稲垣日誌"第31巻"70部 博物館友の会寄贈 (2015/07/06)

 明治から大正にかけての日常を書き綴った「稲垣益穂日誌」の第31巻(220ページ・小樽市総合博物館編集・発行)が、300部刊行された。

 そのうち、市内外の小中高校や大学、北海道札幌聾学校などへ寄贈予定の70部(4万3千円相当)が、小樽市総合博物館友の会(北村猪之助会長)から、小樽市総合博物館(石川直章館長)に寄贈された。

inagaki1.jpg その贈呈式が、7月6日(月)12:30から、小樽市総合博物館(色内2)運河館で開かれ、北村会長から石川館長に手渡された。同会長は「研究に役立ててもらいたい」と話した。

 稲垣益穂日誌とは、稲穂尋常高等小学校や小樽聾唖学校の校長を務めた稲垣益穂氏(1858~1935)が、1896(明治29)年1月1日から1935(昭和10)年1月27日までの亡くなる直前まで、ほぼ毎日記された日誌で、得意な挿絵を交えながら、稲垣氏の多様な視点で、当時の小樽の町の様子や出来事、人々の様子が記録され、小樽の歴史を知る貴重な資料として、初刊含めた55冊となっている。

 同館では、特に小樽に赴任した明治36年からの日誌を読み下し、1987(昭和62)年には、第8巻(明治36年3月1日〜11月30日)を刊行し、その後、不定期に刊行を続け、2012年に第30巻(大正9年5月3日〜大正9年11月26日)、今回3年ぶりの刊行となった。

 これまでの初巻・第1巻(明治29・30年)の高知県の教員時代の巻と、8巻から31巻まで計26巻分の活字化を終えた。

 稲垣氏は、1858(安政5)年、高知県長岡郡西野地村(現南国市)に生まれ、高知県で小学校補助教諭となり、1892(明治25)年には校長に任命され、岩手県、宮城県と転じ、1903(明治36)年に小樽区稲穂尋常高等学校長として着任し、以後、小樽に住む。1920(大正9)年に小樽聾唖学校嘱託、1921(大正10)年には、庁立小樽商業学校嘱託、昭和10年死去。

 第31巻(大正9年11月27日〜大正10年8月6日)の日記では、稲垣氏が、小樽聾唖学校の校長に就任し、当時の聴覚障害・視覚障害児教育の様子を詳しく記載。特別支援教育の史料としても貴重な内容で、聾唖の研究者等から問合せがあるなど、貴重な内容が綴られている。

inagaki2.jpg 他にも、初めて乗合自動車を利用したことや、朝早くに起き、食事の支度をした朝の様子など、日常の様子が天気と共に克明に綴られている。12月11日に遺言が書かれ、その後、幾度となく書き直されているらしく、ここでは、葬儀のやり方や記念品を配る人、今までに受け取った記念品を家宝として貯蔵することや、香典返しには、稲垣氏のもっとも新しい写真を焼き増しして送れと、これ程良い香典返しはないとユニークな視点で物事を捉えた記述が印象的だ。

 12月20日には、第1回国勢調査結果が発表され、東京・大阪・神戸・京都・名古屋・横浜の6大都市の人口や、小樽の人口は、仙台市に次ぐ13位で、10万8千13人だった事も記されている。

 この刊行に貢献している同館の歴史ボランティア(竹内勝治代表)は、現在7名が、月1度、同館運河館に集まり、稲垣日誌の史料の出版へ向けた翻刻作業を中心に行っている。

 同日誌は、和紙に筆を使ったくずし字で書かれ、解読が困難。原文のコピーを自宅に持ち帰り、読み起こしを行い、集まって読み合わせを行いながら作業を進め、学芸員や指導員ともに刊行を目指している。現在32巻の校正中で、33巻を読み終わった段階。

 第31巻は、国立国会図書館をはじめ、全国各地の博物館等へ配布し、50部のみ販売を予定している。

 問合せ:0134-22-1258 小樽市総合博物館(色内2)運河館

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