市立小樽文学館(色内1・亀井志乃館長)は、小樽雪あかりの路のイベントの名称の由来となった伊藤整の詩集にちなみ、同イベントの開催時期に合わせ、伊藤整に関するミニ展示をしている。
2月3日(土)~3月3日(日)、8回目となる今回は「伊藤整と高商石鹸」と題し、かつて小樽高等商業学校で作られていた高商石鹼にまつわる伊藤整のほろ苦い青春のエピソードを、無料コーナーに資料やパネルを展示して紹介している。
伊藤整が通う同校(現小樽商科大学)時代の話で、小樽貯金局に勤め通学列車内で知り合った、文学が好きな青年・川崎昇とともに、休刊中だった短歌雑誌「青空」の復刊を計画し、その資金を稼ごうと、学校の工場で作っている同石鹼を仕入れ、花園公園通りの夜店で売ることを思いついた。
当時、学校で製造していた石鹼は市民からの評判も良く、高商を代表するブランド品だった。自伝的小説「若い詩人の肖像」の引用文から、伊藤整の心理描写を紹介。「計画に乗りながらも、心の中ではまさか実現しないだろうと思い、販売直前になっても、支度ができていないから川崎があきらめるのを祈っていたが、それをいとも簡単にやってのける川崎を尊敬した」と書かれている。
会場の年表には、石鹸が商品になるまでの成り立ちも紹介され、1917(大正6)年に応用理化商品学教室や商品実験室が新築され、1919(大正8)年には、第2学年と第3学年で商工経営の科目が加えられ、第3学年には企業実践の科目も新設。12月に実習工場が竣工され、のちに石鹸工場となり、2年後に伊藤整(17)が入学。
1923(大正12)年に6月に石鹸を売る計画を立て、7月に販売、年末頃に「青空」を復刊した。
小樽商大・沼田ゆかり教授の協力で、小樽新聞から辿る高商石鹸の製造方法をパネルで紹介し、牛脂にニシンの油を混合していたと思われ、魚油脱臭法の特許も取っていたことなどを紹介している。
現在、同大では、小樽高商の誘致に関わった榎本武揚が、幕末にオランダで学んできた石鹸(榎本石鹸)を作るプロジェクトを進め、本展示では榎本石鹸についても紹介している。
亀井館長は、「伊藤整の青春と、小樽商高で作っていた石鹸を売ろうとした青年のためらいを知ることができ、ぜひ親しみを持ってもらいたい」と話している。
第8回雪明りの路ミニ展示「伊藤整と高商石鹸」
2月3日(土)~3月3日(日)9:30~17:00
月曜日(2/12除く)・2/13(火)・14(水)・27(火)
市立小樽文学館(色内1)無料コーナー
◎【無料展示スペース】雪明りの路ミニ展示第8回「伊藤整と高商石鹸」(外部)