小樽市(山田勝麿市長)は、市立美術館・文学館が入居する市分庁舎(色内1)の敷地内に聳え立つ4本のポプラ並木を、「樹齢70年にも達している現状から、倒れた場合の危険性を回避するため」との理由だけで、バッサリ切り捨てようとしている。
同敷地内のポプラは、夏になると青青と生い茂る見事な巨木で、市分庁舎(旧小樽地方貯金局)が建設された1952(昭和27)年以前から立っており、幹は直径80cmもある。当初は5本だったが、1985(昭和60)年、強風で1本倒れてしまったという。
市立小樽美術館では、「昭和60年の強風時には、1本倒れており、それから20数年経過していることを踏まえますと、いつ倒れるかは誰も判らない状況である。また、今回、何らかの対策を講じたとしても、何時かは、処分すべき時が到来するものと考えています。そうであるならば、再整備の機会を捉えて、手宮線との一体感、開放的な空間などを確保するという基本コンセプトから勘案して、伐採するものと整理したものでありますので、ご理解をお願いたします」とのコメントを出し、伐採にまい進している。
この市のコメントからすれば、市内の小樽公園などの他のポプラの木も危険回避のために伐採しなければならないという論理になり、なぜ、美術館・文学館敷地内のポプラだけを切り倒すかの説明がつかないことになる。
山田市長は、7月2日のFMおたる「市長とおしゃべりタイム」で、「多目的広場においては、広くて開放的な空間を確保するためにツタのからまる風情のある塀は一部を残すこととし、4本の高くそびえ立つポプラの木については、残すことも視野に入れながら検討いたしましたが、根が浅くて倒れやすいという性質や通常言われている樹齢50年から60年を遙かに超えて70年にも達している現状から、倒れた場合の危険性を回避するため伐採して、代わりに、あまり大きくならない木を植えることとしております」と述べ、市長も教育文化行政に携わる教育委員会も、何ら具体的根拠もないまま、危険回避だけの理由で切り倒そうとしている。こちら
この市長発言を聞いた市民からは、「なぜ、切り倒さなければならないのかが全く理解出来ない」との声が寄せられていた。
広島市の基町地区には、当初、ポプラとニセアカシアの高木が4~5本程度残っていたが、2004(平成16)年台風18号の強風で根元から倒れてしまった。しかし、景観デザイン研究の第一人者・中村良夫氏の「治水上は撤去することが望ましいといわれていた水制工の保存や、高水敷にあったシンボルとなるポプラの保存」の主張を受け、市民の熱意でポプラの木が手入れされ、現地に戻された。現在、ポプラは、同所のシンボリックな存在として聳え立ち、市民の憩いの場として親しまれている。この取組みは、土木学会のホームページでも紹介されている。こちら
また、北海道大学のシンボル・ポプラ並木が、2004(平成16)年の台風で約半数の巨木が倒壊。北大では、北海道大学ポプラ並木再生支援金を集め、並木の再生に取り組み、さらに倒壊したものの立て直し可能な木は、クレーンで吊り上げて別の場所に移植する活動も行った。 こちら
一度、一本倒れたからといって、成長を続けているポプラの巨木4本をバッサリ切り倒してしまう小樽市と、一度倒れても、市民の力で現地に戻し、それを市民の憩いのシンボルとして景観デザインする広島市を比べると、行政レベルの彼我の力量の差が浮き彫りになっている。
教育・文化行政を担当する教育委員会主導で、何らの樹木診断も行わずに、歴史ある手宮線の変遷を半世紀にわたって見続けたポプラを簡単に切り捨てる小樽市。この伐採の予算には、市民などから寄せられた寄付金約920万円も含まれている。
ポプラ並木と道を隔てたところにある小樽歯科衛生士専門学校の熊澤隆樹校長は、「青青と茂り、市民に潤いと癒しを与えているこのポプラ並木を市が伐採することは、生徒に説明がつかないし、生徒の教育上も良くない。学校の周りに、小さな木を植えたばかりなのに、市が勝手に切り倒すなど考えられない。朝里ダム湖畔でも、子供たちと一緒に植樹活動をしているのに、市が、巨木のポプラ並木をバッサリと切り倒すなんて本末転倒だ。市民も、このポプラ並木を守らなくてはいけない。市があくまでも切り倒すというなら、守るための運動をしなければならない」と、危機感を募らせている。
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