和装街シンポジウム 小樽を和装で素敵な街へ

 和装街小樽シンポジウム(ヤマダサチ実行委員長)が、令和5年度ふるさとまちづくり協働事業の新規事業として助成を受け、洋服も含め自由な着こなしで約90名が参加し、11月11日(土)13:30から小樽市観光物産プラザ(色内2)3番庫ギャラリーで初開催した

 

 開催に先立ち、ヤマダ実行委員長は、普段着のつむぎを着てきた理由に触れ、「このシンポジウムをしたいと昨年思った時から、この着物で参加しようと決めていた。洗い張りをして自分サイズに仕立てた着物が小樽とリンクした。このシンポジウムができたことに感無量」と挨拶。

 

 シンポジウムでは、基調講演やパネルディスカッション、小樽と和装の関係について考え、和装の楽しみ方について情報収集を行い、合わせてフリー交流会や写真撮影も行われ、和装を楽しむ市内外の人々で賑わった。

 

 基調講演では、「小樽史の中の和、和装街へのまちづくり運動」と題し、NPO法人歴史文化研究所・石井伸和副代表理事が講演。小樽の歴史、和文化はどのように伝わったかおさらいし、後半には和を活かしたまちづくりを提案した。

 

 江戸時代後期、小樽と呼ばれる地域ではアイヌの人々が暮らし、その後も江戸時代の延長で和装を身に着けていた。

 

 明治後期から、北海道の玄関口となった小樽はビジネスチャンスの街で人口増となり、ビジネスが栄え、花柳界も賑わう。遊郭・料亭・見番が軒を連ね、500人を数えるほどの芸者で、花柳界こそが小樽史における和装文化の最盛期。

 

 大正後期から昭和初期は小樽黄金時代。今の歴史的建造物が多く建てられ、市民も経済発展の恩恵を受ける。ハイカラなモダンガールとボーイで溢れ、和装は、冠婚葬祭時に封じ込められ、タンスの肥やしとなっていったが、踊りなどの伝統文化に静かに継承された。

 

 そして、小樽のもったいない気持ちを信条とした歴史的建造物や生き方を再生。小樽独自のムーブメント、生活雑貨やファッションにも和装がしっかり位置づけられ、寿原邸に来る札幌の人々に教えられた。

 

 和装で来る人に、「札幌の女性陣は、小樽に行くには着物で」と言われ、小樽の洋風建造物に和装が映え、粋で清楚な着物はもとより、和生地のリメイクや和模様のコーディネイトなど、個性的な和装ファンションに挑戦するかいがあるのではと感じたという。

 

 最後に、「今日を突破口に、和装が増えていくよう応援したい。小樽こそが発信すべき和装街。ファッションはアートフルにやってほしい。和装は差別不要で、アートでライフスタイルになる。小樽に和装ポテンシャルあり、あなたもAlternative(もうひとつの)な歴史創造に挑戦、あなたもBeyond the 観光の光源に、和装街、小樽づくり、文化と経済の新たな振興」と提案した。

 

 第2部のパネルディスカッションでは、和装クリエイターの小倉マナカ氏、株式会社和光の臼杵美紀氏、プチシャルダン船見坂業務執行社員のNana氏、キモノDE小樽代表の八尾幸治氏、コーディネーター役はヤマダ氏が務めた。

 

 4人ともにおしゃれな着こなしで、臼杵氏は、帯にカラス、帯留めにうさぎがついていて、烏兎怱怱。カラスは太陽でうさぎは月、小樽の歴史に敬意を払う意識したコーディネートと説明し、「ルールが難しいとかにとらわれずに、自由に着れば良い。今日の帯と帯留めのカラスとうさぎみたいに知的な楽しみ方もある」と話した。

 

 Nana氏は、「親戚からキモノをもらったが、体に合わなかった。洋服とミックスしてきたのが始まり。4歳まで小樽にいて今年1月にUターンし、小樽の魅了を見つめ直している」と話し、八尾氏は、「自分で仕立てた大島で、市外で着物を着ていたが、キモノDE小樽をはじめ独学で学び、和装は洋服とは着心地が違う」と語る。

 

 小倉氏も、「着物=晴の日と思う人が多いが、着付けもTPOがあって良い。普段着でそんなに気負うことはない。襟合わせだけ正しくすれば、着付けももっと楽に考えるべき」と話し、4人それぞれに着物を楽しむ様子が伝わっていた。

 

 ◎和装街・小樽(外部)

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