小樽商科大学(緑3・和田健夫学長)は、終戦74 年目の8月15日(火)11:59から、同大構内研究棟前の木漏れ日が降り注ぐ緑丘戦没者記念塔で、緑丘戦没者慰霊祭を執り行った。
和田学長をはじめ、遺族・天野友嗣緑丘会小樽支部長と会員・学生代表・大学職員ら約65名の参拝者が集まり、12:00のサイレンを合図に黙祷を捧げ、戦没者を追悼し平和を誓った。
白樺林に囲まれた記念塔は、同大学の名誉教授であった松尾正路氏の呼びかけで、1969(昭和44)年8月15日に完成。大学構内にある記念塔は珍しく、建立以後、毎年終戦記念日に途絶えることなく慰霊祭が行われ、令和元年の今年で51回目となった。
記念塔内には、若くして尊い命を落した学生・教員347名の氏名が刻まれた墓石と、「戦の野に果つるとも 若き命 この丘にとヾまりて消ゆることなし 友よ 安らかに眠れ」と書かれて碑石が納められている。
和田学長は、「この碑文には、戦没者への追悼、戦争の悲惨さだけではなく、平和への強い思いが込められていることを忘れてはならない。異国の地で、若き命を奪われた同窓の無念さを想い、この丘に立ち、記念塔の前で平和を誓う」と述べた。
天野支部長は、「今日の平和と繁栄は、多くの諸先輩の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れず、戦争の残忍さ・悲惨さ・平和への願いを後世に伝えていくことは、生きている私達と現役の学生の方々の使命である」と、哀悼の念を捧げた。
遺族から先に、緑丘会会員・学生代表・大学教職員と続き、白い菊の花を献花して故人を偲び、グリーン&カンタールが参拝者とともに、清らかな歌声で校歌1節と4節を歌い、慰霊祭を締めくくった。
1954(昭和32)年卒業の市内在住の辺見さん(85)は、「毎年来ているが、重い想いがある。終戦の1ヶ月前に疎開先で空襲にあったが、この年まで生きてきた。20歳代で亡くなった人達の無念さ、どんなに勉強をしたかったかと思うと、戦争はこりごりだ。私には、校歌しか歌ってあげられない」と故人を偲んでいた。
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