航海安全の役目に幕 日和山霧信号所 



 「ポー、ポー」。日和山霧信号所の最後の霧笛が、、3月31日(水)09:30から約30分間、石狩湾に鳴り響いた。約100年もの永きに渡って航海安全の一役を担ってきた小樽の霧信号が、その役割りを終えた。
 霧信号は、電波を使った航海計器が発達・普及していなかった時代に、音波標識として全国各所に設置された。霧や吹雪などで灯台が見えなくなった時に、大きな音を出して、船に陸上の位置を知らせ、船舶の航海安全の役割を果たしてきた。1968(昭和43)年末には、全国で53基設置された。
kirisingo1.jpg 日和山霧信号所は、1911(明治44)年に設置された。当初は、空気を圧縮して音を出すエアーサイレンで、1分20秒ごとに4秒間、霧笛を鳴らしていた。1953(昭和28)年には、33秒ごとに3秒間鳴らすダイアホーンに変わった。
 1973(昭和48)年には、電磁石で金属板を振動させて音を出すダイヤフラムホーンに改良。25秒ごとに5秒間、霧笛を鳴らすことが出来たが、あまり遠くまで届かず、風の向きや強さで音が聞こえる方向がはっきりしないという短所があったという。
 1976(昭和51)年には、現在の自動霧探知装置となり、監視職員を3名から2名に削減。1985(昭和60)年に、小樽航路標識事務所(日和山灯台)に機能を集約し、無人化された。
 近年の船舶のレーダーやGPSの普及に伴い、このほど、全国に残った9基(道内8基)とともに、約100年の歴史に幕を閉じることになった。3月31日(水)09:30から10:00まで、最後の霧笛の音を石狩湾に響かせた。
kirisingo2.jpg 廃所式では、所管する小樽海上保安部の石川武市次長が、「日和山霧信号所は、明示44年設置以来、永きにわたり、船舶の航行安全に寄与してまいりましたが、本日をもっておよそ99年の歴史に幕を閉じることになりました。時代の流れということかもしれませんが、当日和山霧信号所が地域の漁業者、海事関係者、更には国内外の多くの船舶に対し果たしてきた役割りや功績は、これら関係者や地域住民に長く語り継がれるものと信じてやみません」と述べた。
 次長の「霧信号停止」の合図で、担当職員が、発音器と電動機の停止ボタンを押し、電動音が消えた。最後に、集まった職員や関係者などが、霧信号所の前に一列に並び、「ごくろうさん」と献酒し、約100年の労をねぎらった。
 小樽海上保安部では、2010(平成22)年度中に施設を撤去し、ホームページでこの霧笛の音を配信することにしている。
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