童謡「赤い靴」の親子像 小樽に建設! (2007/06/04)

akaikutu.jpg 童謡「赤い靴」親子の像を小樽につくろうと、建設委員会(高橋昭三委員長)が2月に発足し、6月4日(月)から募金の協力を全国各地に求めている。


 童謡「赤い靴」は、野口雨情が作詞した詩に、本居長世が曲をつけて、1922(大正11)年に誕生した。札幌の「北鳴新報社」で勤務していた雨情と同居していた鈴木志郎の妻・かよが、幼くして手放した娘“きみ”への思いを打ち明けたことで誕生した童謡。


 「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった・・・」


 この歌詞は、雨情が母親・かよの話から作った詩で、娘が異国の地で元気に暮らしているだろうという期待を込めてつくられたが、現実は全く違っていたという。


 童謡の主人公“きみちゃん”は、1905(明治35)年現静岡県清水市で、岩崎かよの長女として誕生した。貧因などの事情から、未婚の母かよは、当時3歳の“きみ”を連れて函館に渡り、鈴木志郎と出会い結婚した。


 やがて夫婦は、新天地を求めて開拓地真狩村(現留寿都町)の平民社農場に入植したが、病弱な“きみ”を連れてゆけず、泣く泣く函館にいた外国人宣教師・C.W.ヒュエット師夫婦の養女として預けた。


 C.W.ヒュエット師は東京の青山学院の教師となり、米国デンバーに帰国することになり、重い結核を患っていた“きみ”には長い船旅は困難と、東京の孤児院に託された。そして、わずか9歳という幼い“きみ”は、1911(明治44)年9月15日、東京麻布の病院で亡くなった。小さな亡骸は、青山墓地に埋葬された。


 鈴木志郎は、野口雨情と石川啄木とともに、小樽の「小樽日報社」に再就職したが、翌年に廃刊となり、鈴木夫妻は、1914(大正3)年にカトリック倶知安教会で洗礼を受けた。1940(昭和15)年小樽に移住し、カトリック富岡教会の門前に家を構えた。熱心なキリスト信者として小樽で暮らしたが、二人とも亡くなり、最上町のカトリック墓地で永眠している。二人には、数名の子供や孫がおり、現在でも小樽に住んでいる人もいる。


 この「赤い靴」にまつわる像は、すでに全国4ヵ所に建てられている。生まれ故郷の静岡県清水市に「母子像」。留寿都町「赤い靴公園」に「きみちゃんの像」と「開拓の母の像」。亡くなった麻布十番の商店街に「きみちゃんの像」。母親・かよが、“きみちゃん”が元気に旅たったと信じていた、横浜・山下公園に「赤い靴女の子の像」の4ヵ所。しかし、親子3人が揃った像はなく、小樽に初めて建設される。


 赤い靴の鈴木一家が小樽の町とカトリック教会と縁が深いことから、「今にちの家族関係の荒廃の現状を憂いて、親子のきずなの大切さを託したい。この世では薄幸だった“きみちゃん”が、天国で両親と幸せに暮らしている姿を夢に描いて」(高橋建設委員長)と、カトリック富岡教会(富岡1)前に建立する。


 親子3人の像のデザインや原型作成は、版画家・造形作家のナカムラアリさん(43)が行う。亡くなった“きみちゃん”と同じ年頃の娘を持つナカムラアリさん。カトリック富岡教会・新海神父が、「8歳の女の子を持っているので、母と子の関係の思いが強いのでは」と製作を依頼。台座を含み高さ140cmのブロンズ像となり、台座には「赤い靴」のオルゴールが鳴る仕組み。義父の鈴木志郎と母・かよがイスに座り、小さな“きみちゃん”の手と肩に触れ、幸せそうな笑顔で顔を合わせ、親子のきずなの大切さが深く刻まれる像となる。


 像の原型制作費80万円、像と台座制作費420万円、広報・渉外・事務費など30万円、除幕式費用60万円、オルゴール設営費60万円、メンテナンス料など30万円の計650万円の予定で、小樽市民や各団体などに募金を呼びかけていくという。鈴木志郎氏の命日となる11月23日(金)の勤労感謝の日に除幕式を予定している。制作費などの募金は、この日まで行い、それ以降の募金はメンテナンス費にするという。団体一口10,000円、個人一口1,000円より。郵便振替口座02740-3-64796。問合せ:0134-22-6278 「赤い靴・親子の像」建設員会 カトリック富岡教会内


 童謡「赤い靴」親子の像を小樽につくろう!

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