消える小樽焼!道内最古の小樽白勢窯に幕!


 緑玉織部の透明感ある青緑色の釉薬を特徴とする小樽焼として知られ、道内最古の「小樽窯白勢陶園」(入船5)が、後継者難から、107年にも及ぶ永い歴史に幕を閉じることになった。
 小樽窯白勢陶園は、越後出身の白勢慎治氏が、1900(明治32)年に北海道小樽に渡り、花園町で窯を造り、鉢や壺などを焼いたことが始まり。2代目清蔵氏が譲り受け、窯を入船町に移改築し、花瓶や生活雑器を焼いていた。
 1935(昭和10)年、3代目・白勢栄一氏(陶銘栄悦・写真)は、工芸陶磁器を志し、北海道庁から援助を受けて新たな窯を創設した。研究熱心だった栄一氏は、北海道の素材による表現技術研究のため、京都国立陶磁器試験所で研修し、本州・九州・朝鮮・満州の各窯を渡り歩いて研究した。
 第二次世界大戦中の1941(昭和16)年、自宅窯裏に防空壕を造るため、地中を掘った際に、良質の土を発見。これを原料とした粘土から、郷土小樽独自の作品が生まれることになった。同年、栄一氏は、吉川ヨシさん(現・有限会社小樽窯白勢陶園代表取締役)と結婚。
 3代目栄一氏の甥の伸二氏が4代目となり技術を磨いたが、20年前、栄一氏の没後、伸二氏も引退した。その後、ヨシさん(90)の弟の吉川幸夫(80)氏が工場長となり、有限会社小樽窯白勢陶園を立ち上げ、切り盛りしてきた。
 しかし、今年4月、吉川工場長が胃がんのため入院。このため、入院前まで取り組んでいた一連の作品も、そのままの状態で工房に並べられて、本焼きを待つばかりとなっていた。しかし、「病気をして年も年だし、後継者もいないのでもう無理。この織部だけは誰にも真似は出来ない」(ヨシさん)と、100年の歴史に幕が閉じられようとしている。
 小樽窯は、当初、レンガ造りの石炭窯だった。24時間寝ないで石炭を窯に入れ本焼きし、作品を完成させていた。時代の流れによって石炭窯から電気窯に変わった。
 全盛期の1970(昭和40〜50)年代頃には、受注してから1年後に納品されるほどの人気を博した。ロクロによる手作りの湯のみやぐいのみなどが、小樽焼の特徴的な作品。型作りのとっくりや皿など様々な作品が作られてきた。かつては、昭和天皇ご来道の際に、天覧作業に従事したり、作品を買い上げて頂いたこともあり、北海道の民芸に独自の表現法を開拓したことで広く知られていた。
 多くの愛好家や市内寿司店、居酒屋などが、この小樽焼を愛用しているが、小樽窯の終焉で、新たな作品が生み出されなくなり、現在使用している小樽焼は、二度と手に入らない貴重なものとなりそうだ。

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