☆群来た! 博物館メルマガより


 あとわずかで年度末です。博物館の年度末の恒例となった講座「博物館ゼミナール 小樽学」も無事終了しました。今年で7年目を迎えるこの講座では、初めて地学系をとりあげた「火山地帯・小樽」ですが、かなり専門的で固いタイトルがついたため、当初は集客をかなり懸念していました。
 ところが3月1日の募集開始からあっという間に定員を超えてしまう大人気となりました。これは本当に担当者およびその補助者である私も全く予想していない事態で、連日お申し込みの電話をおことわりするというはじめての経験をしました。
 私たちが予想している以上に地学に対する需要が高いのか、今回お呼びした講師陣の人気が高いのか、または「3月には博物館ゼミナール」という習慣が小樽に根付いたのでしょうか。いずれにしても、今回ご希望されながら参加いただけなかった皆様にはお詫びいたします。なお、その余波なのか、十分に席を用意したはずの特別編、土屋館長の最終講座「歴史の必然」も満席となりました。来年の講座にご期待下さい。
 さて、3月のもうひとつの目玉企画「はくぶつかんのひなまつり」も例年以上にご参加いただき1日に無事終了したのですが、これをお手伝いいただいたボランティアの方から「熊碓の浜で群来(くき)てる!」というお話を聞いたのは午後三時過ぎ、そろそろ後始末に取り掛かろうかという時間でした。この前日、北海道新聞で張碓の浜で群来たことが報じられていました。また、昨年小規模ながら熊碓で群来がみられました。ぜひ観てみたいとは思いながらも、今年も無理かなと思っていた矢先のことでした。
 このメールマガジンをお読みの方には「釈迦に説法」の類だとは思いますが、「群来」とはニシンの産卵の際にオスの白子で海面が白濁することです。
 小樽の博物館で歴史にたずさわるものとして、ニシンは必須科目といえます。昨年の博物館ゼミナールは「ニシン再考」もそのような意図があって企画したのですが、私の最大の弱点は「見たことがない!」ことでした。
 来館されるお客様や、研究されている市民のお相手をして、かつての大漁の光景をいかにも見てきたように語っていますが、実は私は一度もニシン漁を見たことがありませんでした。ニシンの生態については昨年のゼミナールで中央水産試験場の山口幹人氏の講義で詳しいお話がありましたが、かつて大量に捕獲されていたサハリン型のニシンは2月から4月に日本海沿岸に回遊してきて、海岸近くの海藻(ホンダワラなど)に産卵していました。
 ニシンはイワシ科の魚類に多く見られる「群れ」での行動が特徴です。群れで沿岸に押し寄せ産卵し、オスは白子を放出していきます。白状しますと、以前私は「海が盛上がるほど押し寄せる」状況を群来ることと誤解していました。8年ほど前にとりくんだ「町の語り部」事業でニシン漁の経験者から、白子で白濁する光景をさしている事を知りました。博物館運河館の第一展示室に張碓海岸での群来の写真が展示してあります。白黒写真では海面は白のみに見えます。その広さから今回の群来よりもかなり大規模な状況であったことが推定されます。
 小樽では最後の群来は昭和29年でした。留萌での漁も昭和30年代の早い段階で終了します。その後「群来」は歴史用語の仲間入りをしていきました。かつてニシンでにぎわった小樽でも50歳以下の方は群来は同様でした。5年ほど前に留萌で小規模な群来があったことが報道されました。その後、留萌から厚田にかけて時々群来が報告されましたが、その日のうちに消えてしまう群来を見にいく機会にはなかなか恵まれませんでした。
 さて、近年再び獲れはじめたニシンですが、かつてのサハリン型のものではありません。石狩湾内を回遊する石狩湾型のものです。この魚種が沿岸に回遊する時期はサハリン型より早く、12月後半から2月頃がピークといわれ、魚形もやや小ぶりです。群れの大きさも小規模で、かつてのように一面白くなるようなことはありません。
よく「最近のニシンはうまくない。」とおっしゃる地元の方がいらっしゃいますが、過去の味覚が美化されている以上に、魚の種類が異なることがその原因と思われます。
 博物館が所蔵している文献に北海道庁水産部が編纂した「春鰊漁獲高一覧」があります。明治20年から昭和30年までの全道各地の春鰊漁獲高が地区別に記されています。それによれば小樽(忍路、高島を含む)で最高の漁獲をあげたのは大正14年(1925)で、119,666石、最後の群来であった昭和29年で8,329石の漁獲高でした。一石を0.75トンで換算(この換算方法には異論があると思います。ニシンの場合は処理方法、部位などで重さが異なり換算係数も異なるのが一般的ですが、おおむねの傾向をしめすため単純計算しました。)すると、大正14年が89,750トン、昭和29年で6,247トンということになります。
 近年、「ニシン豊漁」などの記事が新聞に掲載されることがありますが、豊漁と言われた一昨年の水揚げで800トン程度ですので全盛期の100分の1以下、最後の群来との比較で8分の1程度となります。もちろん群来はみえなくても沖の枠網や刺し網にニシンがかかっているわけですので、今回の100倍の群来があったわけではないのですが、まだまだ「ニシン復活」の数字にはほど遠いものがあります。
 今回の群来も結局ひなまつりの準備が終わったあと現場に到着したのは午後4時半過ぎで、すでに薄暗くなったこともあり、はっきりと白い海面の写真を撮影することはできませんでした。しかし、運よくニシンの出荷に立ち会うことができました。漁をされていた方の話によると、朝、海が群来ていることを発見し、そこから刺し網を準備して漁をしたとのことでした。
 もうお一人漁をしていたようですが、お話をうかがった方の漁獲は軽トラック山積み一台分でした。軽トラック一台でこのような規模の群来だとすると、運河館で展示しているような「山のようなニシン」がとれた時代はどのようなことがおきていたのか、想像を超えています。
 「かもめ群れ飛ぶ」も本当でした。朝から熊碓海岸近くの桜十字街からはカモメの集団が群舞していたそうで、私たちが見たときもまだ多くのカモメがいました。毎回の引用で申し訳ありませんが、『稲垣日誌』にも「鰊がよって居ると見へて、無数のかもめ鳥は白粉を散らしたる様に浮遊して居る。これら等が折折物に驚くにや、一時に浪を離れて飛び散るなど、何れも眼の底が痛むほど遥かの下に見える。(明治36年5月)」とでてくるとおりでした。この日の群来をぜひ写真に撮りたかった理由に、晴天下での群来であったことでした。「鰊日和」「鰊曇り」という表現があり「今日の天気は、或は雨になるかも知れぬと朝の内は気遣ふたが、存外降らずにすんだ。内地なら花曇といふべき模様であるが、北海道はまだ花の時節ではない。鰊のとれる時分であるので鰊びよりといふのである。鰊は晴天の時よりは曇天の時に多くとれるといふことである。(『稲垣日誌』明治37年4月)」とあるように、近年まれな現象である群来が青い空、青い海にくっきりと現れた写真が取れる千載一遇のチャンスですがみごとに失敗しました。
 また海岸にはニシンの卵が産み付けられたホンダワラが打ち上げられていました。(これはホルマリンの液浸標本にしました。)「ニシン漁」のイメージに舟をこぎ「沖合い」で網を揚げるといったものがあり、私たちもそうではなく、「海岸近くでおこなっていました。」とお話しています。昨年のゼミナールでの山口氏の講演のなかでも「腰くらいの深さにある海藻に産卵する。」とありましたが、ほんとうに海岸からすぐそこにニシンが寄ってきていることを実感しました。
 水産試験場などを中心におこなってきたニシンの増殖計画は、このニ三年を見る限り、少しずつ成果があらわれてきているようです。石狩湾型の回遊期はそろそろ終了ですので今年は難しいでしょうが、来年こそぜひ撮影したいと考えています。
 さてどこで撮影するか、かつての親方衆のようにカモメを眺めながらニシンがくるのを待ってみます。来年当たりは高島に来そうな気がするのですが…。
 (主幹学芸員 石川直章)

(転載許可済)

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