―次の日の朝―
「おはよう」
「おはようございます」
「あら? まだ来てないの」
「大沢さんですか・・・」
「いつもなら、もう来ているのに・・・」
「そうですね」
「どうせ、また飲んだくれて寝坊でもしたんでしょ」
「・・・・」
「おはようございます」
のり子の言葉が終わるか終わらないうちにドアが開けられ大沢の眠そうな声が聞こえた。
「大沢さん大丈夫ですか?」
こずえが気遣(きづか)うように言った。
「ほらね、やっぱり二日酔いなんだわ」
「違いますよ、のり子さん」
「どう違うの?」
「昨日、帰ってから例の件をパソコンでずっと調べてたんですよ」
「あら、そうだったの。それは大変に失礼しました」
「それで、何か新しい発見でもありましたか?」
こずえは期待するように訊ねた。
「それが・・・」
「どうしたのよ?」
「あちこち見ていくうちに、つい違うサイトへ行ってしまって・・・」
「まあ! いやらしい」
のり子は軽蔑のまなざしで大沢をにらんだ。
「いえ! 変なサイトなんか見てませんよ。絶対に・・・」
大沢が苦しい弁明をしているとドア越しに富田がひょこっと顔を出した。
「おはようございます」
「まあ、富田さん。こんなに早く、どうされました?」
「それが・・・昨日の件がどうにも気になりまして・・・」
「逆さ葵の紋ですか?」
「そうなんですよ。ところで、加納さんは?」
「まだ、見えてませんが」
「富田さん、店のほうはいいのですか?」
大沢はニヤニヤ笑いながら言った。
「はい、うちの奴にまかせてきましたから」
「それで、何か新しい発見でもありましたか?」
こずえが待ちきれないように訊(き)いた。
「はい、ありましたよ」
富田は得意気(とくいげ)な顔でみんなを見た。
「それで・・・」
「大沢くんたら、せっかちね」
「そういう、のり子さんだって早く聞きたいんじゃないの」
「まあね」
そういって、のり子は首をすくめた。
「実は、群馬県太田市に世良田町という所があるのですが・・・」
「徳川発祥の地という?」
大沢はオウム返しに応えた。
「よくご存知で!」
「はい。富田さんが東照宮は他にもたくさんあると言ったので」
「・・・・」
「それで、こずえちゃんがパソコンで調べたのです」
「さすがですね!」
「へへへ・・・」
大沢は自分が褒(ほ)められたように照れ笑いをした。
「それで、何か分かりましたか?」
「いえ・・それだけです」
大沢の声が小さく尻つぼみになった。
「そうでしたか・・・」
富田は心なしか、ほっとしたように微笑んだ。
「その世良田町に何かあるのですか?」
「はい、世良田の東照宮の燈篭(とうろう)には三日月と葵の紋が刻まれているのです」
「はあ・・・」
大沢は気の抜けたような声を発した。
「驚かないでくださいよ」
「・・・・」
その思わせぶりな言葉に大沢は気をとりなおし、二人も富田に注目した。
「その燈篭の、葵の紋が逆さ葵なんです」
「えっ! 本当ですか?」
最初にのり子が声をあげた。
「こずえちゃん。パソコン、パソコン・・・」
大沢があわてふためきながら叫んだ。
「は、はい」
こずえは、すぐに世良田の東照宮とキーで打つと画面が表われた。
「おお、出ましたね」
「ちょっと見づらいな・・・拡大できる?」
「はい」
こずえが燈篭の写真をクリックすると大きく映し出された。
「本当だ! 富田さんこれは逆さ葵ですよ」
のり子の言葉に三人は画面を凝視した。
「でも、何故かしら? 徳川発祥の地である東照宮の燈篭に・・・何故なの・・・」
こずえの困惑した声にみんなも考え込んだ。
「富田さん、どうしてか分かります?」
「いや、さっぱり分かりません」
その時、玄関のドアが開く音がした。
「あっ、先生よ」
「おはよう。おや、富田さんどうしました?こんなに早く」
「先生、それがですね・・・」
のり子は笑いながら理由を説明した。
「そうでしたか」
それを聞いて加納も納得したというように笑顔で返した。
「それで・・・先生、燈篭の逆さ葵のことなんですが」
「はい。葵といえば徳川発祥の地である世良田の東照宮でも葵祭りが行われるのですが・・・」
「葵祭りといえば京都の賀茂(かも)神社(じんじゃ)もそうでしたよね」
「そうです。前にも言いましたが賀茂神社の神紋がフタバアオイという植物を用いたもので、そこの氏
子(うじこ)でもある松平家(徳川家の先祖)が使用したのです」
「加納さん、これには何か深い繋(つな)がりがありそうですね」
富田が眉間に皺(しわ)を寄せながら言った。
「京都の葵祭りは秦(はた)氏(し)と関係があるし・・・」
加納は何やら考えこみながら口に出した。
「先生、秦氏というのは人の名前ですか?」
「これは、やはり歴史の先生に聞いたほうがいいかもしれませんな」
加納は笑いながら富田の方を向くと、小さく咳払いをしながら話し始めた―
―富田の話しによると―
秦(はた)氏(し)は大陸からの渡来人であるが、日本で養蚕(ようさん)や機織(はたおり)の技術を伝えたとされている。秦氏の末裔(まつえい)で有名なのが雅楽(ががく)を世襲(せしゅう)してきた東儀家がある。そして、秦氏は古代イスラエルと関係があるとされており、また、秦氏に関する遺跡が秩父から徳川発祥の地でもある群馬県に多いのです。
「イスラエルといえばユダヤですよね・・・」
「はい。それがどうかしましたか?」
「それで・・・六芒星(ろくぼうせい)に関係があるのではと」
「大沢くんはイスラエルの国旗に描かれている六角形の紋章のことを言ってるのですね」
「先生は昨日、言いましたよね」
「・・・?」
「通常の葵の紋は正三角形だけど、逆さ葵は逆三角形でそれを重ねると・・・」
「六角形だと私が言いました」
こずえが思い出したように口をはさんだ。
「そして・・・」
大沢はそう言いながらのり子に顔を向けた。
「つまり、それはダビデの紋だと私も・・・」
のりこもすかさず返した。
「そうだよね」
大沢は満足そうに言い切った。
「やはり、徳川家もユダヤと関係があるのかしら?」
のり子は考え深げに言った。
「でも・・・そんな事ないよな・・・」
「大沢くん、そうとばかりは言えないと思いますよ」
「ど、どうしてですか先生?」
「日ユ(にちゆ)同祖論(どうそろん)とよく言われるように、日本人とユダヤ人には共通点がありますから」
「共通点?・・・」
「数え上げればキリがありませんが、例えばユダヤの契約の箱(柩(ひつぎ))と神道の御神輿(おみこし)、ユダヤ教徒が額につけるヒラクティクーと呼ばれる小箱と山伏が頭につける兜巾(ときん)・・・」
「それにワサビをよく使う民族はユダヤと日本です」
富田も付け加えるように加納の後に続けた。
「あれ?」
「どうしたの、こずえちゃん」
「ワサビを漢字で書くと山葵・・ここにも葵が、偶然かしら」
「本当だ!」
「今、思い出しましたがダビデの紋といえば六芒星(ろくぼうせい)ですが・・・京都府の府章は六芒星だし、小樽市の市章もそうですよ」
「気が付かなかったけど、言われてみるとそうだわ」
のり子は紙に市章を描きながら言った。
「不思議だな」
「不思議といえば、伊勢(いせ)神宮(じんぐう)の参道(さんどう)にはたくさんの石燈篭(いしどうろう)が並
んでいますが、その上部には菊の紋が、そして驚くことに下部には六芒星、つまりダビデの紋が刻まれているのです」
「加納さん、それは初耳でした」
「でも、燈篭には何故か六芒星が描かれていますね」
「う~ん、そもそも燈篭は灯(あかり)の篭(かご)だからかな」
「・・・・?」
「篭(かご)というのは竹で編んだもので、篭の目が六芒星に似ているからかな。ちょっと強引だったかハハハ」
加納は自分で言いながら思わず笑ってしまった。
「加納さん。あながち、こじ付けでもないと思いますよ」
「どうしてですか?富田さん」
加納は真顔で聞き返した。富田は説明をした―
―三郷市の丹後神社といえば京都の元(もと)伊勢籠(いせかご)神社(じんじゃ)との関係が深く、丹後神社の奥にある左側の燈篭には逆さ三つ葉葵もどきの三つの穴 ∵ があって、その裏には三日月型の穴があ ります。また、右側の燈篭には正三つ葉葵もどきの三つの穴 ∴ がありますが、左右の燈篭で違うのです。つまり、∵=▽と ∴=△ですが、これを重ねると六芒星?を表します。元来、元伊勢籠神社は六芒星と関係が深いとされているのです。
「なるほどね、燈篭の左右でダビデの紋=六芒星?、その裏に三日月型か・・・」
大沢は富田の言ったことを復唱するようにつぶやいた。
「なかなか、面白いですな。ところで、その裏に三日月型の穴がと言いましたが何か意味でもあるのですか?」
「加納さん、さきほど秦氏の話が出ましたが・・・」
「古代イスラエルと関係があるといった・・・」
「はい。秦氏は弓月(ゆづき)王の子孫だと言われていますが、シルクロードの通り道である中央アジア・・・今のキルギスあたりに『弓月』という国があったのです。
「それで、月と関係があると」
「加納さん、こじつけのように思われますが、秦氏は京都の松尾大社を創建しましたが、その摂社である月(・)読神社そして渡月(・)橋があります」
「そうですか・・・」
「話は変わりますけど六芒星と五芒星というのは何か関係がありませんか?」
「いいところに気がついたね、こずえちゃん。人間も六芒星と五芒星の組み合わせから成り立っているのですよ」
「・・・・・?」
「何故かと言うと、人の受精卵が1,2,4,8,と倍々に卵割していく過程で32面体のバッキーボールとなるのです」
「バッキーボール?」
誰もが加納の言っている意味が分からず首を傾げた。声に出したのは大沢であった。
「バッキーボールというのは、サッカーボールを思い出してください」
「そうか! 黒い部分が五芒星で白い部分が六芒星だわ」
のり子の言葉にみんなも納得したのか、うなずいてみせた。
「それと、ユダヤの王ダビデの子であるソロモンの印章は五芒星なのです」
「そしてダビデ王の印章が六芒星ということですか」
富田も理解したのか加納のあとに続けた。
「はい。その通りです」
「六芒星(ダビデ)と五芒星(ソロモン)というのは親子のように密接な関係があるのですね」
「こずえちゃん、いいことを言いましたね」
「どうしてですか先生?」
大沢は不思議そうに加納の顔を見た。
「昨日、明智光秀と天海大僧正は同一人物だと話しましたね」
「はい」
「徳川家康が存命中に日光東照宮の雛形(ひながた)として、天正二十年に造営を命じた秩父神社があります」
「ええ・・・」
「その秩父神社の拝殿と本殿の間にある幣殿側面に東西に向かい合った二人の人物の彫刻があるのですが・・・・」
「はい」
大沢は真剣な面持ちで応えた。
「東には右手に竹笹を持つ桔梗(ききょう)紋(もん)の男が座し、西には同じ桔梗(ききょう)紋(もん)の僧侶が頭巾(ずきん)を被(かぶ)って座しているのです」
「・・・・」
「分かりますか?」
「う~ん・・・」
「これは、東側の明智光秀と西側の天海大僧正を暗示しているのです」
「そうなんだ!」
大沢が声をあげると同時にみんなの顔に笑みが戻った。
「まだあるのです」
「・・・・」
「この両者には桔梗紋が共通してあるのです」
「と、いうことは明智光秀と天海大僧正はやっぱり同一人物ということですか」
のり子は意を得たとばかりに言い放った。
「うん、確かに。それより、この桔梗紋なんだが・・・」
「先生、ところで桔梗紋ってどんなのですか?」
「そうだね、花弁が五枚あって・・ペンタゴン(五角形)みたい形だよ」
「ペンタゴンってアメリカの国防総省ですよね」
「うん。つまりは五芒星だよ」
「加納さん、それでは正と逆の葵の紋を合わせて六芒星となって、これが徳川家康で桔梗の紋が五芒星となって明智光秀=天海大僧正とおっしゃりたいのですね」
「なるほど! そういうことか」
加納が応える前に大沢が口をはさんだ。
「そうか、ダビデ王とソロモン王の親子関係と同じで家康と天海との密接な関係か・・・」
のり子は自分で言いながら満足そうに幾度もうなずいた。
「これは、すべて天海大僧正が仕組んだのですね。だからこそ、徳川幕府が二六五年間も健在だったというわけですか」
こずえも感激したように言った。暫(しば)し、誰もがそれぞれの想いにひたっていたが、それを破ったのは大沢だった―
「ああ、のどが渇いた。みなさん冷たいものでも飲みません? ねえ、こずえちゃん」
「はい。麦茶を持ってきます」
「なによ、大沢くん」
「なんですか?」
「あんたが言い出したんだから、あんたが持ってきなさいよ」
「へへへ・・・今日はお客さんもいることだし」
「だから、何よ」
「やっぱり女性が出したほうがいいでしょう」
「全然かまいませんけど」
「ハハハ、相変わらずだね」
「だって先生、大沢くんはいつもこの調子なんですよ」
「のり子さん、怒らない。また部屋の温度が上がりますけど」
「まあ!」
徳川家紋「逆さ葵の謎」 5
つづく