2018(平成30)年に97年の歴史に幕を下ろした緑小学校の跡地が、新小樽市総合体育館の移転用地として活用されることになり、旧緑小学校の記念碑について考える会(大橋一弘会長)では、同校が存在した証と小樽から発信した国語教育の遺産として、敷地の一部に旧緑小学校メモリアルガーデン(仮称)の設置を希望し、8月18日(金)15:00から市役所(花園2)2階市長応接室で要望書を提出。
迫俊哉市長と林秀樹教育長へ手渡すため、大橋会長をはじめ、上泉哲氏ら同会員7名が出席した。
同考える会は、今年7月20日に、旧緑小学校校区内の6町内会の12名で発足。大橋会長も70年目に同校に入学し卒業、同校最後の校長だった上泉氏は、11年間務めた思い出深い学校。
敷地内の一部に同メモリアルガーデンを設置し、卒業生や地域の方々が立ち寄り、同校の記憶を思い起こし、後生にその歴史を伝える場所となればと要望書の提出に至った。
現存する「共に育ちましょう」と「自覚行」と刻まれた2つの石碑を記念碑として常設し、周辺に植樹して整備することを要望。
東京高等師範学校(現・筑波大学付属小学校)の訓導であった芦田恵之助先生が、「師弟同行」を説きながら全国各地で国語教育の研究会を開催。石碑の1つは、芦田先生が説いた言葉「共に育ちましょう」が直筆で石碑に刻まれ、先生が亡くなった3年後の1954(昭和29)年に、同行父母と教師の会が先生を偲んで教育遺言とした石碑を校門のあった場所に建立した。
もう1つは、開校4年目の1923(大正12)年から1948(昭和23)年までの25年間にわたり、第3代校長を務めた沖垣寛校長が「自覚行の精神」を提唱し、「自覚行」という文字を刻んだ石碑を、同会会員である浦崎石材店に依頼し1987(昭和62)年に建立した。
迫市長は、「現在の石碑は、いずれも国語教育に携わった先生の功績を讃え、国語教育において、全国的に見て先駆的な存在でその証。平成30(2018)年に閉校し、2つの石碑は父母や地域に方により現在の地に移された。
歴史を後生に伝えることは、子どもたちの郷土愛の育成の観点からも大変重要。いずれかの形で残していくべきと考える。今後整備を検討する中で、引き続き協議していきたい」と述べた。
大橋会長は、「私たちとしては、緑小学校は新しい形で3校合併したが、緑小学校の精神や思い出を、いつまでも語り伝えていけるものが、地区にほしいと切なる思いがある。
そのシンボルが今回の石碑で、ぜひ石碑を移転して、緑小学校の歴史を語り継いでいきたい」と強く願った。