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 12月のベストマスター 2005

神 章洋 マスター

 「色々な夢を叶えてくれた小樽に、いつか恩返しをしたい」、冗談で友人に言った「小樽に住みたい」の一言がきっかけで、札幌を離れ夢の小樽ライフを送る、おしゃ れな喫茶バー「BBC」のマスター。

 札幌の高校で小樽から通っているクラスメイトがいた。入学早々、そのクラスメイトと小樽に遊びに来た時、「あっおもしろいな」と、小樽に俄然興味を持ち始めたという。

 趣味でやっていたギターでバンドを結成したいと、友達の繋がりで集まった仲間は小樽人だった。「あの頃は若くお金もなかったから、1週間に1回、夏は原付で、冬は電車で通ったな。丸井の裏の北海ビルの中の“BeeJay”というパブが、内装がレンガ造りでかっこ良かったんだよ。Jazzが流れる素敵なパブでさ、そこから漠然と、俺もこんな店を持ちたいって思うようになったんだよね」

 「高校卒業してから、札幌で化粧品のメーカーで働き、担当じゃないのに小樽に来たくて、配達の仕事もやったりしたな」と、小樽の魅力に惹かれていった。「父親がもと もと小樽の人だから、よく遊びに来たよ。海の匂いで魚臭くって、竜宮城のような感じがしたのを覚えてる」

 連れて来てくれたカメは、高校の時の友達だったが小樽への憧れが膨れ上がっていった。

 小樽に来る2年前に澄恵さんと結婚。デートはもっぱら小樽で、花園グリーンロー ドに車を置いて、小樽の中心部を歩き回った。「昼間の花園の飲み屋を歩くのが好きでね。色々な店の行燈を写真に撮ったりしたんだよ。ジャーナルさんみたいにね」と笑う。

 「ある時水天宮を見つけてさ、『小樽に暮らせますように』って妻が願をかけてくれたんだよ」その後、学生時代のバンド仲間と会った時に、冗談で言った一言『小樽に住みたいな』がきっかけで、住まいを紹介してもらい、思い切って仕事を辞めて移住したという。その6ヶ月後、BBCの建物を紹介され、「いままでは、外観からしか小樽の建物を見たことがなかったけど、中を見て一目惚れしたね。そして、夢のバーを始めたのさ」

 3ヶ月だけの夢の喫茶バーとして始めた同店は、オープンしてから6年が経つ。広い空間、ママとマスターの占いとコーヒーが人気。「本当に小樽の街と人に助けられた。夢をほとんど叶えてくれた。いずれは小樽の街のために、恩返しとして何か出来ることをしたい」と、現役でバンド活動するジャッキー・チェン似のギターマスター。

BBC
営業時間16:00〜23:00(水曜定休)
小樽市色内2-9-22
0134-22-9363 
閉店

 11月のベストマスター 2005

山下 秀治 マスター

 「小学校の工作の時間になると、友達の髪を切って遊んでいた。友達の頭が段々畑の様に仕上がるのが無性に楽しかった」と、今年で30周年を迎えたカット&パーマの株式会社ヤマシタ商事の代表取締役。

 中学3年の時に、学校の古い掲示板に貼ってあった理容美容学校生徒募集案内のチラシを見て、「高校に行かなくても理容師になれる」と進路を決め、小樽理容美容高等学校へ入学。昼間は学校で知識・技術の吸収に没頭。放課後は美容室で実技修行という毎日だったという。学校を好成績で卒業後、夢の理容免許を手に上京、さらなる高みを目指して短期大学に入学。その後、理容技学士の称号を手にし、本場パリへ修行に出かけたが、「ホームシックになって9ヶ月で帰って来ちゃった」と笑いながら話す。

 そして、22歳という若さで、小学校からの夢の自分のサロンをオープン。「店は4坪、椅子2台、1日の売り上げを入れるレジはポケットの中」といった状態だったと当時を語る。オープン初日、開店準備のために店へ行くと、男性が1人開店を待っていて「やった」と思わず叫んでしまったという。

 オープンから3ヶ月が経ち、客の入りがパラパラで経営危機へ。「このままでは店が潰れてしまう」と、夜は銭湯、朝には同じ時間に同じ場所を歩き回り、誰彼構わず挨拶をして、自分の顔を売って歩いた。宣伝効果はかなりのもので、連日満員で昼食の時間もないくらいになった。

 その後、結婚して長男の誕生、マイホームを手に入れ、数々の支店を展開させていった。そして、次男の誕生を記念して、会社を個人から有限会社ヤマシタ商事へ。「長男が理美容学校へ入学し、跡取りが出来た」と、有限から株式へ組織を大きく変更した。テレビにも取り上げられ、雑誌、単行本、ラジオ、新聞等に数々のインタビューを受けた。「毎回同じ説明をしなければいけないことに嫌気が差し、テープに撮ったものを手渡した」こともあったという。

 「若い時は本当にヤンチャだった。東京の入学式でケンカしたこともあったなぁ」とニッコリ笑う。

 創業30周年を迎えたヤマシタ。「食えない時もあった。でも30年やって、やっと人並みだ。これからだ」と全道展開を目指し、「小樽いか電まつり」などのイベントや様々な活動をし、手宮を盛り上げるハサミマスター。

株式会社ヤマシタ商事
小樽市錦町7-8
0134-34-1078

 10月のベストマスター 2005

谷口 圭 マスター

 「子供を育てるような感覚でパンを作っています」と、25歳という若さで、妙見市場(花園2)のパンの店・妙見マルシェの店主。

 生まれも育ちも小樽、奥沢出身のバリバリの樽っ子。 高卒後、札幌の専門学校ファッションドレスメーカーに通ったが、学校に行ってから3日目で、「ちょっと違うなぁ」と、自分の好きなことではないと悟ったという。「1年制の学校だったけれど、1年間は長く辛かった」と苦笑する。

 専門学校卒業後、北一硝子で2年間搬入のアルバイトして、学費を半分親に返したという。「北一でのアルバイトは本当に辛かった」

 その後、マイカルを歩いていたところ、洋菓子店・館でアルバイトを募集していたのが、現在のパン職人の道へと繋がることになった。

 1年間、館のベーカリー部門で、パンの成形(パン生地を丸くする)、仕込みの仕方、最後の窯を勉強し、仕事の段取りをほとんど覚えた。「完璧ではないけどね。今もパンを完璧になんて焼けませんけどね。最初は慣れなく大変だったけれど、やりがいはあって面白かった」と笑う。その後も2年間腕を磨いた。

 しかし、仕事がだんだん忙しくなり、大好きなサッカーをする時間が取れなくなったので、思い切って辞めた。小6から始めたサッカーを愛し、今でも社会人サッカーチームに参加し続けるほどの“サッカー狂”だ。辞めてから8ヶ月間、「毎日だらだらプータロー。今はニートって言うのかな?」

 しかし「このままでは食っていけない」と、妙見マルシェを見つけたという。「職探しは、自分の大好きな“パンづくり”しか考えられなかったので、とてもうれしかった。それに、やっぱり日曜日が休みで、サッカーの試合が出来ることがなにより良い」と、サッカーを第一に考える。チェリーブロッサムという社会人サッカーチームで、週3回練習して、毎週日曜は試合をしている。

 谷口圭マスターは、早朝6:30から15:00まで、21種類のパンを一人でひたすら作る。「黙々と作業することが好き。パンを極めるのには10年が必要。これからも修行して、たくさんのおいしいパンを作っていきたい」

 妙見マルシェは10:00から17:00までで、パンが無くなり次第閉店となる。

 パン職人を目指し、修行に励むイケメンパン職人。昭和55年2月生まれの25才。妙見市場の活性化に参加する日々を過ごす。

パンの店・妙見マルシェ
小樽市花園2-11-1
0134-34-0590

 9月のベストマスター 2005

村上 勝 さん

 小樽に旨い駅弁ありと、全国的に知られる「おたるかにめし」「北海手綱」「海の輝き」等を送り出している、(株)小樽駅構内立売商会の社長さん。

 当時の国鉄の鉄道弘済会のサラリーマンだったが、苦境にあった駅弁屋「小樽駅構内立売商会」に出向した。全く経験の無い弁当作りの仕事の上、傾いていた会社だったから大変だったという。しかし、当時の社長が全権を任せてくれたので、意気に感じて仕事に取組み、2年後には経営のメドをつけ、本社のサラリーマンに戻る。

 しかし、後がまの国鉄の退職者では経営がうまくいかず、結局自分が脱サラして経営を引受けた。

 当時は、2月・8月のニッパチ月の売上は、180万位しかなかった。鉄道事業の急変もあり、その頃から、市内のスーパーへも卸すように営業方針を替えた。

 東京晴海で調理器の展示会を観た帰り、新宿京王百貨店の駅弁大会の話を聞き、長男(専務)と2人で飛び込みでチャレンジした。国鉄からJRへの変換後の記念弁当で、「北海手綱」を制作。これまで作ってきた「かにめし」を基礎に、酢飯の上にカニとサケのそぼろを載せ、トビッコ・イクラ・錦糸卵でロープの綱を表現した色合いの上に、酢漬けのアスパラガスが1本載っている。

 この「北海手綱」を、京王百貨店の駅弁大会に出品。初出場で5位を獲得。以降、駅弁大会で何度もベスト5以内にランクされ、全国を回る物産展などでも大人気に。

 「一番は食べておいしいこと。作っている自分が惚れていないと駄目。手間暇を惜しまず、味にこだわっている。北海手綱は、他所で3個作るところを1個しか作れない」と、味と制作に時間を割く。

 全国の物産展に飛び歩いているが、お客さんの喜ぶ顔を見られるのが楽しみという。生れも育ちも小樽の生粋の樽っ子で、まもなく70歳になる。優しい語り口と温厚な顔立ちに、どこまでも挑戦して、自分が納得するまで手を弛めない気性が覗く。小樽の「駅弁」のマスターだ。

株式会社小樽駅構内立売商会
小樽市稲穗2-22-1
0134-23-5281

 8月のベストマスター 2005

桜井 尹広(まさひろ) マスター

 札幌出身で、高卒まで札幌育ち。若い頃ヤンチャだったから、サラリーマンの親から離れ、小樽にやって来た。1959(昭和34)年のことで、花園で6年間のバーテンダー修行に励む。当時はカクテル全盛期で、2〜3人のホステスがついて、カクテルを飲ませる店が流行っていたという。

 24歳の時に独立して、自分の店を持った。以来6回位店を変えながら、現在の店は1989(平成元)年からで以来16年が経つ。

 店の棚や壁には、ゴルフの書籍やグッズが飾られ、一目で“ゴルフ狂”なのが見て取れる。ゴルフの知識や技術論を話し始めると、もうどうにも止まらない。小樽カントリー倶楽部の最古参シングル(7)で、今でも週1回は欠かさない。

 3年前に胃ガンで全摘手術を受けた時も、病室にストレッチの器具を運び込み、足腰を鍛え復活に備えたという。趣味はゴルフだけというマスターは、好きな酒を飲みながら、客とゴルフ談義を楽しむ。

 「胃が無いのですぐに腸に入るから、食べて吐いて、吐いて食べての繰り返しで、吐くのは上手ですよ。ハッハッハ。」

 小樽に住んで46年で、今では小樽人だ。小樽は山あり海ありで、人情もあるが、最近はそれも希薄になりつつあると嘆く。

 店内には、スポーツなどを見られるテレビが何台も置かれ、カクテルの種類は日本一で、「暦46年」にお任せ下さいとのこと。「花園の繁栄と没落を身をもって知っている」という、64歳のシングルゴルファーのマスター。

オールド・ニュー OLD-NEW
小樽市花園3-9-18
公園通り 浜茶屋2F
0134-27-7077

 7月のベストマスター 2005

久貴谷(くきや) 敏郎 マスター

 小樽水産工業高校に入学のため、江差から小樽で下宿生活を始めたのが、小樽との縁の始まり。

 この高校時代に良い友達に恵まれ、今でも助けてくれるのが本当にありがたいと言う。

 高卒後、都通りの洋服店に5年間勤めたが、「夜のバイトをしたのが、いつの間にか夜の商売にはまってしまった」

 20才から24才にかけては「いゃー面白かった」と当時を懐かしむ。女性客相手のクラブ・サンタマリアの正社員として、連日、朝まで奮闘。店は女性客で溢れ100席が満席となり、一日3〜4回転もした。

 あの頃は若かったし、「人生で最高でしたね。こんな楽しい生き方してていいのかと思った程だった」と言う。24才で結婚。26才でスナックの雇われマスターに。30才で独立し嵐山通りで、がまんして金をかけない店をオープン。しかし、女性の団体客が欲しかったので、今度は小奇麗にした金をかけた店を第二小川ビルにオープンし、既に5年が経過した。

 花園暮らしもトータルで22年、独立して丸々12年が経った。「小樽は住みやすい。都会っぽくなくて人間が温かい。港町なのですぐに知り合いになれる。小樽はいい人が多い」と小樽生活を楽しむ。

 冬にはスノーボードに精を出し、夏には仕事の合間を見て、苫小牧までサーフィンに行くのが楽しみだったという。

 はしご酒・ドリンクラリーを主催する北観協社交飲食店組合小樽支部の副支部長を務め、イベントにも力を注ぐ。1963(昭和38)年生まれの42才。これからのさらなる活躍が期待される花園のマスター。

PUB Toshi
小樽市花園1-9-26
第二小川ビル2F
0134-27-5567

 6月のベストマスター 2005

青木 正人 マスター

 魚が大嫌いで子供の頃から食べず、肉ばかり食べていたが、札幌のレストランのフレンチのシェフの魚料理で目覚め、魚の食わず嫌いが直ったのは感動だったという。朝里のクラッセで働いていた19歳の時、ワインを飲んで感動し、知り合ったシェフと札幌に行き、ワインと料理の修業。96年にソムリエの資格を取った 小樽の朝里育ち。

 3年前に小樽花園のビルの一角に、WINE BAR 『Primeur プリムール』をオープン。カウンターに9席のこじんまりした店だが、壁にビュッフェのリトグラフが飾られ、落ち着いた雰囲気をかもし出している。ワインストックは、マスター厳選のワインが常時300本あり、ワイン好きにはたまらない。

 常連さんがゆっくりとカウンターで、マスターの手料理とワインを楽しむ。マスター1人の店で、「女の人と一緒に仕事が出来ないんですよ。でも、ゲイじゃないですよ」と、子供2人の父親でもある。

 嫌いだった魚を釣りに行くのが趣味になってしまったと笑う、71年生まれの34歳。こんな形式の店でも小樽で3年間もったのも、小樽で知り合った人のおかげと、5月に3周年を迎えたワインバーのマスター。

 

 

ワインバープリムール
小樽市花園1-8-8
さわだビル1F
0134-24-5721

 5月のベストマスター 2005

鳥居 登 マスター

 小樽一の繁華街花園町を隅から隅まで熟知しており、知らぬ人がいないほど顔が広い。ドリンクラリーを岩見沢から小樽に導入し、活発な“はしご酒大会”を主催する、北観協社交飲食店組合小樽支部の幹事長を務める。

 花園暮らし一筋で、イベントを手掛けさせたら、抜群の行動力でまとめあげる。若い頃から、ビートルズ、ロカビリーやアメリカンポップスに入れ込み、プレスリーやポール・アンカ、コニー・フランシスなどが大好きで、今でも懐かしいドーナツ盤を多数持っているのが自慢。

 3年半前から、一人息子と2人でスナック「maybe」を経営する。店の壁にもドーナツ盤のジャケットが並んでいる。

 何にでも興味を示すマスターは、夏には小樽の海を魚のように泳ぎ回り、冬にはスノーモービルで、雪の野山を駆け巡ったという。

 店に入ると、親子鷹の阿吽(あうん)の呼吸がぴったり。ワンコイン(500円)で飲める店に、ダーツを置き、客とダーツ競技を楽しむ。ダーツボードをトイレ入口のドアに貼付け、「花園町で唯一、トイレの内側からノックして出てくる店は、うちだけだね」と、妙な自慢を、いたずらっぽい目で語りかける。

 5月12日実施の“はしご酒大会”ドリンクラリーでは、八面六臂の活躍を見せる。ビール好きで、ビールを飲む時は顔もほころぶ。夜の花園町の活性化に力を尽くし、口はうるさいが心は優しい1949年生まれの56歳のマスター。

スナック「maybe」
小樽市花園1-11-18
0134-25-5895

 4月のベストマスター 2005

阿部 健司 マスター

 若くして何故か髪が薄くなって、30歳でスキンヘッドの坊主頭に。店名に「BONZ」と付けた洒落の分かるマスター。南国調の雰囲気の店は、内装・壁・ディスプレーも自分の手作り。「物作りが好きで、自分でやってみた」と言うマスターは、小樽生まれ。量徳小、住吉中、小樽工業へ。19歳の時東京へ行って、地盤改良の土木の仕事の会社に勤め、札幌に転勤になり、全道の現場を飛び回ったという。

 土木の現場監督から転身したのは、会社がつぶれた4年前。花園に店をオープン。「小樽は最高ですね。今のところは生きていけるからいい街だなと思う。しかし、生活出来なかったら切ないですよ」

 趣味の幅が広く、ハーレイで道内を巡り、サーフィン、キャンプ、釣り、スノボー、木彫り、皮細工まで。「だから極められない。楽しそうだなというのは、やらなければ気がすまない」というアウトドア派。

 店の1周年記念パーティーに呼んだゲストの女性に一目惚れ。次の日に東京渋谷まで追いかけ速攻勝負。音楽家の小林幸恵さんと出来ちゃった婚。「電撃的出会いだった」と言う。

 奥さんの幸恵さんは、「ASAYAN」の番組で、小室哲哉のオーディションで、グランプリを獲得した本格派。アメリカでNBAの国歌斉唱にも抜てきされた。

 2人の間に出来た2歳の娘さんと顔がそっくりと笑顔を見せる。「頭を禿げた人を見るとパパと間違える。チャゲアスのチャゲを見たら、パパと間違える」と、顎ひげ口ひげとスキンヘッドの顔がほころび、やさしい父親の顔に変わる。

 「2年前に歯を抜いたら、正真正銘の子供の乳歯だった」と大笑い。花園で「BONZ」と「ROD」の2店を経営する明るく面白い、今年37歳のマスター。

『BONZ』
小樽市花園1-11-16
第2とみたビル2F
0134-24-7225

『Lept Base ROD』
小樽市花園1-11-18
0134-32-2121

 3月のベストマスター 2005

菅原 廣良 マスター

 朝里の国道5号線、北海道中央バス朝里車庫の並びにある中華ダイニング“春めん”のオーナーシェフ。

 赤平出身。高卒から中華料理道に専念。札幌グランドホテルや苫小牧市民会館、札幌の中華料理店を経て、函館ロイヤルホテルに12年。札幌東急インの中華料理長として20年という、中華一筋に35年の年季が入った料理人。

 料理の腕の確かさは、その作る料理の一品一品の味の良さに表われている。小樽が好きで、小樽に住宅を構えすでに23年経つ。「小樽は住みやすいが景気が悪くて大変。小樽は全く元気がない。昔は商人らしい人たちで活気があったが、今はその商人がいない」と嘆く。

 2003年11月に、朝里の新光1丁目の国道5号線沿いに、中華ダイニング“春めん”をオープン。すでに1年3ヵ月が経過した。

 マスターの作る料理は、大きなフカヒレの姿煮から、エビマヨネーズ炒め、エビチリ、春巻、小龍包、あんかけ焼きそば、カニチャ−ハン、ラーメンに至るまで、全ておすすめの一品だ。セットメニューなども豊富で、しかも値段が安く味が良い。

 春巻の皮は、全国でもここだけという技が集約されている。トウモロコシ粉と塩と強力粉だけで練り上げた粉を手に取って、1日400枚も直接焼く。この春巻の皮を使った“春玉ラーメン”(800円)も人気の一品。週替わりの定食も750円でお腹一杯になる。

 同年齢の奥さんと娘さんの3人で経営する、知らないと損をする、おすすめの中華ダイニング店のマスター。

 柔らかい語り口に、中華一筋に生きてきた料理人の心が見える。最近では、小樽名物のしゃこを使った“小樽シャコラーメン”も考案して出している。しゃことエビの殻を炒めて野菜やトマトペーストを加えて煮込んだソースの上にしゃこが3匹のっている。ここでしか食べられない味で、食べた人からは喜ばれるという。

 札幌のホテルの料理長の作る中華に、簡単に出会える小樽人は幸せというべきか。

 

750円
  
 
週替わりランチ
料理1品・半ラーメン
半ライス・サラダ

100円ずつプラスで
杏仁ゼリー・ごま団子・ドリンクが付けられる。

一番人気

あんかけ焼きそば
(漬物・スープ付)
800円
 
 

春巻(3本)
カニ・エビ 450円
カボチャ・じゃがいも 390円
 

小海老のマヨネーズ炒め
1,000円
 
小樽名物

小樽シャコラーメン
800円
 
 

カニチャーハン
(漬物・スープ付)
800円
 
 

小龍包(4つ)
400円

 

 

職人技の粋
春巻の皮作り

 

 

宴会プラン4〜24名様+飲み放題1名様より受付(要予約)
お土産も受付可(要予約)

北海道コーン入り、手焼き春巻の皮
春玉ラーメンの店「春めん」
小樽市新光1-4-1
0134-52-1990 
閉店

 2月のベストマスター 2005

三上 直政 マスター

 生まれも育ちも小樽で、「小樽を一歩も出たことがない」という生粋の樽っ子。小樽の街が大好きで、外に出る気がしないという働き盛りのマスター。

 市内最上小、松ケ枝中、小樽商業へ。天狗山の麓で育ったので、スキーはお手のもの。天狗の壁もスイスイと滑り降りる。

 料理人を志したのは、小学生の頃、共稼ぎの両親でカギっ子だったことから。学校から帰っても誰もいないが、お腹は空く。自分で何か食べ物を作らなければならなかった。ご飯を炊き、チャーハンを作って食べたのが、料理の道へ進ませた原点という。

 19歳から市内の寿司店で修業。以来20年が経ち、40歳までには自分の店を持ちたいと、5年前に花園町に和風厨房「み神」を開店。寿司屋でなく居酒屋にしたのは、自分が酒が好きだったことからで、このご時世で寿司屋だけだったらやっていけなかった、居酒屋にして良かったと思うという。

 小樽には味にうるさい人が多く、商売は難しいし、厳しい。それでもおいしく、安く、ボリュームのある食べ物を提供するのが一番。女性客が7、8割を占める週末は、予約で一杯になるという。メニューも豊富で90種類はあるという。仕込みが大変で昼から始めている。やっていることは、小さい頃からの積み重ねという。

 最近はゴルフに凝っている。ゴルフをやりたいから仕事をしているようなもの。ゴルフは、ナイスショットの解放感がたまらない。シーズン中は休日はいつもゴルフ場に。

 料理は、親戚や親兄弟でも、おいしくなかったら来てくれないものだからと、おいしい料理に打ち込む、笑うと細い目が一層細くなり、やさしさが顔に溢れ出る、働き盛りの45歳の料理人。 

和風厨房 み神 
小樽市花園1-10-8
0134-24-1776

 1月のベストマスター 2005

村上 五郎 マスター

 2005年新春のベストマスターは、昨年めでたく88歳の米寿を迎えた、飴細工師の村上五郎さん。

 「あめ五郎」として知られる小樽職人の会の飴細工職人として、ウイングベイ小樽SE-B棟の片隅で、黙々と立ちっぱなしの仕事を、朝8:00から夕6:00まで10時間もこなす。

 「耳も遠いことはない。目も大丈夫。でも、多少ボケが来ているかな?」と目を細めて笑う。その話し方、昔の記憶の確かさには驚かされる。

 富良野出身で、14歳から和菓子店に。飴玉・せんべい・饅頭などを習う。いつか独立したら飴屋をやろうと思っていたという。小樽に来たのは19歳の時。新聞の募集で花園の製菓店に。デパートの催事に全国を回ったという。

 小樽に住んで70年近くになる。「小樽は昔とずいぶん変わったよ。第2大通りには岩山があったな。当時は小樽駅の駅舎を作っていた。駅は坂だったので、掘り下げて地下からホームに上がるようにしていた。その頃は除雪などしなかったので、バス通りもガタガタで、車内の客はイスから飛び跳ねさせられた。女性の着物姿の裾がまくれたもんだよ。」

 現在は、朝里でお孫さんたちに囲まれて過ごしている。朝里から毎朝バスで通っている。この年まで病気をしたことがなかったが、去年3月に心臓に水がたまり1ヵ月入院したという。43kgの体重が32kgになってしまったと嘆くが、今は体調も戻って元気一杯だ。

 飴細工の店を始めたのは60歳になってから。「飴細工は、ほんとうに難しい。5色を配合し色々な色を出す。作る作品を頭にイメージして作るのだが、なかなか納得する作品が作れない。壊しては作るの繰り返しだよ。それでも出来た作品をお客さんが誉めてくれる時が一番うれしい」と、身振り手振りで話す。

 「100歳を超えてもやれるかは、立っていられるかどうかだ。最近は足が大分弱っている」と言いながらスタスタと元気良く歩く。

 今年の干支の酉を本サイトのために作ってくれた。正月には、尾長鳥作りに挑戦する。まだまだ矍鑠たる88歳のマスターというより、88歳のマイスターだ。

飴細工 あめ五郎 
小樽市築港11
ウイングベイ小樽SE-B棟内