市立小樽文学館(色内1・亀井志乃館長)では、現在、小樽雪あかりの路の開催に合わせた恒例の伊藤整関連のミニ展示「伊藤整と通学列車」と、企画展「伊藤整日記と近代文学研究者・曾根博義の仕事展」が開かれている。
無料スペースを使った展示「伊藤整と通学列車」では、1919(大正8)年、余市-小樽間を通学列車が走るようになり、伊藤整が庁立小樽中学3年生から小樽高商卒業までの5年間に、塩谷駅から乗車して小樽まで通った頃、どんな列車に乗っていたのか、伊藤整が残した作品から、亀井館長らが読み解き、鉄道に詳しい小樽市総合博物館の佐藤卓司学芸員やフリーライターの渡辺真吾さんの協力で、もっとも近い蒸気機関車2120形を、鉄道模型製作者の木村恒興氏が製作した模型や、当時の駅舎周辺の写真を展示している。
通学列車では有意義な出会いがあり、列車で余市町から同じ中学に通う、2歳上の鈴木重道(後の歌人・北見恂吉)から藤村詩集を薦められ、詩の世界に深く心引かれた。
小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学後も列車での通学は続き、小樽の貯金局に勤務していた時に2歳上の河崎昇にも出会い、昇の従兄の河崎尚が主宰する歌誌「青空」を紹介され参加した。
伊藤整の「若い詩人の肖像」には、通学列車での出来事が綴られ、当時、専用の客車に乗っていた女学生たちについても触れている。
この企画展を担当している亀井館長は、「通学列車をテーマに掘り下げてみると、いろいろなことが分かった」と話している。同ミニ展示は3月5日(日)まで。
企画展「伊藤整日記」と近代文学研修者曾根博義の仕事展も同時開催され、関連書籍や記録したノートや写真など約200点を展示している。
伊藤整著の太平洋戦争日記3冊が話題となったが、これで終わりではなかった。チャタレイ裁判でのメモをきっかけに、1952(昭和27)年から1969(昭和44)年に亡くなる直前までの17年と10か月間(47歳〜64歳)、ノートや日記帳にほぼ毎日書き続け、息子である伊藤礼さんの手により2022(令和3)年1月に8冊の書籍で刊行された。
これを記念して、日本近代文学館所蔵の最初のメモ帳から日記帳まで実物8冊を展示し、日記の文面と関連写真も展示している。
また、伊藤整に強く魅かれ研究した近代文学研究者・曾根博義の仕事展も開催されている。
1940(昭和15)年に生まれ東大経済学部を卒業し、生命保険会社に勤務したものの退社し研究者となり、日大文理学部教授となる。
名著「伝記伊藤整」を1977(昭和52)年に刊行。伊藤整に関係した人物にほとんど会うなど徹底した調査ぶりで、膨大なノートや手帳の一部を展示紹介している。このような調査の仕方は、後にも先にもないほどだという。2016(平成28)年76歳で亡くなった。
塩谷ゴロダの丘の伊藤整文学碑前で、建立に尽力した伊藤整の旧友2人と撮影した写真からは、執筆のための調査だったことが伺える。
玉川薫副館長は、「回りの人を全部調べれば、伊藤整本人にも気づかない人物が浮かびあがるとの考え方で、蔵書量もすごい人として知られている」と語った。
文学館では、その一部の寄贈を受け、伊藤整の本が並ぶ書斎を会場で再現している。同企画展は3月26日(日)まで。22日(水)休館。入館料:一般300円、高校生・市内75歳以上150円、障がい者・中学生以下無料。
18日(土)14:00〜15:00、関連イベントとして、曾根氏の教え子で日本大学教授の山岸郁子氏による「曾根先生を語る会」の開催を予定している。