小樽市総合博物館・運河館で開催中の企画展「アイヌ語地名を歩く-山田秀三の地名研究から」の特別講演会「小樽・後志からアイヌの歴史と文化をみる」が、9月4日(土)14:30~17:00、運河プラザ3番庫(色内2)で開催された。
企画展では、アイヌ語由来の地名に関する研究で著名な山田秀三氏の資料を紹介。小樽周辺における地名研究の資料を中心に、忍路ニシン場の行事に関する研究・記録の展示を行っている。
同館は、この関連事業として特別講演会「小樽・後志からアイヌの歴史と文化をみる」を開いた。北海道大学大学院文学研究科の佐藤知己教授と神奈川大学経済学部の田島佳也教授が、約100名の聴衆の前に立ちアイヌの歴史と文化について語った。
佐藤教授は、「北海道日本海沿岸のアイヌ語資料について」と題し、約30年間の研究の中で推定した日本海沿岸のアイヌ語方言について講演。
「アイヌ語は、文字で書かれる習慣がなかったので古い記録がない。不十分であっても、アイヌ人以外が書いた記録を研究するしかない。不正確で大変だが、今のアイヌ語がどんな歴史で今のアイヌ語になったのか研究しないと完全なものにならない。
明治以降の日本の社会の影響で、『アイヌの伝統文化が崩壊し、今残っているアイヌ文化と本来の文化とは似て非なるものである。今、アイヌ語、アイヌ文化と言っているものは、純粋のアイヌ語、アイヌ文化とは言えない』という人がいる。しかし、過去のアイヌの文化とは切り離されたものなのか実証の上では言っていない。古い文化を調べて言っていない。まだ、私は研究の最中で時期早々かもしれないが、今残されているアイヌ文化は、400~300年前の資料と比べると、きちっと連続している。
アイヌ語の古い文献は、かつて莫大な富が集積された地域、文人・学者・芸術家が集まった地域、古い歴史があり、旧家、古い寺院がある地域、北海道と古い時代に交流があった地域で発見されている。小樽はぴったりこの条件にはまっている。
30年探してたった5つの文献しかない。これだけ探しても全然出てこない。小樽の糸谷喜左衛門が持っていた資料『蝦夷言いろは引』(弘化五・1848) は、小樽の人が持っていたが、小樽の言葉の資料ではない。余市の資料と一致する特徴がある、余市の言葉は胆振地方と似ているものがあり、積丹も同じ。
今まで見つかった資料では、北海道の方言は2分されている。西と東とで、西は『a』というが、東は『an』を持っている。日本海沿岸の方は、胆振の方言に一致する。今後もアイヌの資料が出てきて、検証されることを期待したい。小樽でもアイヌの文献を持っている人がいたら、私にこっそり渡してもらいたい」と語った。
企画展「アイヌ語地名を歩く-山田秀三の地名研究から」は、10月3日(日)まで。入館料:一般300円、高校生・70歳以上の市内在住者150円、中学生以下無料。