コロンビアで日本語教師 小樽出身の羽田野香里さん


 小樽出身の羽田野香里さん(43)は、南米コロンビア第2の都市メデジンで、日本語教師となり8年、日本文化を伝えながら、精力的な日々を過ごしている。
 このほど、弟の結婚式(東京)に出席するため、3年ぶりにふるさと小樽に帰国した5月24日(水)、インタビューを行った。
 羽田野さんは、高校まで小樽で過ごし、北星学園大学文学部社会福祉学科に進学。卒業後は、児童養護施設に勤務した。子どもの頃から海外へ行きたいという夢を果たすために、まずマダガスカルへ。2002(平成14)年~2004(平成16)年にかけて、JICA(独立行政法人国際協力機構)の日系社会青年ボランティアでパラグアイへ行き、2005(平成17)年からは、青年海外協力隊としてコロンビアへ異文化理解教育を中心に任務。任期2年務める。この時に、市長を表敬訪問し、弊社も取材を行っている。関連記事
hatano1.jpg その後、JICAとは関係なく、フィリピンで州立の日本語学校で教えるが、スペイン語圏を希望。任期終了後更新せずに、ペルーへ渡った。知人に会いにコロンビアに行った際、メデジンにある私立のエアフィット大学で日本語教師の求人を知り、街に行ってみるとすごく気に入り、2009(平成21)年に勤務。同大学にある日本語言語センターで指導。他の大学の学生や高校生なども学ぶことができる。
 メデジンは常春の街と言われ、1年を通して気温が20℃前後と気候も人も温かく過ごしやすい街だという。首都ボゴタに次ぐ第2の都市で、大きすぎず小さすぎず緑もあり暮らしやすい都会。
 一方、メデジンカルテル(コロンビアの犯罪組織)のマフィアのイメージが強かったが、90年代の話で、今は落ち着き綺麗な街だと強調した。
 2012(平成24)年からアパートで一人暮らしを始め、自宅をバックパッカーに開放している。海外旅行中の日本の若者が利用、ブログ等で広まり、多い時で4、5人、現在も3人を自宅に滞在させたまま、日本に帰国した。
 羽田野家のバックパッカーの条件は、雑魚寝ができて、日本語教育に興味がある人。宿泊料は無料だが、羽田野さんが代表を務める「メデジン日本クラブ」でボランティアとして協力してもらう。学生と交流したり、日本の文化を伝え、家事も手伝ってもらい、お互いが助かる仕組みを設けている。
hatano2.jpg 同クラブは、ベレン公園図書館内にあり、月2回のミーティングを開き、折り紙や書道のワークショップや子どもの日・七夕・ひな祭りなどの日本文化を伝えている。
 また、メデジン日本語スピーチコンテストを、2010(平成22)年から開催し、毎年30人ほどが参加。3部門に分かれ、入門編は昔話などの暗唱、初級編は家族や友人をテーマに自分で書いた作文を読む。中級編は自由なテーマで書いたものを読む。入門編は2分半、初級・中級編は3分以内としている。
 2年前からポッキー(菓子)を同コンテストの賞品にするために、ポッキープロジェクトを立ち上げ、日本からポッキーの寄付を募ったところ、沢山の寄付があった。多い時には、参加賞として配布したり、1位にはより多くポッキーを賞品とし、とても喜ばれている。
 12月の第1週から2週にかけて日本文化の紹介や異文化理解をテーマにした公演「サンタプロジェクト」を実施。劇中に歌とダンスを織り交ぜ、日本語とスペイン語で「赤鼻のトナカイ」や「あわてんぼうのサンタクロース」などを披露している。
 昨年から、NGOと連携して国内避難民の居住区へ、許し合う平和教育や日本の文化を通じて世界へ視野を広げてもらおうと訪問も始めた。
 今後、クラウドファンディングで資金を集めるなど、充実を図るための方法を模索中だ。
 羽田野さんは、「日本の方にはコロンビアを知ってもらい、コロンビアの方には日本を知ってもらいたい。学生さんが繋ぐ架け橋となるよう育てたい。小樽の方にも、私を訪ねて来てもらいたい」と話した。(写真はFacebookより)
 サンタプロジェクトの依頼やお礼の手紙なども弊社で紹介しており、また、ポッキープロジェクトなどについての問合せはメールで行っている。
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