「オタルナイからはじまる交易の軌跡」 市総合博物館


 小樽市総合博物館(手宮1)では、ミュージアム・ラウンジ「オタルナイからはじまる交易の軌跡」が、1月25日(土)14:00から同館2階研修室で開かれ、小樽の歴史に興味を持つ20人が聴講した。
 同館・菅原慶郎学芸員が講師を務めた。江戸時代における小樽の産物の流通システムについて、古文書の内容を紹介し、小樽の産物や本州への流通について詳しく解説した。
0125museumlounge.jpg はじめに、18世紀頃の北海道を理解するために、松前・蝦夷の特有の流通態勢について、「商場知行制」や「場所請負制」について説明した。産物については、ニシン・鮭樽・昆布・アワビ・ナマコ・鱈・鯨・魚油・海獣類などの海産物が充実し、木材やアイヌが作った服(厚子)などを本州へ流通していたと語った。
 次に、18世紀の小樽の場所と産物について、日記や調査を記録した古文書を使用して紹介した。
 オタルナイ場所やタカシマ(シクズシ)場所、オショロ場所の3つについて、「蝦夷商賈聞書」(1940年頃)や「松前随商録」(1781年頃)、「西蝦夷日記」(1807年)などの古文書に詳細が書かれている。、当時の産物や運上屋(アイヌとの交易の場)が移転したことなどが分かる。
 オショロ場所では、蝦夷の中で良い港と書かれ、冬には船を止めて冬囲いをするとも書かれている。
 古文書から、そのぞれの場所との比較ができ、オショロ場所では産物の品目も多く、石狩川の秋鮭漁の船を囲いをして停泊していたという。18世紀中頃から、産物の種類が増加・充実し、運上金(税)も急増した。
 蝦夷地(小樽)産物のゆくえとして、主要産物のニシンは、17世紀後期は越前敦賀(福井県)へ、18世紀には鳥取へ肥料として運ばれた。質の良い飼料(〆粕)は、19世紀以降本格的に運ばれた。鮭や鱒は、内陸の重要なタンパク源となり、小樽から山形、山形から信越、中国へ運ばれた。ナマコ・アワビは、輸出海産物として利用された。
 菅原学芸員は、「18世紀に注目したのは、産物が充実し運上金も上がった。ニシン・鮭・鱒が小樽の主な産物で、ナマコ・アワビは中国へ、ニシンは飼料にした。また、本州や中国とも繋がり、当時の小樽から世界をみることができ面白い」と締めくくった。
 札幌在住の大学院生・阿部哲也さんは、「先輩の講義を聞きに来た。小樽は、明治時代の運河や鉄道のイメージが強いが、江戸からの歴史に焦点を合わせ、当時の時代の様子を理解し、海の産物から小樽の特質が分かる」と話した。