平沢貞通と文通!葉書や手紙を美術館に寄贈 (2018/01/31)

 小樽出身でテンペラ画家の平沢貞通氏と獄中文通していた松本さださんの孫で、京都在住の酒谷佳子さん(65歳)は、1月31日(水)、市立小樽美術館(色内1)を訪れ、平沢氏から送られた花や富士山の絵入りの葉書、真実がまかり通らない世の中と書かれた手紙など13通を、同館に寄贈した。

 当時、仙台刑務所にいた平沢氏と文通で交わした、1978(昭和53)年7月11日から1979(昭和54)年9月26日付けまでの葉書3枚と平沢氏の思いが綴られた10通の手紙、獄中を記した「帝銀死刑囚」と、「平沢貞通を救う会」発行の「平沢貞通は真犯人ではない」と、「帝銀事件研究」の第73号と第80・81合併号も合わせて寄贈した。

hirasawa1.jpg 企画展「小樽の画壇の礎 平沢貞通展」が、同館1階中村善策記念ホールで、3月4日(日)まで開かれ、小樽に移住して110年・没後30年目の節目となる平沢氏の北海道画壇の発展に尽力した業績と作品を紹介している。

 平沢貞通(1892~1987年)は、小樽出身で、不透明で力強く退色しない特徴のテンペラ技法に興味を持ち、独自に研究を続けた。戦後、大量毒殺事件の帝銀事件の犯人として逮捕され死刑が確定。無実を訴えながらも逮捕から亡くなるまで39年間獄中で過ごした。

 大正の終わり頃、さださんは夫の修一さんと、東京の武蔵野芸術村のアトリエに住み、平沢氏とは庭続きの隣人だった。1923(大正12)年9月の関東大震災で、さださん夫婦は京都府に戻り、平沢氏との音信が途絶えた。

 さださんは、絵画教室を開き絵と文学に親しむ孫の酒谷さんに葉書や手紙を預けた。大切に保管してきた酒谷さんは、貴重なもので素晴らしい絵もあり、絵を大切にしてくれる所に寄贈しなければと思っていた。従姉妹が、インターネットで平沢氏に関する展覧会が小樽で開かれているのを知り、この度の寄贈が実現。

 1月31日、酒谷さんは京都から初めて小樽を訪れ、同館の企画展を見学。記者の取材に応じ、持参した祖母の写真とともに思い出を語った。

 酒谷さんは、さださんから当時の平沢氏について、「男前で優しい人」と話していたという。

hirasawa2.jpg 1948(昭和23)年1月に大量毒殺事件である帝銀事件の犯人だと、事件発生から7ヶ月が過ぎた8月に平沢氏が逮捕された。

 夫を1939(昭和14)年に亡くし、平沢氏とはずっと音信不通が続いていたが、1978(昭和53)年、仙台刑務所に拘留中の同氏と1年3ヶ月間文通していた。

 獄中の平沢氏について、さださんは無実を信じ、画集発行時には、平沢氏の早期釈放を要求する「平沢貞通氏を救う会」にカンパをしたり、いろいろな本を差し入れていた。酒谷さんも本を送るのを手伝っていたという。

 さださんが病気で倒れ、文通は途絶え、1984(昭和59)年に亡くなった。

 これまで、平沢氏の葉書や手紙の公表はなく、平沢氏が亡くなった1987(昭和62)年5月に、京都新聞の取材に応じた際に一部を初公表したが、その後は保管したままだったという。

 酒谷さんは、「本当に良かった。おばあさんの供養になったと思う」と寄贈を喜んでいた。

 同館・星田七重学芸員は、「成し得ない実績・業績があり、多くの人を指導してきた人。絵を鑑賞した人からは、絵から受ける印象がそうとは思えない(無実)の声が、回を重ねる毎に多くなっている。平沢氏の作品を展示するのは、今回で3回目となる」と話した。

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