚な美しさとやさしい笑顔が見る者の心を捉えて離さなかった。宝塚女優、映画女優として知られたが、戦時中の慰問公演の途中、広島で原子爆弾に遭遇するという運命の悪戯で、その33才の短い生涯を閉じた。被爆した1945(昭和20)年8月6日は、図らずも誕生日と同じ日だった。放射能障害に苦しみながら、8月21日に永眠。
市内花園にある西病院の西信博院長(72)は、桜陽会の会長を務めたこともあり、色々な席で園井恵子さんが小樽桜陽高(小樽高等女学校)に入学したことがあるとの話をたびたび聞かされていた。そこで、インターネットで検索し、園井さんの資料集があることを発見し、発行元の岩手県松尾村から2部送ってもらい、一部は桜陽高に寄贈した。
今年の桜陽会の新年会で、同資料集に載せられていた園井さんの「思い出の小樽」の詩を披露したところ、OBたちから大変好評を得たという。「桜陽で学び女優となり、戦時中も大変苦労して活動しながら、最後には被爆死にあうという本当に可哀相な女優さんだったので、小樽に関するわずか2ページの詩を見つけて、紹介出来て良かった」(西院長)と話す。
この詩の朗読を聴いた桜陽会の熊沢隆樹さん(熊沢歯科医院院長)は、「あの阪妻の映画で未亡人を演じた女優が、同窓だということも驚きだが、その園井恵子さんが書いた詩で、小樽の街を貴重な思い出にしていることも感慨深い。活気のない街になってしまったが、小樽と縁のある数奇な運命の女優さんが、水天宮から小樽の街を眺めていたことを知り、小樽をもっともっと大事にして、活気つけなければいけないと思う」と、水天宮の修復にも力を注いでいる最中だけに、一層感慨深げだった。
園井恵子さんは、「思い出の小樽」の詩の最後を、「ああ、あんなこともあったっけ もう一度行ってみたい小樽」 と結んでいる。
『園井恵子・資料集―原爆が奪った未完の大女優』 岩手県松尾村編 四六判 356ページ 2,000円