第2回定例会最終日も大波乱!異例の自然閉会


 小樽市議会第2回定例会は、6月7日から28日までの会期22日間で開会したが、森井市長が満足に答弁できず、答弁調整のため空転を続け、会期を10日間延長して7月8日(金)、ようやく最終日を迎えた。
 最終日に自民党から提出された「森井秀明市長に対する問責決議案」の採決直前に、民主党・共産党・新風小樽・無所属議員が議場を退席。このため議会を開会する定足数を満たせず、15:30から中断した。再開の目処は立たず、結局、深夜0:00で時間切れの異例の自然閉会で終わった。
0708council.jpg 6月7日(火)開会の同定例会は、当初、6月28日(火)までの会期22日間としていたが、会派代表質問の2日目で、市長の答弁調整のため空転。次の日も市長の公用車私用問題で空転。丸4日間開会できず、22日(水)にやっと再開し、市長の責任を問う7つの動議が提出され可決。
 その後も、市長の答弁漏れが多発し空転。24日(金)にようやく一般質問を終了したが、会期を10日間延長して、7月8日(金)まで32日間と決め直す異常事態となった。7月8日にやっと最終日の本会議を迎えることができた。開始時刻を1時間遅らせた14:00から始まったが、自民(議長除く6人)・公明(5人)11人が賛成の問責決議案を巡り、他会派が退席したため、本議会を開く定足数が足りず、中断する波乱の展開となった。
 自公会派が、市長の問責決議案を通すための他会派への働き掛けが全くできていなかったことも、中断になった大きな原因だった。この点では、自民・公明会派の唯我独尊ぶりが露となった。
 16:00過ぎ、休憩に入った議事堂には、議員も市職員もおらず、傍聴していた市民はまたまたの中断に「あきれた」と嘆いていた。
 自民党からの問責決議案は、「森井市長就任後の定例会すべてで空転を招いたが、原因は、森井市長の言動にあった。不誠実な答弁や答弁漏れを繰り返し、議会に真摯に向き合う姿勢からはかけ離れた言動が、終始議会を混乱させた。その市長としての政治的、道義的責任を問う」もの。
 退席した新風小樽は、「空転を招いたのは事実だが、再開にあたり、無所属を除く各会派で、市長に答弁漏れなどがないようにと政治姿勢を質すための動議を可決し、その後、すんなり進んでいたので、このタイミングで改めて問責決議案は、出さない方が良いと勧めていたが、結局、提出されたので退席して意思を表した」と話した。
 同じく退席した民主党は、「問責の中身については異論はないが、問題は、これを出すタイミンにある。今定例会にも7つの動議、その後も1つの動議が出され、最後の動議には賛成した。動議のあと、意見の相違はあるが、委員会等は進んでいるため、最後のここに来ての決議案のタイミングは、少なくとも今ではないと判断した。さらに、議会の中で、問題発言や答弁があったり、結果として市民に利益にならないことが起こる可能性があり、その時こそ、議会としての意思を示す時が来ると思う」と話した。
 結局、中断されたまま膠着状態が続き、議長・議員はじめ、市長や関係市職員が足止めされたまま、深夜0:00の時間切れの自然閉会を待つだけの状態で推移し、夜間時間外手当だけが加算され、市民の税金だけが無駄のまま消費されるという愚行を演じた。
 その責任は、質疑で何らの説得ある答弁ができず、答弁調整と称して何日間も無駄にした「わがまま」森井市長の責任が極めて大きい。森井市長が答弁も出来ず、いたずらに審議時間を空費しても自分の非を認めない態度は、市民からも受け入れられることはあるまい。
 問責決議案を突きつけられる自体は、今後の森井市政の先行きを極めて危うくしている。この先にあるのは、森井市長への不信任だけだ。この意味でも、今後の市議会の動向が注目されることになった。
 なお、議会事務局によると、小樽市議会が、過去に自然閉会となったのは、議事録を調べると、少なくとも1961(昭和36)年と1986(昭和61)年の2回みられるとのこと。今回は、議会史上3度目を記録したことになる。
 今定例会に提出された21の議案は、議案20号の小樽市非核港湾条例案以外、すべて可決。7つの意見書案は、全会派一致で可決した。
 第2回定例会議事日程及び会議次第(07/08)
 第2回定例会議事事件一覧
 6月7日提出の議案訂正について
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