全国2番目に続くタウン誌「月刊おたる」が、9月26日(月)に通巻700号(10月号)を発行した。創刊から58年を超え、詩やエッセイ、地元企業や人物の紹介など、現存する雑誌の中で、北海道内のタウン誌としては最古となる。
小樽在住の画家・小川清(1934~2017) が提供した427号分のほか、小樽ゆかりの画家が様々な視点で小樽を切り取って表紙絵を飾り、人々に同誌を印象づけた。
1964(昭和39)年7月号から、故・米谷祐司氏が「郷土のために何か始めたい」とスタートし、初代の金澤澄恵さんが1964(昭和39)年7月号〜1972(昭和47)年、2代目の杉の目和夏さんが1976(昭和51)年7月号〜2006(平成18)年6月号の編集長を務めている。
3代目の藤森五月編集長は、その志を米谷氏から直接引き継いだ最後の編集長として重責を担い、「米谷さんを知らない次の代に伝えなければならない使命がある。小樽の歴史の財産のひとつとして、1冊でも多く1年でも長く未来の編集長に残したい」と話した。
藤森編集長は、踊りの道で生きて行こうとしていた頃、米谷氏の勧めで、2006(平成18)年5月の505号発行時に株式会社月刊おたるに入社。3代目編集長となり、同氏がどんな志を持って発行しているのかを、亡くなる2011(平成2)年まで直接学び、舞踊家と二足の草鞋で仕事をこなしてきた。
創刊時から巻頭に記述している「この小さい雑誌をふる里を愛する人にささげます。海と山につつまれた港まち小樽のかぎりない夢と繁栄をねがいながらいつも新鮮でありますように、いつもこころの友でありますように、皆様のお引立のほどお願い申しあげます」という挨拶文が、同誌のすべてに尽きるという。
入社して18年、いろいろなことがあった中で、2度の大事件として、創刊者で発行人の米谷氏が亡くなった時と、2018(平成30)年6月に2代目発行人の森元勝章氏が亡くなった時を振り返る。
「五月の個性を出したら」と言う人もいたが、米谷氏の志を引き継いだ森元氏の心を大事に作ろうと、改めて決心したという。数々のエピソードを抱えながら、どんな時も次号のことが頭から離れない日常を過ごし、11月上旬の記念誌の発行に向け奔走している。
加藤光彦氏が描く「メルヘン通り」が表紙絵の700号は、通巻700号特集として、小樽在住の編集発行人の月刊小樽學の石井伸和氏と月刊ラブおたるの佐々木忠康氏が、月刊おたる発行人の山本一博氏と「郷土愛で語る」や「タウン誌、ともに続く」をテーマにした対談や、700号を祝い、市立小樽美術館学芸員星田七重さんと市立小樽文学館亀井志乃館長が寄稿文を掲載している。
同文学館(色内1)では常設展示コーナーで、10月1日(土)・2日(日)に「月刊おたる700号の軌跡」をプレオープンし、会場を企画展示コーナーに移し、10月8日(土)~30日(日)に本展を開催する。
プレオープンでは、同館収蔵コレクションの月刊おたる2号他を展示し、「市制50年に思うこと」や「新幹線 問われる小樽の実力」、「小樽の男性へもの申す」の次に「おたるの女性にもの申す」などの面白い記事をピックアップして展示し、当時の地元経済界などの重鎮と米谷さんとの対談などを紹介。
亀井館長は、「その時々に直に会って生の声を聞き、こんなことを話されていたんだと、その頃に考えていたことが分かり、歴史的記録となっている。厳しい時もあったが、基本的なスタイルを変えずにずっと継続できたことに、小樽の底力・粘りを感じさせる」と話した。
藤森編集長は、「企画展では、月刊おたるのあゆみとともに、皆さんの懐かしい時代を振り返られるようご覧いただければ」と話している。 問合せ:0134‐23‐4530 株式会社月刊おたる
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