「小樽史談会」例会開く 積み重ねた520回


otarushidan.jpg 小樽史談会(中田貞蔵会長)では、4月17日(木)14:00から、市立小樽美術館(色内1)1階研修室で、例会を開き、会員21名が集まった。
 小樽の歴史を調査し語り継ぐ趣旨のもと、1970(昭和45年)年に設立した同会では、毎月ほぼ1度のペースで例会を重ね、今回で520回目となる。
 ”小樽を訪れたヨーロッパの2家族”と題して、会員である小樽商科大学名誉教授の倉田稔氏が発表し、ユーモア溢れる話術に、参加者から度々笑いが溢れた。
 同会は、会員相互の郷土史等の研究を深めることにより、地域文化の高揚に寄与することを目的としている。2014(平成26)年度は、小樽・札幌・東京在住の32名が会員登録し、各自の研究論題を発表することができる。2013(平成25)年度の例会では、のべ237名が参加し、小樽や北海道の歴史にまつわる講話を聞き、中では、改めて知る郷土史発掘の発表などもあり有意義な時間を過ごしている。また、6月には、旧日本郵船小樽支店や北海製罐小樽工場へ見学に出かけ、今年度は、罐友倶楽部を予定している。
 倉田氏は、「ヨーロッパ社会思想小樽 私の中の歴史」という同氏の著書に基づき、小樽を訪れた2組のヨーロッパの友人夫妻について、日本とヨーロッパの文化の違いやヨーロッパ人が見た小樽を、エピソードを交えて語った。
kurata.jpg 前半は、今から数十年前に、オランダの友人夫妻が小樽へ訪れた話をし、後半は、2011(平成23)年に、オーストリアの友人夫妻が小樽で10日間滞在した話を語った。
 その中で、オランダには、仏壇店や霊柩車がなくパチンコもない。生ものも食べず寿司を食べに行っても喜ばれなかった。日本との文化の違いから受ける2人の表情や会話を語り、改めて文化の違いを知った。
 オーストリアの夫婦は、小樽行きを半年前から予約していたが、大震災が起こった。原発をやめたオーストリア人にとって、原発事故の起きた日本へは行けないと、キャンセルしようとしたが出来なかったため、予定通り来ることとなる。激しい雨や湖の波を怖がり、ハイウエイの80km制限や集団の生徒の制服に驚いた。様々な価値観の違いや日本の当たり前と思っていた文化に、倉田氏は日本人として誤解を解こうとしたこともあったそうだ。
 オーストリア人の夫から、最後に「nice village」と言われ、「村」に愕然としたという。また、目抜き通りが18:00に閉店することについても驚かれ、同氏は「独自性をどう出すか考える必要がある」と締めくくった。
 その後、参加者を交えて歓談し、1時間半ほどで例会は終了した。参加者のひとりは、「大変素晴らしい話だった。楽しめた」と話した。
 次回の例会は、5月20日(火)14:00から、大橋孝之氏による「若き日の中江良夫と一原有徳」を発表する予定。