小樽市議会が、市の未曾有の財政危機に自主的に対応するために論議していた、議員定数削減問題が擦った揉んだの末、1年2ヶ月ぶりにようやく4減で決着した。
小樽市が、財政再建団体転落の危機にある中、議会として財政再建に自主的に取り組むとして始まった、報酬や議員定数の見直し論議が始まったのは2005年の4月からで、検討会議や特別委員会での論議が重ねられた。
しかし、昨年の12月議会と今年の3月議会になってもスッタモンダして、結局空中分解し結論を得られず、市民の批判が高まっていた。市民の声の高まりに、来年の統一地方選の1年前という5月に、最大会派の自民党が4減に賛成の方針転換をした。
6月29日(木)の本会議では、4減の平成・公明の議案と市民からの4減の陳情について、無記名投票の結果、反対5(共産5)、賛成26(平成5・公明5・民主市民4・自民党11・無所属1)の賛成多数で可決・採択した。削減に絶対反対していた共産党提案の関連議案は否決された。
これにより、スッタモンダしていた小樽市議会の定数削減問題が、1年2ヶ月ぶりにようやく決着した。来年の統一地方選挙の市議会議員の定数は、これまでの32から4減の28で争われることになった。現状の4減に加え、新人候補の出馬で次期市議選は、激戦の様相を一層濃くすることになった。
また、自民党を離党し自民党に方針転換をするきっかけを作った吹田友三郎議員が、6月27日(火)に議長に辞職届を提出していたが、29日(木)の本会議で「議員の辞職」が承認され、吹田議員は任期を残して辞職することになった。
吹田議員は、「自民党はそもそも4減ではなかったが、僕は4減を主張していた。色々な意見も言ってきたが、今までは自民党全員で2減に決めていた。僕の離党の形で、4減の結果になって良かった。今回辞職するのは、議会で1人無所属ではなかなか難しいことが分かった。1期目の新人議員として、それなりに意見も言ってきたが、これからは市民の立場に立ち、市民のために活動していきたい。チャンスがあればまたやるかもしれない」と、定数問題でのけじめを付けたと話した。
新会派平成会を結成し、当初から4減案を主張してきた大橋一弘平成会代表は、「今回4減で決着したのは、いわゆる情報公開の時代になったのが大きい。議会の審議が、マスコミが注視している中で論議出来たのが良かった。インターネットや新聞で1回ごとに論議が報道され、市民に伝えられた。市民にすべての論議が公開され、市民の声が殺到したことが大きな力となった。誰も知らなかったインターネットの世界が議会に入り、それがフィードバックされ、4減案を言い続けた平成会の幸運につながった。市民に情報公開をすることの大切さを、とことん学んだ1年間だった。今回の問題では、時代の流れに乗ったインターネット新聞社の小樽ジャーナルが新しい時代を切り開いたと思う」と、ネットの威力を改めて認識し評価していた。