小林多喜二祭実行委員会(寺井勝夫実行委員長)は、小樽が生んだ日本プロレタリア文学の代表作家・小林多喜二の命日2月20日(月)13:00から、奥沢墓地で没後84年目の墓前祭を実施した。
同委員会が主催して1988年から命日の2月20日に毎年開かれ、今年で29回目となる。今日のために、前日に付けられた雪深い墓地へ続く1本道を、多喜二ファン90名が歩いて墓前に到着。参加者は、多喜二が父親のために建てた自らも眠る墓前で、多喜二の生きた時代に思いを馳せ偲んだ。
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奥沢墓地の墓は、上京して最初の原稿料を母に送り父のために建てた。墓石の裏には昭和5年6月2日小林多喜二建立と刻まれ、その3年後に亡くなった。
比較的穏かな天候に恵まれ、多喜二の墓前に大勢の人々が集まった。寺井実行委員長は、健康上の理由から墓前祭は欠席。琴坂貞子さんが挨拶文を代読した。「小林多喜二の不屈の生涯は、今を生きる私達に大きな励ましと勇気を与えてくれている。それはまた、不当な格差と貧しさを改め、平和を求めて明日に向かう国民的共同の塊の中に生きていると思う。共に手を取り合って足並みを揃えて、前に進む意思を込めて、多喜二の墓前にカーネーションを捧げてください」と読み上げた。
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参加者は、順番に赤いカーネーションを墓前に捧げ、多喜二を偲んだ。
15:00から小樽経済センタービル(稲穂2)4階ホールで、「記念のつどい」が開かれた。実行員会メンバーの大地巌氏が書き下ろした「多喜二と小樽」を市民5人による群読が行われ、特別出演として、福島県から琴古流橘梁盟氏による多喜二追悼の尺八独奏を披露した。
記念講演は、治安維持国賠同盟北海道本部・宮田汎会長が「多喜二の火を継ぐ小樽の人々」と題して講演。引き続き、寺井実行委員長が、1965(昭和40)年旭展望台に建立した碑にまつわるエピソードを交えて、多喜二への思い「私と多喜二・文学碑のこと」を語った。
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