40年の歴史に幕!"海猫屋"10月末で閉店

 全国各地から常連が訪れるレストラン「海猫屋」(色内2)が、10月末の閉店を決め、40年の歴史に幕を下ろす。
 
 その記者会見が、9月27日(火)10:30から、市役所(花園2)2階記者室で開かれた、店主・増山誠氏(68)から概要の説明があり、「40年間頑張り、運河・レンガの海猫屋を大切にしてきた。次は、これまでの生き方と違う生き方をしたい。何の悔いもなく、これまでのお客さんに感謝している」と閉店の決意を述べた。
uminekoya1.jpg 1906(明治39)年に建造された磯野支店倉庫(煉瓦3階建)に、1976年6月海猫屋が誕生。喫茶店・ライブハウスとしてスタート。舞踏団の活動やアーティストが集う文化を優先した場所となった。その後、小樽・後志の食材を生かしたレストランを現在も展開中。
 海猫屋を舞台にした著書・村松友視著「海猫屋の客」(朝日文庫)をはじめ、建物が小林多喜二著「不在地主」のモデルになるなど、同店に関連した著書や映画、CMなどが多数ある。海猫屋の建物は、今年7月25日に第83号小樽歴史的建造物に指定された。
 増山氏は、40年を振り返りながら、閉店に至った経緯を述べた。
 辞める理由については、店自体ではなく、あくまでも自分にあり、40年間の勤めの区切りを付けるため。全国からの応援もあり今日まで続けられ、小樽へ旅行・食事に来られるよう店作りに努めた。
 海猫屋という名前も、小樽にマッチしたうみねこ(鳥)が海で騒ぐと、その下にはニシンが群がり、屋は、小樽では珍しく瓦屋根だったため名づけたという。
 増山氏は、函館に生まれ小樽に育った。大学を中退して和食の世界に入り食の道へ進んだ。前衛芸術(革新的な表現を目指す芸術)の中に料理を提供することをテーマとしていた。
 余市や小樽で採れるヘラガニを主体としたパスタ料理など、イタリアと小樽をミックスした店を目指し、カレーに目玉焼きを乗せた先祖の増山鶏卵商会を残したメニューもあり、モダンな店内で味わう人々で賑わった。
uminekoya2.jpg 石原裕次郎氏が来店し、応援の言葉を受けたのが最初の一番の思い出。来店したミュージシャンや、大林宣彦監督の映画など10本以上撮影したこと、椎名誠氏とラーメンを食べる旅を1週間する中で、海猫屋の魅力はどうしたら良いかと相談したことなど、店を通じて数々の思い出を語った。
 増山氏は、「全国各地から3年おきに訪れる常連が多く、とてもありがく感謝している。今後、何をするかは何も考えられない。40年間必死にやってきた。楽しいことも辛いこともあり、男が40年店を続けるということは、これは一代でしかできない。50年・60年には二代目が必要となる。海猫屋は、増山誠と海猫屋が一体でなければ海猫屋にならない。僕の後にやりたいという人もいたが、子ども達に後を継いでもらいたいという気持ちにもならない。あくまでも増山誠一代で終わりということ、これが僕の考えで、辞める原因の一番なのかもしれない」と答えた。
 今後、小樽を去ることはなく、「小樽に役立つことがあれば参加したい」と述べた。
 海猫屋
 小樽ジャーナル・2002年3月のベストマスター