昨年4月に判明したオタモイ遊歩道の土砂崩落で、今年7月に入り、小樽市は、通行止めのまま遊歩道を再整備しない方針を明らかにした。
しかし、この遊歩道の突き当りには、約3,000体のお地蔵さんを祀ったオタモイ地蔵尊を守る住民がおり、市から何の連絡もないため、市の方針に不信感を高めている。
断崖絶壁の海岸が続き、小樽海岸国定公園に指定されている景勝地「オタモイ海岸」の遊歩道の一部(幅約15m・高さ約20m)が崩落して、通行止めとなってから1ヵ年以上が過ぎた。この7月に小樽市は、3月に行った調査報告書に基づき、復旧工事には、巨額の費用がかかり、財政難のため、遊歩道を通行止めのまま“閉鎖”することとした。
この遊歩道の先には、歴史あるオタモイ地蔵尊を長年守ってきた管理者住民がおり、この間、小樽市から何の連絡もない。「市側から正式なコメントが一切なく、住民がいるのにも関わらず、連絡もなくだらしがない」と、住民もお地蔵さんも置き去った市の対応に、怒りを募らせている。
昭和初期、オタモイ海岸は、市内花園の寿司店主により造られた、断崖絶壁にあるオタモイ遊園地として栄えた。「白蛇辨天堂」、「辨天食堂」などが次々に建てられた。中でも、昭和11年に断崖に建てられた「龍宮閣」は京都の清水寺をも凌ぐと言われ、最盛期には、一日に何千人もの人が訪れ賑わっていた一大リゾート地だった。
戦時中、施設の営業は休止となっていたが、戦後の1952(昭和27)年5月10日に営業再開を控えた前日、「龍宮閣」は焼失してしまった。その後、営業再開することなく、施設は、崖崩れなどで倒壊したり、老朽化で撤去された。
今は、移設された「唐門」や遊歩道トンネル、「龍宮閣」の基礎部分など夢の跡が残っており、オタモイ海岸は小樽海岸国定公園に指定され、小樽が誇る景勝地として、多くの観光客や市民が訪れていた。
このオタモイ海岸の駐車場からオタモイ地蔵尊へ向う遊歩道(約500m)が、2006(平成18)年4月に発生した土砂崩落により、1年3ヶ月も通行止めとなっている。断崖絶壁に沿って縫う遊歩道の中間部で、幅約15m・高さ約20mの範囲で土砂崩落が発生し、落石防護ネットや防護柵が寸断されて、遊歩道などに土砂が埋積し、通行が出来なくなった。
このため、小樽市は、クライミングなどによる地質調査や、落石シミュレーションによる解析で安全性の評価や、応急・恒久対策を探っていた。この調査の結果、災害の危険性は極めて高く、今後も融雪や集中豪雨などによる土砂崩壊が発生する可能性も想定されるとした。
遊歩道の再整備工事は、海側を桟橋で迂回する案、トンネルで回避する「ルート変更案」などが検討されたが、「どの方法も安全性の確保は難しい」とし、トンネル案には約3億、網の掛け替えに約1億など、どれも工費が膨大となることから、小樽市の危機的財政状況の中、今後も一般の人が入れないように、通行止めのまま対応することになった。
しかし、小樽市は、オタモイ地蔵尊を長年守り続けている村上洋一さん(57)には、今年1月に「3月の地質調査の結果をお知らせします」と言ったきり、約半年間一切の連絡をしていない。
「小樽市がこのような措置をとることは、友人から連絡があり、7月6日に初めて知った。今年1月に、3月に地質調査の結果をお知らせしますと言ったきり何もない。市側から正式なコメントが一切なく、住民がいるのにも関わらず、連絡もなしでだらしないと思う。ここには、約3,000体のお地蔵さんが祀られ、全国各地から遺族がお参りに来る。立ち退く必要があるのなら、代替地を貸してもらいたい」(村上さん)と、市の対応に呆れていた。
オタモイ地蔵尊周辺は、1624年(寛永元年)から、西川家が鰊漁場として所有し、明治中期頃から、村上家が購入して現在に至るという。水難事故が多く、初めは6体の地蔵が祀られた。同じ頃、乳の出た妊婦の遺体が流れてきたことから、「ここにお参りにくればお乳が出る」と言われるようになり、安産祈願の場所とされ、今では健康長寿祈願のため参拝者が訪れていた。
この地蔵尊は、村上家が代々守ってきており、村上さんは、地蔵尊への賽銭は維持費に充て、飲食物販売の収入で生計を立ててきた。しかし、昨年から通行止めのままとなっており、訪れる人もなくなり無収入となり、これまでの貯金でなんとか食いつないでいるという。「この地に住んでいる人もいるので、市から正式な連絡がほしい」と訴えている。
かつての小樽商人が、財を投げ打って造った断崖絶壁の景勝地に至る道は、現在の財政破綻を招いた小樽市役所の手により閉じられようとしている。
住民とお地蔵さんを置き去りにしたままに。
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