市内日銀通りの旧手宮線脇にある市立文学館・美術館(色内1)の休館日の10月4日(月)08:30から、小樽の朝の静けさを破るチェーンソーの甲高い音が、辺りに響き渡った。
同館敷地で約60年間、小樽の街を見守り続けた4本のポプラ並木の巨木が、小樽市役所(山田勝麿市長)の手により、無残にもバッサリと伐り倒された。これにより、市街中心地で貴重な緑の都市景観を演出していたポプラ並木の美しい容姿は、小樽の街から永久に消え去った。
ポプラを守ろうとの市民の声は、行政にも議会にも届かず、あとに残ったのはコンクリート電柱だけの無機質な空間だけとなった。
現場には、朝07:30頃から三々五々とポプラ並木を守る会(松浦光紀代表)のメンバーが集まった。メンバーは、ビデオやカメラを手に、この”歴史的な瞬間”を記録すべく、ビルの屋上や周辺に位置を定め、伐採作業の成り行きを見守った。
伐採作業は、08:30に大型クレーン車(35トン)と高所作業車の2台が敷地内に入ってから始まった。まだ伐られることも知らず高く枝を伸ばし葉を茂らせているポプラは、曇り空に聳え立っていた。伐採の準備に作業員たちが慌しく動き、高所作業車とクレーン車が連携し作業を進めた。
4本あるポプラ並木の伐採は、最初に手宮寄りの1本から始め、午前中の4時間をかけ、12:30までには4本全部の伐採を終えた。作業を見守った女性たちの目からは、涙が溢れハンカチで拭いながら、ポプラの生命の最後を惜しんでいた。
作業では、チェーンソーの甲高い音が鳴り響き、幹周2mある太い樹体が次々と輪切りに切断された。幹の真ん中にある芯が「バキッ」と折れる音が周囲にこだました。
小樽観光でたまたま周辺を通りかかったという東京から来た女性は、「私は巨樹に親しむ会に入っており、全国の大きな木を見て回って歩いているが、小樽では、ここをたまたま通りかかって、なぜこんな大きな木を伐ってしまうのか分からない。小樽はひどすぎますね。本当にバカなことをしますよね。北大の時にあんな大騒ぎになったのに、こんな元気な木を伐るのには本当に腹が立つし、到底理解出来ない。守る会の人からもらったこの小枝を大事に持ち帰って、押し花にしてとっておく」と、涙を溜めて話していた。
1本、2本、3本とポプラが伐採されるごとに、緑のない殺伐とした風景が広がり始め、周辺の高層マンションが際立つようになった。文学館・美術館が入居する市分庁舎(旧貯金局)の外壁の汚れも一層目立つようになった。
作業を見守った市民からは、「ポプラがあったから汚れが目立たなかったんだ。ポプラが無くなるとすっかり景色が変わってしまった」、「小さい頃からこの周辺で遊んいたので、すごく思い入れがあるポプラだった」との声が上がっていた。
伐採作業が12:30に終わると、守る会の要望で伐り倒されたポプラの切り株や伐られた幹など無残な姿が公開された。守る会メンバーたちは、切断された樹木に触れ、「可哀想に痛かったでしょ」、「こんなに水分を出して健康そのものじゃない」、「空洞も腐朽も全くないのにどうして伐られなきゃいけないのよ」とポプラに話しかけていた。
この作業を見ていた渡辺禎子・美術館副館長は、「空洞もなく健康だった。樹木医さんの言っていた通り健康だった。複雑な思いがあるが、今後のことを考えると伐採するしかなかった。守る会の意思も十分わかるが、管理する立場を考えて伐らせてもらった」と淡々と話していた。
守る会の松浦代表は、「予想した通り非常に健全な木だったことが立証されたので、市の姿勢が問われることになる。権力の使い方によって、こんな結果になるとは非常に残念だ」と、今後も市政の検証を続けることにしている。
青空を背景に堂々と聳え立ち、小樽の都市景観に潤いと優しさを与えていた4本のポプラ並木が伐り倒された後には、金がないとの理由で撤去の予定もない無機質なコンクリート電柱だけが残された。その傍らには、4本の無残な切り株が並んでいた。伐り倒されたポプラの木は、分庁舎の広場を覆い、その大きさを示していた。
伐採後には、消えたポプラを偲び、菊の花束を献花する市民の姿も見られた。
市長、市議会が、一体となって推進したこのポプラ伐採で、小樽は、緑のポプラよりもコンクリート電柱を大事にする観光都市だとして、全国に知れ渡ることになろう。
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