小樽市(山田勝麿市長)は、文学館・美術館整備事業の一環で、敷地内にある4本の大きなポプラ並木を伐採しようとしている。
この根拠は市長発言の「ポプラの寿命が50~60年」にあるが、このポプラを診断した市内在住の中村哲世樹木医は、「市長の発言で前から気になっていたのですが、ポプラの寿命が50年~60年といわれているとは誰が言ったことなのでしょうか?誰も科学的にこのことを断言できる人はいないはずです。学者であれば事はもっと深刻です。どんな文献を開いても樹木の詳しい寿命を述べた文献はないはずです。もし存在すれば大きな進歩といえるのではないでしょうか。ただし、根拠について相当きびしい追及があるはずですが。樹木は環境によって随分寿命も変わります。このポプラも環境が良かったから長生きできると思ってよいと思います」と、本社にメールを寄せ、根拠のない市の伐採理由を糺している。
これに対し、小樽市教育委員会の青木良英次長は、「我々は専門家じゃないので、色々な事例を調べたところ、40年、60年、70年という人がいた。25年ぐらい前の台風で一本倒れたので、樹木の寿命はどの学者でも言えないが、管理する上でこれ以上生きても倒れた場合のことを考えると、誰でも切ることが良いとは思っていないが、より安全なものをと判断した。より安全な方をという考えで、樹木医の人が倒れないからと言っても、木が倒れた時、私たちは責任を取りませんとは言えない。不安がある以上回避するのが公のものを預かる立場の考え」としている。
市教委は、これからも50年も持つ健康木だとされるポプラの生育状況や何ら科学的根拠に基づかず、相変わらず伐採の方針を頑なに固持している。子供に対する教育上の配慮も脇に置き、既定路線を踏襲している。しかし、かつての小樽市の安達与五郎市長は、市民会館建設時に、ポプラの木を伐らずに建物の設計を変更するよう命じ、ポプラが残った。この際に、「建設部長の首は切っても代替えはいるが、ポプラを伐ったら替えはない」と言って、ポプラを敢然と守った安達市長の逸話が伝えられている。
現市長を支える市教委が、客観的な根拠を示すこともなく、ただ単に倒れた時の責任回避に汲々とする現在の無責任体制は、安達市長時代との大きな落差を感じさせる。市は、新病院問題でも、何らの客観的根拠を示さずに暴走し、結局、中断を余儀なくされた。また、高額療養費未請求問題のように、当然の職務を遂行していないなどの実態が明らかになるなど、近年、行政レベルの著しい低下が露呈している。
今回のポプラ並木の伐採問題も、何ら客観的科学的根拠も示せないままに、万が一の危険回避を理由に60年もの間たくましく生き続け、小樽の街を見続けているポプラを、役人の素人判断で伐採しようとしている。
樹木の専門医の樹木診断に関しては、7月下旬に、市立文学館から、「ポプラ伐採に関しては反対の声が少なからずあり、科学的な診断が必要ということで、専門家に樹木を診て頂き判断の一助にしたい」と中村哲世樹木医に相談が寄せられた。しかし、本社が、すでに中村氏に樹木診断を依頼してあったため、本社の依頼を優先して頂いた経過がある。
市も、中村樹木医の診断を仰ぐことにしていたことから、中村氏による樹木診断の結果を尊重する義務があることは明らかだ。しかし、市長と教委は、緑の保存や景観上や教育上の配慮を全くせず、稀に見る健康木で貴重木だとする樹木診断をも省みず、伐るという既定方針を踏襲している。
これに対し、中村樹木医は、「市役所は、前に1本倒れたからといって、健康なポプラを伐りたいだけだ。市役所の人が作った設計なんだから設計変更は出来る。市長はポプラの木の寿命を50年から60年と言っているが、誰が言っているのか、責任を持って誰が言ったか示して欲しい。どんな事例を見て言っているのかハッキリしない。教育委員会の対応も変で、あっさり伐りたいだけだ。ポプラは何も悪くない。人間が伐りたいだけだ。市長の言う寿命の根拠は通じるわけがない。非常識だ。倒れない工夫を考えないで、どうしてただ伐るだけなのか。もし倒れる危険性があるから伐るというなら、手宮公園の栗の木とか、小樽市内の木を伐らなきゃいけない。前回台風で倒れたというが、市として、その記録を取っているのか。なぜ、他の木が残っているのかのデータも取っているのか。ポプラのせいにしないで欲しい。役所が勝手に伐るだけだ。見たこともない健康優良木が可哀想だ。市長の決裁はあまりにもお粗末で、樹木を守ろうとする隣の札幌市の上田市長の対応とはあまりにも違う。伐採にいくらかけるのかの値段も明かして欲しい。伐採するのは税金からで、僕も、ジャーナルも自分の金を使って樹木診断などをしている。ポプラと並んで立つ電柱を残すなら、もっと工夫した方が良い。あまりにもお粗末で唖然とするばかり」と話してくれた。
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