”スキーのメッカ”とうたわれた小樽で、59年の歴史ある「小樽スキー学校」(小学4~6年生、中学生対象)の参加者が激減し、関係者たちは「スキーの楽しさを知ってもらいたい」と、スキー学校への参加を強く呼びかけている。
小樽天狗山のスキー資料館によると、小樽のスキーは、1912(明治45)年2月、小樽高等商業学校(小樽高商・現小樽商科大学)の校長となる苫米地英俊氏が、日本のスキー発祥の地上越市高田からスキー3台を持ち帰ったことが始まり。軍人や民間人が普及をつとめ、小樽高商や市内の中等学校で広まった。
1916(大正5)年頃からは、一般市民の間でもスキー熱が高まり、1921(大正10)年には小樽スキー倶楽部が創立した。1923(大正12)年には、第1回全日本スキー選手権大会が小樽の地で開催された。この大会は現在でも続き、日本の代表的選手を生んでいる。このことから、小樽は”スキーのメッカ”とうたわれるようになった。また、小樽市生まれの岡部哲也をはじめ、小樽北照高校出身の吉岡大輔、皆川賢太郎、船木和喜など、数々のオリンピック選手を輩出してきたことでも知られている。
「児童生徒に正しいスキー技術を基礎から教え、小樽の人すべてがスキーを楽しむことが出来るように」と、1951(昭和26)年、小樽スキー連盟主催の「小樽スキー学校」がスタートした。
小学4~6年生、中学生を対象としている。市内の小中学校教諭を中心とした講師陣によって、初心者のプルークボーゲンから上級者のパラレルターン大回り・小回りまでの指導が受けられる。
第1回は、児童65人・講師5人での幕開けとなったが、1982(昭和57)年には、児童3,069人・講師197人と、全国的にも例を見ない規模の特色のあるスキー学校へと成長した。最盛期には、市内のスキー場をはじめ学校の裏山なども会場となり、合計16会場で開催されたこともあった。小樽市の歴史ある一大行事となっていた。
しかし、少子化と生活スタイルの変化などから、1982(昭和57)年をピークに参加児童が減少し、1999(平成11)年には1,000人を割る954人となった。2008(平成20)年には257人と過去最低の参加者数を記録している。会場も、天狗山スキー場・朝里川温泉スキー場・スノークルーズオーンズの3施設に減った。
スキー人口の減少の大きな要因として、市民のスキー離れが上げられている。高価なスキー用具を子供の成長とともに揃えなければいけない上に、受講料、バス代、リフト代が足かせにもなるという。同スキー学校は現在市教委の主催で、民間のスキー学校と比べると受講料は安いものの、参加児童が減ると、受講料とともに貸切バスの代金の負担が増える。受講料に関しては、1989(平成元)年の2,200円から現在は5,000円になっている。
スキー学校を運営する小樽スキー学校研究会の安井能彦会長(市立塩谷小学校校長)は、「スキー学校の準備は10月早々から始まり、研究会の組織づくり、日程の決定、学校・家庭に文書の配布、参加児童生徒や講師陣等の予備調査を行い、予算案づくりなどを行います。10月末の参加児童生徒の予備調査では、子供や保護者の意識がまだ十分ではなく、なかなか参加人数が増加していかない現状があります。スキーのメッカといわれてきた小樽で育つ子ども達がスキーの楽しさを知り、大人になっても楽しめ生涯スポーツとしていくことを願っている。その礎が小樽スキー学校でありましたし、今後もその一翼を担っていきたい」と話している。
今シーズンの参加申込は、10月26日(月)から11月5日(木)まで。(写真提供:小樽スキー学校研究会)