「小樽窯白勢陶園」を硝子工房に再活用


 後継者難から100年にも及ぶ永い歴史に幕を閉じた道内最古の「小樽窯白勢陶園」(入船5)を、小樽市出身の宮越貴大(31)・幸愛さん夫妻が、硝子工房としての再活用に奮闘している。
 「小樽窯白勢陶園」は、緑玉織部の透明感ある青緑色の釉薬を特徴とする小樽焼が有名だった。越後出身の白勢慎治氏が、1900(明治32)年に北海道小樽に渡り、花園町で窯を造り、2代目・清蔵氏が、窯を入船町に移改築した。建物は、天上寺から緑町に上る坂にある東山中学校(現在小樽市教育委員会)の向かい。
 3代目・栄一氏の妻・吉川ヨシさんの弟・吉川幸夫氏が工場長となり、近年まで作品を作り続けていたが、胃がんの治療のため入院した。ヨシさんは、これまでに作り上げた作品を販売していたが、後継者がおらず、2年ほど前に窯を閉じた。
 「小樽窯は由緒あるものなので、物を作る人に貸したい」と、株式会社竹下建材店(竹下茂雄代表取締役)が建物を昨春に購入。老朽化した部分の改修などを行い、活用方法を模索していた。
 東京でWEB製作会社を経営していた宮越貴大さんが、昨年7月に小樽に戻り、大阪市出身の妻・幸愛さんの硝子工房を開設しようと、市内の物件を探していたところ、ちょうどこの「小樽窯白勢陶園」と出会った。
 「東京に居た時に、小樽ジャーナルで、後継者がいないので窯を閉じるというニュースを知った。もったいないなと思っていた。小樽に帰ってきて物件を探していたら、もう本当に運命の出会い。まさか自分たちが、ここに住んで工房を開くことになるとは思ってもいなかった。2月から竹下さんと一緒に改装や補修して、 4月から住み始めた」(宮越さん)。改装や補修の様子はこちら
 現在、電気釜をアメリカの会社にオーダーしており、7月に納入後すぐにオープンする予定。当時の店舗をそのまま活かし、作業室の一部に「小樽窯白勢陶園」の資料展示も行う。石炭窯に使用していたレンガは、玄関先に並べ、当時の歴史を語る材料にする。粘土をこねるために使用していた石臼は、玄関前に展示し、凹みに水をため、金魚を飼っている。2階は、貴大さんのデザイン会社・株式会社オタルレコーズの事務所として利用している。
 幸愛硝子は、手作りガラスアクセサリーやガラスウェアを中心としている。「愛と幸せを運びますように」をキャッチフレーズに、自然をモチーフとした温もりのある作品。「陶芸をやるわけではないが、同じものづくりの立場で使わせてもらう」。
 陶芸と硝子工房で作品は違えど、明治32年から100年以上もの間続いた小樽窯の新しい歴史が、若い夫婦とともに歩み始めた。(写真提供:オタルレコーズ)
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