音楽評論家・吉田秀和の若き小樽時代 鎌倉文学館の図録に集録


 日本を代表する音楽評論家として知られ、文化勲章を受賞した吉田秀和さん(96)の若き小樽時代の軌跡が、鎌倉文学館(鎌倉市長谷)が昨年10月に上梓した図録「吉田秀和 音楽を言葉に」に、貴重な写真とともに集録されている。
 吉田秀和さんは、1913年9月東京日本橋の生まれで、医師の父親が小樽に転任するに伴い、一家で小樽に移った。稲穂尋常小学校に転入し、小樽市立中学校(長橋中)に進んだ。その後、東京の成城高等学校、東京帝国大(東大)仏文科を卒業した。
 音楽評論の道に進み、その知性と鋭い感性で、バッハ、モーツアルト、ベートーベンなどのクラッシック音楽を、独特のやわらかい筆致で紹介し、多くのファンに支持され、一世を風靡した。その著作は、音楽・文学・芸術・人生等の幅広い領域に及び、「吉田秀和全集」(全21巻・白水社)にまとめられている。
 鎌倉市に在住し、2007年には、鎌倉市名誉市民に選ばれた。これを記念して鎌倉文学館で、2008年10月から12月まで、企画展「吉田秀和 音楽を言葉に」が開催された。同時に図録が発行された。
 この図録に、吉田さんの若き小樽時代の軌跡が、貴重な写真とともに集録されている。
 「音楽のあふれる家」の章で、「(大正)14年(1925)暮れ、父が小樽の済生会病院の院長となり一家で小樽へ移った。稲穂尋常小学校に転入、後に古生物学者となる井尻正二が同級にいた。15年(1926)春、開校2年目の小樽市立中学校(現・小樽市立長橋中学校)に入学、作家となる前の伊藤整に2年間英語を習った。中学3年の春休み、修学旅行で生まれ故郷である東京へ。4年終了で東京の学校に進学することを決意。音楽を我慢し、受験勉強に専念。成城高等学校(現・成城学園)に合格した」と記述されている。
 同時に、市立小樽中学校全景や20歳の伊藤整と生徒、通知表に当たる「成績及体格」、小樽の家でピアノをひく母、など同館が見つけた貴重な写真も掲載されている。まさに、小樽での若き生活が「音楽のあふれる家」であったことを示している。 20歳の伊藤整が先生で、生徒として英語を習ったことも、興味深い。
 これらの資料は、鎌倉文学館の担当者が、小樽まで足を運び発掘した。市立小樽文学館では、「吉田秀和さん関係の資料は、当館ではほとんど持っておらず、鎌倉文学館が独自に発掘したものだ。伊藤整とのつながりなどから、吉田さんについての空白を埋めていくことも今後必要だと思う」(玉川薫副館長)と話している。
 この図録は、鎌倉文学館で定価1,000円で販売している。
 鎌倉文学館
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