南相馬市児童と色内小児童が交流


odakasyo1.jpg 東日本大震災後の福島原発の事故により、仮設住宅で生活し仮設小学校に通う子ども達に、元気に遊んでもらいたいと、小樽市在住の堀内奎井子さんが発起人となり、3泊4日の日程でサマーキャンプを企画し招待した。
 原発20km圏内に位置する小高小学校(福島県南相馬市)の児童48名と教員、保護者64名が、7月22日(月)に小樽へ到着。25日(木)までの日程で天狗山からの夜景や海水浴、おたる水族館を楽しんだ。
 24日(水)12:00から、市内色内小学校全児童139名歓迎する中、小高小一行が到着し、給食を食べた後、体育館で2種類のゲームをして交流を深めた。
 odakasyo2.jpg小島昇色内小校長は、「東北地方で大きな地震があり津波がきて、原子力発電所の事故が起こり、住んでいたところに帰れない人が、今でも29万8千人もいる。小高小学校の皆さんも、元の小学校へ帰れない。自分達が通っていた小学校で遊べないが、仮設校舎で頑張っている。大きな災害があったことを決して忘れず、同じ小学生を励まし合い、小高小学校の皆さんが少しでも楽しい思いをしてもらえると嬉しい」と述べた。
 色内小6年の渡邉えりか運営委員長は、「色内小学校のみんなは明るく優しいです。みんな仲良く学校生活を送っています。今日は、用意した2つのゲームで、みんなで楽しく遊びましょう」と挨拶。
 両校の校歌を披露し、その後、児童会が楽しめるように考えた「手つなぎ鬼」と「じゃんけん列車」の2つのゲームが行われた。両校の児童は、体育館を思いっきり走り、汗を流し交流を深めた。
odakasyo3.jpg 小高小学校・鈴木和一郎教頭は、「小高小学校では、震災前は、400名の児童が通う学校だった。地震と津波に襲われ、家を流された人はいたが、誰も怪我や亡くなった人もいなかった。近くの町の福島第1原子力発電所が事故を起し、放射能が漏れたと町のみんなが避難した。それから、昨年の5月まで1度も家に帰ることは出来なかった。児童の中には、北海道や九州へ避難した人もいた。
 震災1ヶ月後の4月20日に南相馬市鹿島区の小学校を借りて再開。25名の児童しか集まらなかった。現在仮設校舎では、97名が通い、その内の48名が色内小学校へ来た。仮設の学校は、鹿島区の中学校の校庭に建った。2階には、3つの学校が1つの小学校となり通っている。1つの校舎に4つの学校が入っている。体育館やプールもなく、中学校の体育館を借り、隣町の学校のプールを借りている」と話した。
odakasyo4.jpg また、「今でも不便な生活しているが、困っていることばかりではない。昨年は、風鈴をいただいたり、マスクのお礼から色内小学校へ来ることができた。海水浴や天狗山からの夜景など素晴らしい体験ができ、皆さんに感謝している。仮設生活がいつまで続く分からないが、小樽から応援の声をかけてください」と話した。
 小高小学校の女子児童2名が代表して、「海水浴、バーベキューと思い出になった。海には魚がたくさんいてびっくりした。色内小学校では、コーンポタージュやジャーマンポテトを食べ、北海道らしい給食で、感謝の気持ちでいっぱい。海が綺麗な北海道へまた来たいと思う。ありがとうございました」とお礼の言葉を述べた。
 堀内さんは、「子どもらしく思いっきり遊んでもらいたいという1番の目的が果たせたと思う。両校の交流や、小高小学校父兄同士のコミュニケーションや、親子とのふれあいもできた。放射能は、目に見えない、匂いもないのが厄介。風化させることなく、健康に注意してもらいたい」と話した。
 今後、一行は、天狗山山頂レストランでのさよならパーティ後、25日(木)帰路に着く。
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