水天宮の啄木歌碑を移設!新たな装いでお目見え!

 「かなしきは 小樽の町よ・・・」と歌われた石川啄木の歌碑が、水天宮(相生町)境内の小樽の海を一望する桜樹の下に、新しい御影石の台座とともに移設された。10月15日11:00から石川啄木歌碑除幕式が、小樽みなとライオンズクラブ(山本一博会長)の手により行われた。
 水天宮にある石川啄木の歌碑は、これまで、境内入口階段脇の公衆トイレと並ぶ、一隅に置かれていた。これは、歌碑の碑文が、当時の小樽の雰囲気を歌っているものにも拘らず、当時小樽で様々な論議を呼び、小樽人からは嫌われたことに起因しているという。このため、全国から訪れるファンからも、設置場所がひどいとの意見も多くあった。
 しかし、「この歌は当時の小樽の雰囲気、また小樽人のド根性に感じた啄木が寄せたオマージュとして受けとって理不尽ではなかろう」(小樽啄木会会報 第6号 1994年5月14日発行 鈴木 勇蔵)との評価もなされてきた。
 小樽みなとライオンズクラブでは、45周年文化記念事業として、この啄木歌碑を境内の良い場所へ移設する企画をした。予算50万円の費用をかけ、碑文の台座を新しく御影石で造り、小樽の海を一望する水天宮境内の桜樹の下に移設することにした。
 10月15日11:00から、移設されて新装成った歌碑の除幕式が、小樽みなとライオンズクラブ、小樽啄木会、小樽市文学館、小樽花園銀座商店街振興組合などの関係者により行われた。新しく披露された啄木歌碑は、白い御影石の大きな台座の上に碑文を刻まれた黒御影石という、コントラストも鮮やかに浮かび上がった。
 挨拶に立った小樽みなとライオンズクラブ・山本一博会長は、「海が一望出来るこの場所に、啄木の歌碑が移設出来たことで、全国のファンや市民に喜んでいただければ幸いです。LIfe is wonderful 私は、歌は人生の賛美だと思います」と移設を喜んだ。
 除幕式に来ていた小樽啄木会の女性は、「良い場所に移って本当に良かった。小樽公園の啄木の歌碑には、よく散歩に行っていた。トイレの近くにあるということであまり水天宮には来なかった。でもこれからは、こちらにも来れるから本当にうれしい。観光客にも喜んでいただけると思います」と話していた。
 なお、水天宮境内には、この啄木歌碑に向かい合って、『柳絮(りゅうじょ)とび 我が街に 夏 来たりけり』の三ツ谷謡村(みつやようそん)句碑が置かれている。この他に、版画家一原有徳によるユニークなデザインの河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)詩碑も設置されており、水天宮境内には歌碑・句碑・詩碑の3つの文学碑が揃い、境内を文学散策をする人の目を引くものとなった。 
  『かなしきは 小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ』 石川啄木