「ひな人形の話」 市立文学館のお茶会


hinanohanasi1.jpg 「第二回小樽雛めぐり」を開催している会場のひとつ、市立小樽文学館(色内1)で、2月28日(土)11:00~15:00にお茶会が開かれた。
 お茶会は、文学館に来館した人に対して無料で抹茶と茶菓子をサービスする毎年恒例の企画で、今回は、約60人の市民が来館した。雛巡りに参加した「おんなっぷりの会」の着物姿の女性たちの姿もあり、会場を華やかに彩っていた。
hinanohanasi3.jpg この席では、市内で雛人形の修復・販売を行う「人形の瀧本」の進藤幸正代表取締役を講師に”ひな人形の話”も行われた。
 進藤代表取締役は、同館で展示する江戸時代の古今雛について語った。
 「この雛人形の着物には、皇族専用の柄である桐と鳳凰と同等の刺繍がされているので、相当な有力者のものと判断出来る。顔は木彫りで相当立派なもので、小樽にこんな宝物があるというのはすごいことだと思う。
hinanohanasi2.jpg 雛人形の飾り方ですが、当初は、お内裏様は陽が昇る東側に飾っていたが、江戸後期に開国してからは、西洋文化を取り入れようと西側に飾るようになった。だから、どちらでも正しいのですが、こういった時代背景があるということを知っていると面白いと思う。
 雛人形には、ドラマがある。徳川が権力を狙って、2代目将軍の秀忠の娘・和子(まさこ)を天皇家に嫁に出したが、武家が公家に意見するようになったことを面白くないと思った後水尾天皇は、天皇の座を退き、和子の間に出来た娘(明正天皇)を天皇の座においた。女帝は結婚出来ないということがあり、後水尾天皇は、これによって天皇と徳川との間を断ち切ろうと考えた。
 これを可哀相に思った春日局(かすがのつぼね)が、結婚出来ない明正天皇に雛人形を贈ったことから、これまで穢れ(けがれ)を移して流すとされていた雛人形が、幸せになるように願うものに変わったという歴史がある」と紹介した。
 この後、会場から「雛人形が5段飾りや7段飾りになったのはいつからか」との質問が出た。「最初は2人だけだったが、江戸後期に7段飾りなどが登場した。雛人形が庶民でも飾ることが可能になってからだが、大きな雛人形を飾ってはだめという御触れが出たこともあった。このため、腕の良い職人は、小さくても精巧なものを作りはじめ、ドングリ雛のようなものが誕生してきた」と説明した。
 玉川薫副館長は、「かつて小樽でも、一般の人が外からでも見えるところに雛人形を飾って、その様子を楽しむという風習があった。今年の雛巡りでは、昨年よりも参加会場が増えたので、小樽の街にどんどん広がっていくと、小樽を四季折々で楽しむことが出来るようになると思う」と話していた。雛巡り参加店マップ
 ひな人形の話は、3月1日(日)14:00~14:30にも行われる。
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