運河館ギャラリートーク「冬の小樽―写真資料の紹介」 



 頭巾を被った老婆。ゲタを履いて遊ぶ子供たち。白黒写真でも子供たちが頬を赤くする様子がひと目で分かる。明治から昭和初期の冬の小樽が、ビデオと写真でよみがえった。
 1月24日(日)11:00~12:00、小樽市総合博物館運河館(色内2)のギャラリートーク「冬の小樽―写真資料の紹介」が開かれた。
 講師は、歴史を研究する石川直章学芸員。同館が所有する資料の中から、普段は見せていない9.5mmフィルムの映像と写真を披露し、会場に集まった市民とともに、往時の冬の小樽を辿った。
 「この写真は、今のグリーンホテルを下がったところの中央通りです。道の真ん中に雪が寄せられているのが見えます。この時期は、馬ソリが通れる分だけ雪をかいて、道の真ん中に雪を寄せていました。これが小樽の冬の基本的な風景です」と話し始めた。
 「最近は暖冬で雪が少ないと言うが、10年単位の平均積雪量で見ると、1970年代が一番少なかった。年によって雪が多かったり、少なかったりしているだけだが、雪あかりの路が始まってから雪が減っているので少なく感じている。昔、雪が多く見えたのは、街の真ん中に雪が高く積まれていたのでそう感じていたと思う」と解説した。
 当時の市民が撮影したビデオ映像を上映し、「龍宮閣の広告が写っているので、昭和8年ごろのフィルムだと思う」と、頭巾を被った老婆や、桶を担いで走る人、頬を赤くする子供たちの様子を見せた。
 手宮の初売りの様子や北の誉の野口社長が撮影した中心街の映像も流し、「手宮の初売りでは、大売出しと書かれた幟があります。背広姿の人が多くいます。カッポー着35円。オニタビという商品の張り紙も見えます。中心街では、旧丸井の前ですが、芋の子を洗う人出です」と、当時の小樽の繁栄ぶりを振り返った。
 中心街の人出の映像が流れると、会場の市民たちは、「おお、すごい人だ」、「こんなに栄えていたのか」、「ごった返してる」と驚いていた。
 この後、明治期に稲穂小学校の校長だった稲垣氏の日誌とともに、明治30年ごろの街の写真をスライドした。花園の坂の上から見た入船の町、海側から見た外人坂、市役所・区役所が立つ前の水天宮の丘など、小さなブラウン管テレビに往時の姿が映し出された。
 「鰊が獲れていた時期や開拓が進んでいた頃、周辺の山ははげ山ばかりだった。明治の終わり頃になると植林した。明治期は、人力ソリが走り、今のタクシーよりも高値だった。医者や弁護士が乗っていた。一番利用していたのは芸者さんで、小樽ソリ美人という絵ハガキのシリーズもあった。北海道の見事なるつらら集という写真集もあったが、写真すべてが小樽で撮られたものだった」と、当時の冬の小樽の姿を細かく紹介した。(写真・動画の元データは小樽市総合博物館所有)