ふるさとの魅力未来へ 全国町並みゼミ小樽大会開催

 第46回全国町並みゼミ小樽大会(中一夫実行委員長)が、10月13日(金)13:00から小樽市民センター(色内2)マリンホールで開幕した。

 

 郷土の町並み保存とより良い生活環境づくりを目指し、台湾歴史資源経理学会・丘如華秘書長の記念講演や、小樽運河論争の対立構造-その遺産と新たな動きと題して、法政大学社会学部・堀川三郎教授の小樽報告Ⅰの講演、国立大学法人小樽商科大学・高野宏康客員研究員がコーディネーターとなり、パネリスト3名によるパネルディスカッションなどに約300名が出席した。

 

 全国町並みゼミは、1978(昭和53)年に第1回有松・足助大会に始まり、各地の町並み保存や活用運動、歴史を活かしたまちづくりについての情報交換や事例の検証を行い、全国の会員との交流を図っている。

 

 小樽大会は、1980(昭和55)年に小樽・函館大会と2001(平成13)年に行われ、今回は3回目となる。

 

 小樽報告Ⅰでは、コーディネーター役に高野氏、NPO法人OTARU CREATIVE PLUS専務理事で株式会社福島工務店・福島慶介代表取締役、小樽青年会議所の同大会・笠田健太郎副実行委員長、小樽観光協会の同大会・永岡朋子副実行委員長がパネルディスカッションを行った。

 

 運河保存運動の歴史から何を学び、これまらのまちづくりにどう活かしていくのか、世代を超えて、未来志向で小樽のまちづくりを考える場とし、「文化と経済」の両輪のまちづくり・小樽のまちづくりのこれまで・現在の課題・今後の目指すべき方向性・「歴史を活かした観光まちづくり」のあり方について討論した。

 

 福島氏は、これまでの活動を紹介し、これからの100年のテーマには、「第3号ふ頭に300台の駐車場や大型クルーズ客船が寄港でき、海から人の流れがかなりあり、第3倉庫が基点になれると、北運河全部を網羅できる。文字通り、小樽の心臓になり得る。失敗を恐れずにチャレンジを続けること」と語った。

 

 永岡氏は、「3人の共通の思いとしては、地域の人の意識が自分たちごと考えること、それを、どんな価値があるか、どんな意味がどんな意義があるかを、どう訴えるかがすごく大事で、ちゃんと伝えることで未来に繋がる思う」と述べた。

 

 笠田氏は、「運河論争で、当時、市民が知るすべがなかったことが、長引いた要因のひとつと思われる。今は、情報化社会で市民も知る権利を持っている。待っているだけではだめで、市民も勉強して意識の高さを持つことで、成し遂げられる未来も明るいと思う」と述べた。

 

 その後、各地からの報告会が開かれた。

 

 この時期としては穏やかな暖かい日となった2日目の14日(土)は、小樽市観光物産プラザ(色内2)3番庫ギャラリーに集合し、歴史文化まち歩きを実施。日本の近代化を牽引した小樽を学ぶAコースと色内銀行街と小樽運河の今を知るBコースに95名が参加した。

 

 各コース3グループに分かれて15分おきに出発し、Aコースはおたる案内人ボランティアが、Bコースは小樽観光ガイドクラブの会員が案内役を務め、子ども案内ポイントとして、各コース3ヵ所で、朝里小学校児童と未来創造高校の生徒が案内役を務めた。

 

 小樽運河と銀行街を散策するBコースの1つ目のこども案内ポイントは、旧小樽倉庫(運河プラザ中庭)前で実施された。

 

 小樽未来創造高校情報会計マネジメント科3年の庄木さんが、旧小樽倉庫の歴史と特徴の木骨石造について、外側のレンガで耐火性や耐久性・内側の木造で倉庫としての機能などを解説。

 

 朝里小学校6年の葉原さんは、今の小樽の現状として、バリアフリーとユニバーサルデザインが少く、障がい者や高齢者にとって住みやすい町ではないと感じたと言い、歴史的建造物のトイレは小さく、道路や歩道が整備されていない。車いすでも入れるようにトイレを大きくし、段差を埋め安心できる音のなる信号機を作れば、誰もが安全で安心して暮らせるまち・みんなが住みやすいまちになる。今は小学生なので実現するのは難しいが、大人になったら実現させたいと発表した。

 

 市内在住の男性は、「初日の各地からの報告から3日間参加するつもり。小樽市民であっても分からないことがあり、学ぼうと思って参加した」と話していた。

 

 午後は5つの分科会に分かれ、まち歩きとパネルディスカッションを実施し、最終日の15日(日)は小樽市議事堂(花園2)で、記念シンポジウム「市長サミット 町並み保存とまちづくり」を開催する。

 

 ◎第46回全国町並みゼミ小樽大会(外部