市立小樽美術館(色内1・苫名真館長)では、開催中の「人生百年 書道大家・宇野静山」に関連し、3月30日(土)13:30から、遺族・門弟の臥龍社会員らによる公開座談会「書道大家・宇野静山の思い出」が開催され、訪れた約70人が、生前の宇野氏の書道に打ち込む姿やエピソードなど、時間を忘れて聴き入った。
宇野家次男の臥龍社・宇野雉洞社主と三女の同社・吹田由紀子事務局長、北海道書道展招待作家・北川稲谷氏、高校生の頃から宇野氏に指導を受けていた同社会員・西靜湖氏、同会員で北海道書道展会友・牧野伊津氏が参加し、市職員で書道市展委員の中村秀嶺氏が司会を務めた。
宇野社主や吹田氏が、宇野氏の生い立ちや家族に見せる素顔について語り、吹田氏は、「あまり指導を受けた記憶が少なく、質問しても自分で考えなさいと言われショックだった」と思い出を振り返った。
朝起きてラジオ体操と竹踏み100回、かなの勉強と手本を書くことから始まり、遅い朝食兼昼食には、トースト・人参入りの卵焼き・野菜少々、牛乳やバナナ・はちみつなどで作ったジュースをジョッキで飲むのが日課で、酒が好きでグラスいっぱいにつぐと嬉しそうに飲んでいたと、家族との会話を交えて生前の人柄も紹介。人生100年を心がけ、107歳まで生きると話していたが、103歳9ヶ月で生涯を閉じた。
特別展にも展示されている全紙に3分の1を付け足した大きなサイズに書かれた「寿」には、書の最後に完成を締める落款が、「遊印」と呼ばれる文字の中に印が押された印の位置が面白い作品で、宇野社主は、「落款を省いて遊印にしたのは、個性を追求し、自分の生き方を許したのだと思う。
作品を書くというよりも、文字・筆を楽しむ気持ちが良く出ている。筆に従って書いているようにも見えるが、良く見ると大胆さが見える。ぜひ実物を会場で味わってもらいたい」と、来場を呼びかけていた。
北村氏は、「宇野先生は線質を重んじ、線が一番大切だと言われ学んだ。弥勒菩薩が写る写真を見て感銘し、その姿勢と同じように湾曲させて書き、どうだ?と問われた」と話し、「小樽商業で先生と出会い、まずは自分で書いてと手本をくれなかったが、悪い所を指摘してくれた。酒が強くなければ字が上手くならないとジョークを言われたことも。
先生に魅かれたのは線質が素晴らしい。決して遅くなく早くもなく、スカッとした品のある作品が多かった」と、指導者としての宇野氏について述べた。
西氏は、「桜陽高校の書道の授業で、バケツに水を入れ大きな筆に水をたっぷりとつけ、黒板に大きな字を書いてその迫力に圧倒され、この先が不安になった。
授業が進むにつれて、筆は根本まで全部下ろし、墨をたっぷりつけて腕全体で書くなど、今までの習字とは別のものだった。そういう書き方を自然に身につけるまで、相当の時間がかかった」と話した。
牧野氏は、「高校の書道の授業で出会い、西先生と同じ経験をしながら過ごす。卒業後、臥龍社に入門。大人は通信で月1度だけ先生のお宅で直接指導を受けた。壁一面に教書がかけられ力強さに圧倒。
墨をたっぷりつけなさい、どんなに年をとっても瑞々しい若々しい文字を書きなさいと、創作の注意を言われた。ぞうきんを絞るとじゃっと水が出る、そのような字を書きなさいと例えられたぞうきんが印象深く、80歳になっても覚えていたのはぞうきんだったから。いつでも、ぞうきん・瑞々しい・若々しいと連動できたので、すぐれた指導者だと思っている」とエピソードを交えて語った。
最後に、中村氏は、「静山先生の書道そのものに対する熱意を受け継ぎ、日々研鑚していかなけらばならない。そして、書道の面白さを継続していく。多くの方が、日本の伝統文化である書道に、少しでも興味を持ってもらいたいと静山先生も期待していると思う」と、締めくくった。
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