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 12月のベストマスター 2003

清野 秀男 マスター

 山形県遊佐生れ。建築業を営んでいた父に連れられ、一家で小樽に住む。量徳小、住吉中と、小樽で育つ。中卒後、手先が器用だったので、東京へ職人修業6年間。21歳の時に小樽に戻り、江差亭を紹介され、板前修業を12年間。この間、2年間は京都で料理修業。もっと京都に居たかったけど、江差亭のオヤジさんに呼び戻された。

 カウンターで杯を傾けていた江差亭の干場豊さんは「この子は頭の回転の良い子だった。市場をあっちこっち連れ歩いたり、遊びにも連れていった。オレの仲人1号だ。真面目な気性だし、研究熱心だし、オレのことも心配してくれる。うちの店の秘蔵っ子だよ」と話す。

 清野マスターも「江差亭のオヤジさんとの出逢いが、人生のこういう流れになっており、運命的な出逢いだった」と、師弟の話は尽きることがない。

 花園に山海料理の店を出して、すでに18年。奥さんと2人で経営する料理人。一男一女の父。52歳。江差亭出身の花園にある3店と刺激し合って、仲間3人が伸びていけばいいという、仲間想いでもある。

さんかい亭
花園1-6-5
0134-29-0585

 11月のベストマスター 2003

富樫 正則 マスター

 この道一筋42年7カ月。小樽生れで、旅行以外では、小樽を離れたことはない樽っ子。色内小から5年で転校し、緑小、東山中、千秋高へと進む。

 会社勤めの給料取りのサラリーマンが嫌で、1カ月で廃業。給料の高い水商売へ。バーテン、ボーイの仕事を4年間修業し、22才で独立。昭和36年7月、花園に10坪のトリスバー“カヌー”を開店。

 “カヌー”という店名は、「船は前に進むもの。丸木舟のカヌーは、嵐が来てもすぐ元に戻るから、商売でも、花も嵐も乗り越えて元に戻ることから付けた」 昭和42年に現在地に移る。

 この道すでに42年7カ月。浮世通りの界隈では「福八」が一番古いが、バーでは小樽でも最も古い方に入る。トリスバー、サントリーバー、パブサロンと名前は変わったが、「お気軽な大衆の飲み場所は変わらない」と、話し上手なマスターの口調はやわらかい。花園の盛衰と共に歩み、夜の小樽の歴史を作ってきたうちの一人。

 「景気の良い頃は、年末から正月にかけ、大いに客が入り、金も貯まったけど、景気が悪くなり暇で、今では全部使い果たしたよ。みんな吐き出したので、ご心配しないで下さい」

 現在、小樽美術館で開催中の富樫正雄展の画家とはいとこにあたるという。昭和13年生れ。

パブサロン カヌー
花園3-7-15
0134-32-4070

 10月のベストマスター 2003

伊藤 孝 マスター

 小樽の観光名所メルヘン交差点に近く、パスタとピッツァのうまいレストラン“ベリーベリーストロベリー”のマスター。

 小樽で生まれ育った樽っ子。量徳小、住吉中、桜陽高と進む。サラリーマンが嫌いで、俳優タレントを目指し、東京のタレント養成校のオーデションに合格し上京。

 東京で8年の修行時代を重ねる。しかし、タレント修行より、アルバイトに精を出し、有名なフランス料理店で修業。人の3倍も働いたという仕事熱心が認められ、シェ松尾の系列レストラン店のオープニングに携わり、店舗経営のノウハウを学ぶ。

 25歳になって小樽に戻り、現在の入船にレストランをオープン。当時は金もなく、3,500万円かかった費用も、後から金策をしたという。オープン2年間は、お客がほとんど来ない状態で、どうしようかと思い悩んでいた。3年目から急に客が入りだし、盛況に。

 タレントを志した端正な顔も、東京で知り合った奥さんと3歳の娘の話になるとほころんで止まらない。イタリア製のバイク“ドカッティ”で走り回るのと日本史が趣味。

 仕事熱心な働き盛りの36歳の旬のマスター。

ベリーベリーストロベリー
入船1-2-29
0134-23-0896
http://www.ts-se.com/vvs/

 9月のベストマスター 2003

嶋崎 幸夫 マスター

 JR小樽駅に近い稲穂2丁目にある、コの字型のカウンターの小樽らしい居酒屋のマスター。
 利尻生まれの小樽高島の浜育ち。手宮小、末広中、小樽工業の定時制に進む。高校時代は色々あってねと笑う。民間に就職して後、市職員採用試験を受け、市役所職員となる。港湾部の技術職員として、26年間。あの頃は、港湾荷役も本当に活気があったと、小樽港の賑わいを懐かしむ。
がしかし、公務員の何にもしなくても給料がもらえる親方日の丸と、上司との人間関係に嫌気が差して、26年間勤めた公務員から焼鳥屋へ180度の転身。
 開店当初から人気店となったが、食べていかれれば良いと考えていたので、ちっとも儲からない店だったという。奥さんは、店に長年通って射止めた女性だが、「拾ってやったんだ。」
 明るい奥さんと二人三脚で、北海道の肴を炭火で焼きながら、既に20年。10月に生まれる初孫を心待ちにする日々。
 キロロにスキーで訪れる常陸宮御夫妻が、4年間も毎年来店してくれるのが自慢の種。一緒に写した写真を手に、この自慢話を語る口調はどこまでもやさしい。
 頑固できかないオヤジが、目を細めて笑う顔のやさしさに、小樽ののんべえの常連たちが通うオアシスのマスター。

焼ガニ・焼肉・焼魚・刺身の店
 がつや しまざき
稲穂2-14-2
0134-25-6685

 8月のベストマスター 2003

加地 邦宏 マスター

 八雲町出身。小学5年の時に小樽へ。色内小、菁園中から小樽工業高へ。高卒後、サラリーマン生活を6年。音楽センスの良さとゴルフの腕前は有名。美声を武器にバンドで花園を巡ったことも。

 花園に、スナックSt.アンドリュースを開店。美人のママと二人三脚で名高い。後に、パブブラッキーも開店し2店の経営者に。ゴルフでは、かつてはプロを目指したこともあるハンディ3のすご腕だ。

 髪の薄くなった頭に手をやりながら「オレ、アデランスしてないよ。」と、優しく客に接する花園のマスター。

パブブラッキー
花園1-8-1
0134-21-5815

 7月のベストマスター 2003

森田 章三 マスター

 生れは樺太、育ちは小樽。稲穂小に学び、当時は俳優の石原裕次郎さんも在籍していたという。

 小樽商業高校を出て道内を巡り、29歳の時、花園に“トロイカ”と“かすべ”の2店をオープン。

 ある時“かすべ”にぶらりと入って来たのが石原裕次郎さん。それ以来、店に何度も足を運んでくれたという。同じ稲穂小出身でもあり、裕次郎さんに可愛がられ、石原軍団も何度も顔を出してくれた。

 6月17日に小樽駅に「裕次郎ホーム」が誕生した時には、ヒゲのマスターはネクタイを締めてセレモニーに参加して、裕次郎さんを偲んでいた。

 トロイカなべが有名な店では、今でも裕次郎さんの話が尽きない。花園で38年。「ここまで頑張ってこれたのも裕次郎さんのおかげ」という。

 嵐山通りの突き当たりにある北海道料理店のマスター。トレードマークのヒゲをなでながら、小樽の街を語る口調は尽きることがない。昭和10年生れ。

北海道料理かすべ
花園1-8-20
0134-32-1069

 6月のベストマスター 2003

小伊勢 貴洋 マスター

 稲穂3丁目の中央市場の隣にある伊勢鮨の二代目マスター。小樽生れで稲穂小、菁園中、小樽水産高校へ。高卒後、札幌で板前修業を6年間。父親が開業した店に戻り、父子二代で寿司を握る。修行から帰った時、握った寿司を父親に潰されたのを発奮材料にして、寿司道に邁進。今では二代目マスターとして、親子・兄弟・夫婦で暖簾を守る。

 「ゴルフなんか興味ないね。今は小学生の子供と一緒の少年野球に夢中だよ。早朝4時5時起きで、子供と流す汗が気持ち良くて最高だね。ところで明日はコンペだったな。」

 小樽出身のママと3人の子供。店に顔を出す子供を見る目は、厳しい顔が一変し、大きな目玉が点になりやさしさを増す。

 常連客と、寿司を握りながらの、話題豊富な会話が尽きない。

 男盛り、職人盛りの38歳。  伊勢鮨のHPはこちらから

伊勢鮨
稲穂3-15-3
0134-23-1425

 5月のベストマスター 2003

谷川原 英彰 マスター

 所属する太鼓衆「鼓響」のバチさばき振りには定評がある。バチを包丁に換えると、懐石料理をこなす料理人の顔に。小樽生れで、若竹小、桜中、北照高に学ぶ。

 高卒後、東京に出て目白の椿山荘で料理人の修業を7年半。札幌に戻り、全日空ホテルで4年の料理研鑽。30歳の時に、嵐山小路に、くい処“やがわら”を開店。すでに6年が経つ。

 懐石料理を味わってもらいたいと、2カ月に1度の賞味会を開くが、人気が高く、いつも満席に。

 太鼓衆「鼓響」の有力メンバーの一人だが、最近ではゴルフに目覚めている。2人の子供の話になると、どこまでも止まらない自慢話が続く。この時ばかりは、しまりのない親バカの顔になる。

 これからの小樽の料理界の一翼を担う、36歳の若き料理人だ。
   くい処やがわらHPはこちら

くい処やがわら
花園1-8-20
0134-34-1915

 4月のベストマスター 2003

日野 孝則 マスター

 TV、雑誌に何度も取り上げられ、小樽の海の幸を存分に味わえる店として有名に。稚内生まれ。家が貧しかったので、中学を出て、集団就職で札幌のホンダの工場に。17歳の時、小樽ホンダに移った。

 20歳の頃、当時給料が安く、月9,800円の時に、1日500円の夜のバイトに精を出す。小樽駅前にあったバイカウントをはじめ、キャバレーやクラブで見習いバーテン修業。26歳の時、現在の地に日野亭をオープン。

 当時珍しかった活イカを水槽で飼って客に提供。活イカを出すのが難しかった頃で、日本で最初に出したことで、NHKTVが、ドキュメンタリーとして放映。

 これがきっかけで、続々とTVや雑誌が押し寄せ、客も溢れるようになったという。きれいに盛付けられた各種の海鮮丼を食べに、各地から観光客が訪れる。

 昔はスキージャンプ、今はスノーモービルに興ずるスポーツマンでもある。

  日野亭ホームページはこちらから

日野亭
花園1-7-7
0134-27-1851

 3月のベストマスター 2003

狸  石田 秀雄 マスター

 浮世通りには、常連客が足繁く通う焼き鳥・焼肉の名店“狸”がある。
 カウンター越しで、炭火を自在に操るのは、石田秀雄マスター。18歳で、
 札幌の焼き鳥店で修行し、小樽に来て23年。この道40数年のベテランマスターだ。
 23年前、東宝劇場裏手の小路で店を開いた時から、多くの客に味を支持され続けている。13年前に、浮世通りにある現在の店に移った。
 メニューは、どれも手頃な値段で、気取らずに行ける雰囲気からか、家族連れも多い。ここの看板メニューは“若鳥”。鶏の半身を炭火でじっくりと焼いた香ばしさと、ボリュームには驚くばかりだが、800円という安い値段にも驚かされる。
 マスターは、菁園中学校の野球部を指導したり、花園小学校の少年野球団の監督を10年間務めた、大の野球好き。現在も草野球チーム“ファミリーズ”の監督を務める。
 客に“大将”と呼ばれる風格を感じさせるマスターだ。


花園3-8-7
0134-32-7971

 2月のベストマスター 2003

東家 藤原 泰爾 マスター

 満90歳になった今でも、一人で厨房に立ち、蕎麦と向き合うこの道70年の超ベテランのマスター。
 小樽人にその味を支持され、愛される蕎麦店主は、岩手県出身。釧路で蕎麦修業を20年。小樽で店を開いて50年。蕎麦一筋に70年が経過し、小樽の街の盛衰を共にしている現役最古参として知られる。
 話し好きの人の良い優しい笑顔が、客に安心感を与える。6年前の84歳の時に、大動脈瘤破裂で半年以上店を閉めた時には、「あの大将の蕎麦は二度と食べられないのでは?」と皆に惜しまれた。ところが熱心な客の声援で、退院後に無理を承知で釜前に立つと、70年の職人魂に火がついた。暖簾を上げてからしばらくすると、次から次へと客が押し寄せ、気がつくと満員の客と感極まって男泣きしたという逸話もある。「1時間でも多く釜前に立ちたい。死ぬ時はこの釜の前で死にたい」
 「そばなべ」というメニューの名付け親。大将語録「小さい時ウチの蕎麦を食った人は、遠く(東京)へ行っても、必ず小樽に戻ってくる」
 職人の中の職人は書を嗜む風流人でもある。
 「美の表現 太陽に キッス」藤原 泰爾

小樽東家
花園1-4-24
0134-32-3930

カウンター8席(実質6)
テーブル席3卓
小上がり4卓

 1月のベストマスター 2003

ビルド 矢野 勝久 マスター

 北海道の三笠市出身。若き頃、札幌に出て、バーテンダー修業を積み、飲食業界に入る。
 のち小樽に移り、キャバレー全盛時代に、小樽で有名だった“キャバレー現代”に9年間勤める。
 当時の“現代”は、ホステスを40人も抱え、大いに賑わっていた。慣れぬ手つきで、フロアーでバンドの一員を担ったという。もっとも楽器に手を添えて、演奏の真似をしていただけだよと笑う。この後、小樽出身の奥さんと2人で、居酒屋ビルドを花園に開店し、すでに31年。夜遅くまでの営業で、花園人種にウケている。マスターの作るチャーハンは、人気メニューのひとつ。
 最新は、北観協の小樽支部長として“ドリンクラリー”を成功させ、久し振りに花園を盛り上げた主催者でもある。語り口と笑顔が優しい花園通のマスター。

 

居酒屋ビルド
小樽市花園1-11-17
0134-32-3944